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二階堂氏の築いた街、須賀川

少し前に、「鎌倉の13人」を巡って、フォロワーさんのお一人と「地元の図書館では二階堂行政特集が組まれている」なんていうお話をさせていただいたのですが、実は、私自身もその時点では二階堂氏のことをよく分かっていなかった部分がありました。

本姓は工藤氏とありますが、なかなか勢力を誇った人物だったようです。彼の子孫は、全国各地に散らばっていますが、当地では、「須賀川二階堂氏」が有名。有名というか、須賀川二階堂氏は、戦国時代、南奥羽の戦国大名の一派でした。
そんなわけで、わざわざ図書館で特集が組まれていたのです(*^^*)

戦国時代の名残

戊辰戦争を調べていた関連で、江戸時代の古地図もダウンロードしたのですが、興味深いことに、現在の須賀川の街中にも、戦国時代の町割りの名残が見られます。

出典:大日本國東山道陸奥州驛路圖 5巻

この地図によると、700戸余りがあったと言われていますから、東北地方の宿場町としては、かなりの規模の宿場町だったことが伺えます。
戊辰戦争のときには、東軍の本営が置かれていたのですが(当時は、白河藩領)、町の中心地は高台なので、災害にも強く宿も多くて便利だったことから、ここに本営を置いたのでしょうね。
古地図でも、須賀川のシンボルである「釈迦堂川しゃかどうがわ」の名前が見られるし、本町もとまち、中町、北町、中宿などの地名は、現在でも残っています。

上の地図を詳しく見ると、「廃城」の文字が。

廃城になった須賀川城

さて、須賀川を滅ぼしたのは、誰か。私自身も、伝統の火祭り(日本三大火祭りの一つ)で散々noteのネタに使っていますが、伊達政宗です。伊達政宗が、叔母の大乗院が守る須賀川城を攻め落とし、領民が二階堂家の霊魂を慰めるために始まったのが、須賀川松明あかしと言われています。
須賀川城のあった場所には、「二階堂神社」があり、十一月に行われる松明あかしの御神火は、ここで採火されます。

気分転換にこのお社にふらっと訪問したところ、こんなものがありました。

拡大してみます。
現在の二階堂神社のあるところが本丸、市民交流センター(通称tette)のある辺りが、二の丸だったんですね。本丸と二の丸は50メートルも離れていないので、コンパクトな作りの城であり、手頃な大きさだったのでしょう。
城の裏手には、「諏訪宮」の文字が見えますが、須賀川の総鎮守である「神炊館おたきや神社」(通称お諏訪さま)を指し、現在でも地元の信仰を集めています。

少し南へ目を向けると、大黒池・八幡山の文字もありました。
ここも、子供の頃から馴染みの場所です。この八幡山では、伊達政宗と二階堂家家臣団が激闘を演じたと言われており、言われてみれば「古戦場」の碑文もあったような……。
ちなみに、八幡山は鬱蒼とした森になっており、「絶対に近づいてはいけない」と言われておりました^^;

ちらっと見える「鍛冶町」も、現在でも残る地名の一つです。昔はあまり気にしたことがなかったのですが、やはり、「宿場町」というよりも「城下町」として発展してきたのだなあと感じます。
街の南部は「町家」の文字が多く見られることから、こちらの地域には、商工人が多く住んでいたのでしょうね。

少し目を転じて、釈迦堂川の対岸に目をやると、「陣場山」の文字が見えます。

この陣場山は、「伊達勢が布陣した山」なので、陣場という名前になったと言われています。丁度、釈迦堂川を挟んで伊達氏と二階堂氏は、対峙していたのですね。
ちなみに、現在ではこの陣場山に「須賀川桐陽とうよう高校」が建ってられています。

要害の地だった須賀川

ここまで見てきたように、須賀川はなかなかの天然の要害の地だったと、言えるのではないでしょうか。
町を半周するように釈迦堂川が取り囲み、しかも高台。攻撃する政宗からすれば、面倒な土地だっただろうなあと思うのです。
戦国時代からさらに遡れば、南北朝時代の南朝の拠点とされたり、戊辰戦争では東軍の拠点となるなど、結構歴史ファンには隠れた魅力がまだまだ眠っていそうな気もします。

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トップ画像は、須賀川市民交流センター(tette)の屋上から、松明あかしの会場となる五老山方面を撮影してみました。

©k_maru027.2022


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k_maru027
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