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【すばる文学賞最終候補作】小説「誰の惑星」第2話(全3話)【冒頭無料公開有】

二、未知との交信


 おれもう死のうかなって思うんすよね。
 休憩室でお昼ご飯をたべていたら、段ボール箱を抱えた彼がとつぜん入ってきてそう言った。部屋にはわたししかいなかった。

「単位やばくて、進級できないっぽいんすよ。一浪してるしさすがに留年まですんのってまずいっすよね。そもそも親に無理言って大学入ったんすよ。これはやめさせられますね。どうします?」

「須磨くん」

「いや、それだけじゃないんすよべつに」

「須磨くんって」

「なんすか?」

「あんまりそういうこと言わないほうがいいよ」

 は?と彼は眉間にしわを寄せる。
 それが本気で怒っているわけではないのだと、彼と会ったその日のうちに理解できた。悪気があるわけではなく、ただそういう仕草が癖づいてしまっているだけみたいで、接客業には向かないんじゃないのかな、店長はなんでこの子を採用したんだろう、なんて考えてしまう。この洋菓子店に男の子のアルバイトが入ってくるのはめずらしかった。

「言霊とかあるって言うし」

「お、森川さんコトダマ信じてんすか? スピリチュアルっすね」

「そういうんじゃないけど」

 お店のほうから店長に呼ばれて彼は行ってしまう。本当に死ぬつもりなんだろうか。まあ言ってみてるだけだとは思うけど、彼の前に働いていた女の子のときを思うと気にしないわけにもいかなかった。なんで彼女はわたしを選んであんなことを言ったのか。それともいろんな人に言ってまわっていたのだろうか。シャオちゃんに「死にたい」と言われた翌日から、彼女はバイトにこなくなった。
 お昼休憩を終えて立ち上がりかけたとき、入れ替わりで須磨くんが休憩にきた。おつかれーっすと向かいの席に腰を下ろした彼は、さっき自分が死にたいなんて言ったこと、もう忘れているみたい。

「須磨くんってほんとに死にたいの?」

 彼は手元のiPhoneから顔を上げて眉間にしわを寄せる。

「あー、そっすね」

「本気で?」

「え、なんすか。本気とか言われたらわかんないっすけど、でもナチュラルに死にたいっすよ。ってかみんなそうなんじゃないんすか? 森川さん、フツーに死にたくないっすか? まじしんどいことあったりしたらうわー死にてぇ!とか思わないっすか」

「言っただけってこと?」

「あ? まあ。え、もしかしておれ森川さんに殺されかけてます? 人殺してみてぇけど捕まりたくはないから死にたがってるやつ見つけて殺そう的な? だいぶやべーっすね。イカれてるよ」

「違うけど」

「まあそうっすよね。わかってますよ。森川さんって虫も殺せなさそうっすもん。ってか血見ただけでキモチ悪くなっちゃうみたいな。それっすか? なんか森川さん、ケガとかもしたことなさそうっすよね。あぶないことぜんぶ親に止められてたとか。箱入り娘ってやつ? あーでも田舎育ちなんでしたっけ。じゃあバンバン山とか川とか入ってた感じっすか? 意外と野生児的な? いや想像できないっすよ」

「須磨くん、ことばが多いよ」

 彼はこちらの「一」を「十」にして返してくるような子だ。そういう増幅装置。いや、両替機かも。一万円札が千円札十枚になって返ってくる感じ。面と向かって話しているとつかれるけれど、接客業にはそういうのが向いているのかもしれない。彼はまだ入って一ヶ月なのに、常連のお客さんとはとっくに打ち解けてしまった。ガラは悪いけど顔がいいからか、彼は年輩の女性客からとくにウケがいい。

「それ沙織にも言われたっすよ。あー沙織っておれの彼女なんすけど、なんかもう最近とかしゃべってもくれなくなって、こっちからしゃべってもうるせぇ!とか言われるんすよ。女ってこわいっすよね。って森川さんも女じゃん! いやべつに女として見てないとかじゃないっすよ! あれ、見てないほうがいいんすかね? この場合どっちが失礼っすか? 森川さんどっちがいいっすか?」

「仕事もどるから」

「うっす」

 部屋を出て、ドアが閉まるタイミングでなかから、坪田さん来てますよーと声がすり抜けてくる。またか……。それだけで気が重くなる。
 須磨くんの高校時代の先輩だという坪田さんは、最近よくお店に来てはなにかと声をかけてくる。もうやめてもらうよう、それとなく言ってほしいと須磨くんに頼みはしたのだけれど結局、彼はただおもしろがってなにもしてくれない。坪田さんは今週だけでもう三回来ている。
 フロアに出ると店長が寄ってきて、坪田くん、とだけ耳元でささやいた。店長はなぜか乗り気で、わたしと同い年で大手企業の営業マンをしている彼とを引き合わせようとしてくる。気遣いはありがたいけど、ありがたいだけだった。

「こんにちは」

 喫茶スペースの席から立ち上がった彼は、わざわざわたしのことを待っていたらしい。

「……いらっしゃいませ」

 ツヤのある紺色のスーツに黒いコートを纏った彼は、わざとらしくこちらにほほえみかけてくる。白すぎて光ってすら見えるシャツ、ほどよく焼けた肌、細く整えられた眉、エチケットていどにほどこされた主張しすぎない香水のかおり――本当にこの人とわたしは同い年なんだろうか。自分に対してかけている手間、そのエネルギーが目に見えて違う。こっちが申し訳なくなるくらいに。

「ご注文はお決まりですか?」

「はい」

「……」

「決まってます」

「……なにになさいますか」

「いつものを」

「はあ」

 ここの洋菓子が取引先の人に気に入ってもらえたらしく、商談のときには毎回持っていくのだと言うけれど、入社一年目の営業マンがそんな週に何度も取引先に出向くものなんだろうか。大学卒業後もそのままアルバイトを続けているわたしにはわかりえないことだけど。

「今日は何時までですか?」

 商品の箱を包装していると、いつもどおり彼に尋ねられる。

「八時半です」

「お店じゃなくて森川さんです」

「……七時です」

「もしよろしければご飯でもどうでしょうか」

「はあ」

 ぜんぜんよろしくないっていいかげん、伝わらないものだろうか。
 わたしは決まって作業に集中しているふりでうやむやにするけれど、ぜんぜん集中なんかできていなくていつも包装紙がずれてしわになってしまう。本当はもっと上手にできるのに。

「二〇〇〇円になります」

「領収書ください」

 毎度のことだから言われなくても用意するつもりでいるのに、彼は毎回同じやり取りをくり返してくる。そのことを店長に言うと、すこしでもしゃべりたいんじゃないの?と言われた。苦笑いしかできなかった。
 領収書に彼の会社の名前を書き込む。画数が多くてしんどい。

「それじゃあ七時にまた寄ります」

 そう言ってお店を出ていく。行くなんて言ってないのになあ。
 通りに面したガラスの向こうはまだ明るくて、このまま夜がこなければいいのにと思った。

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