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おぢ。
短編小説
2024年11月4日(月)23時14分 新宿駅小田急線 4番ホーム
平井 真帆(23)
ああ疲れた。ほんと、おぢの相手は疲れる。でも今月はタワー任されてるし、絶対頑張んなきゃ。
新宿駅東口から人混みを潜り抜けて小田急線改札に。酔っ払ってふらふらのリーマンやら終電まで働いたっぽいOLさんとかに囲まれて、わたしも階段を登る。終電に間に合ってよかった。今日会ったチワワおぢ、珍しくわがまま言ってきたな…気持ち悪い。チワワのくせに、ちんこ振ってくんなよ。お前は金だけ振り込んでろ。
ホームの真ん中らへんは混むから嫌い。めんどくさいけど、一番奥、一号車の車両に向かう。途中、わたしみたいな女とすれ違った。もうこの仕事3年生だから見ただけでわかる。あの子も私と同じことやってる。なんていうか、目が死んでるっていうか。すごい黒目が淀んでるっていうか。たぶんなんにも生きてる感覚とか安心感ないんだろうな。すごく、わかるーってなる。そういう子を見ると何だか安心する。
電光掲示板を見ると、23時22分発の快速急行小田原行きが表示されてる。電車もちょうど今来たとこみたい、結構空いてるじゃん。ラッキー。そっか今日平日か、座れてよかった。もう11月か…寒くなってきたから車内が少しあったかく感じる。暖房の温度がちょうどいい。やばい、これ寝ちゃうな。
こういう心地いい時って、何でだろ、一瞬余裕ができるからなのかな。どうでもいいこと考えちゃう。なんで私毎日毎日、きもいおっさんと連絡してあげて、会ってあげてんだろ。ってそんなのわかりきってんじゃん、担当さまを応援しなきゃ。わたしには担当さましかいないから。絶対わたしが一番応援して、ナンバー1にしてあげなきゃ。風俗なんかじゃ全然稼げないんだもん、しょうがないでしょ。てか、おぢが金貯めてることが無意味でしょ。毎日出社して帰って寝るだけの生活で、夢も希望もなくて自分に金かける理由も意義もない。そんな奴がなんで金貯めてんの。使い道ないまま貯めるなんてお金の意味ないでしょ。だったら私がもっと意味のあるお金の使い方した方がいい。その方が経済まわるし。詐欺でも何でもないよ、こっちは一生懸命、おぢに生きがい与えてやってんだから。この子だけが俺のことわかってくれる、この子のためなら何でもしてあげたいって思えるなんてめっちゃ幸せでしょ。ずっと女の子から求められることのないかわいそうな人生だったんだから、生きる理由を与えてあげてんだから。しかもこっちがお金奪ってるんじゃなくて、おぢが自分で決めて助けてあげたいって言ってお金くれてるんだから。立派なビジネスでしょ。実際しあわせにしてあげられてるし、だからこそ殺されもしないし、訴えられたこともない。それが何よりの証拠でしょ。
……ああうざい、また出てきた。あのクソども。お金渡してあげたのに、私を捨ててきたあの男ども。最後まで夢見させてやれば恨むこともないのに。お前のことなんてどうでもいい、とか。お前みたいなブス好きになるわけねえだろ、とか。そういう下手なやり口ばかりだった。お金渡して幸せにしてあげてよかったって、ただそう思わせればいいだけなのに。本当にバカな奴ら。
そう考えると私、ずっと男に金渡してるな…なんか私も、おぢとおんなじなのかな。笑える。でもだからこそ、おぢの気持ちがわかるし、癒してあげられてるし。私から搾取した奴らの100倍はもう稼いでるし。いい勉強代だった、めちゃくちゃ成長させてもらったじゃん。
汚いおとこは嫌い。きもい奴は大嫌い。いつからだっけ……ああそうだ、あの母親の再婚相手だ。顔もキモいし腹出てるし酒臭いし、しかも胸触ってきやがった。母親は何もしてくんないし、そんな服装してるからでしょとか言いやがった。ゴミだ。犬以下。田舎のジジイババアなんて全員死んだ方がいい、マジで生きる価値ない。
あー、明日医者行かなきゃだ。めんどくさ……でも眠剤はもらわなきゃ。行きたくないなー。
あの医者うるさいんだよな。自分と向き合いましょうとかさ。真帆さんは親御さん、特に母親への恨みが身体に刺さったままだから、それを抜きましょうとか。医者のくせにスピってんだよな、ウケる。まあイケメンだからギリ許せるけど。明日行ったらどうせその話またされるんだろうな。紙に書いてますか、とか。親御さんに直接言いにくいなら手紙でもいいから怒りを突きつけてやりましょうとか。そんなことして何か意味あんの? あんな犬以下の女、何言ったって人間様の言葉なんか通じるわけない。どうせ親に向かってなんて口聞くのとか、馬鹿の一つ覚えみたいに言って逆ギレして終わりだよ。紙に書き出すだけでもとかいうけど、だからそんなの何の意味があるんだよ。書き出すだけで楽になったら苦労しねーよ。
でもあれは当たってたな。自分がされたことは無意識に他人にしちゃいますから、ってやつ。私もすぐあのバカ女みたいに逆ギレしちゃうし、男から金もらっても何も思わないし。真帆さんは、できるならお金を取った元カレたちにも怒りをぶつけて、お金を返してもらった方がいいですとか言ってたな。じゃないと同じことを他の人にしてしまいますよって。もう手遅れですけど。
楽になれるならわたしだって楽になりたい。このままじゃ良くないってのも、わたしが一番よくわかってる。でもどうすればいいかわかんない。キモい男と一緒になるぐらいならしんだほうがマシ。だから親と向き合いましょうとか言われるけど、別に30になっても王子がいなければ死ねばいいし。ああめんどくさ、ねむ、どうでもいいや……
「降りないんですか?」
声が聞こえる。誰……なんか耳元から聞こえる。視界がいつの間にか、真っ暗から味気ない車内に戻っている。なんか、男の声だったような。
と思った時にハッとした。おっさんが隣にいる。いつの間にか寝ちゃってた。
「あ……ハイ」
反射的に答えてしまった。車内の電光掲示板には秦野駅と書いてある。やば。急いで立ち上がり電車を降りる。
うわっ、さむ……11月なのにこんなにもう寒いんだ。ダウン持ってくればよかった。てか電車の中ガラガラだったような……隣に座ってんじゃねえよあのおやじ、マジきもい。
あれ、てか終点でもないのになんで起こされたんだろ。