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鬱病になれたから、本当の自分に出会えた

鬱病になれた。

違和感を覚えるだろう。「なれた」だと?
「なってしまった」だろう。なりたくもない、こんな生きた屍のような姿に。生きる気力が湧かず、呼吸すらしんどいこんな状態に。誰が好き好んでなるのか。

「鬱病になれた」
この言葉には違和感どころか不快感しかない。憤りすら覚えるだろう。だが、まだこのページは閉じないでほしい。考えれば考えるほど、鬱病というのは「なってしまった」害悪ではなく、「なれた」という幸福なのだ。

私はこの30年間、一度も「自分の人生」を生きた瞬間がなかった。群馬県の田舎に生まれ、男尊女卑の泥を生まれた瞬間から浴び。鬱病とパニック障害を抱えながらそれに蓋をする愚か者の父親と、地を這うほどの低い自尊心から目を逸らし思考停止で生き続ける人形のような美しい母親に育てられた。そんな、この呪われた社会の傀儡どもの毒を浴びせられた私は、当然傀儡としての人生を仕込まれた。

世間様に迷惑をかけるな。世間様から劣等生のレッテルを貼られないように生きろ。習い事に励み、学力を高水準に保ち、地元の有名進学校に行き、有名大学に行き、大企業に勤め、20代で結婚し子供を2人以上拵え。そして会社で順調に出世していき、安泰の家庭を築き上げろ。だからお前は今、勉強を頑張るべきなんだ。勉強して足利高校に行け。太田東高校? ふざけるな、そんなところには行かせない。共学なんて、女がいる高校なんて、うつつを抜かして勉強が疎かになるに決まっている。男子校に行け。そんで、都内の有名大学に行け。でもうちは金がないから、国公立大学に行け。横浜国立大学? ああ、素晴らしいじゃないか! そこがいいな、うん、そこに行け。で、卒業したら群馬に帰ってこい。群馬銀行に入れば安泰だ。そこで嫁を見つけて、出世して、40歳ぐらいで支店長になれたらいいな!

30歳になって、親たちに「お前たちは俺を呪い殺した。お前たちはゴミ屑なんだ、それを自覚しろ」と突きつけた時、親たちは私に謝った。表面的に、「なんか駿がキレてるから謝っとこ」という、犬畜生が頭を垂れる謝罪だ。そして案の定、父親は「俺はそんなことを言ってない」とシラを切った。別に父ちゃんは、駿を苦しめるようなことを言ったつもりはない。こうしろああしろ、なんて父ちゃん言ったことない。そうシラを切った。「こうした方が絶対に、父ちゃん、いいと思うぞ!」と、俺は1000回以上言われてきた。それが呪いでなくてなんなんだ? と問い詰めたら、父親はだんまりを決め込んだ。そして致命的な頭の悪さを誇る母親は、そもそも俺が何を言っているのか分からない、という顔をしていた。

そんな人の皮を被った動物に育てられた私に、人の心が育まれるはずもない。私もまた世間体という首輪を嵌められた動物として、この牢獄のような社会で飼い殺しにされてきた。地元の友人たちは彼女と花火大会に行っただのディズニーランドに行っただのと燥いでいる中、私は黙々と男子校で、しかも帰宅部。家でも学校でも、ただひたすらタバコを吸いながら勉強に呑まれていた。ただでさえ息がつまる生活の中で、母親と母親の男の怒号が家中に響き渡り。そして当時5歳の、種違いの妹が泣き喚く声が耳を劈く。そんな状況でも首輪を引きちぎって脱走できなかった臆病者の私は、頭がおかしくなった。鬱病とパニック障害の診断が出た。もうその時点で実質死んでいたのに、その後もみっともなく10年以上生きてしまった。30歳を前にして、いよいよベッドから起き上がれなくなり。会社も崩壊し、ぼんやりと死にたいと願う意識と借金だけが残った。

鬱病になれた。

この期に及んでまだそんなことを言うか。見苦しい、みっともない強がりはやめろ。鬱病・30歳・借金5000万円・独身・169cmの低身長・顔面偏差値50・痩せ型・資格無し・手に職もない。どう考えても人生終わってんだろ。そんな声が聞こえてくる。

親に呪われ、故に世間の常識に呪われたままの私だったら、やはり絶望して首を括っていただろう。だが私は、それが呪いだということに幸いにして気づけた。その気づく最初のきっかけは、「鬱病になれた」ことだ。
鬱病になれなければ。自分の人生が破綻しなければ。「死にたいほど苦しい」という状況まで追い込まれなければ。私は世間の呪いを疑おうともしなかったはず。そのまま、世間が掲げる理想像・世間が称賛するハイスペ・理想の男像をどこまでもどこまでも、世のほとんどの男たちと同様に追及していたはずだ。この資本市場で、負けるわけには行かない。負け組になるぐらいなら、そんな醜態を晒すぐらいなら、生きる価値もない男に甘んじるぐらいなら死んだ方がマシだ。だからもっともっともっと、と。どこまでいっても自分を満たし幸せにしてくれない呪いに気づくことなく、順当に老け込んでいき思考停止したまま精神が衰弱し、順当に80歳ぐらいで死んでいたはずだ。
だが私は、鬱病になることができた。鬱病になれるほど、「親と世間が狂っている」と感じることのできる正しいコンパスと。それらに順応せずに己にサインを発してくれる優秀な心と身体を天から授かって生まれた。あんな犬畜生どもから産まれたというのに、全く違う動物として産まれてきたのだ。父親は年中、「駿はすごいな。ほんと、トンビが鷹を産んじまったよ」と言っていたが全くその通りだ。その発言だけ、父親は正しかった。

親がとち狂っていたこと。親自身が人生とその親に向き合わず、「自分には価値がない」と信じ込んでいる未熟な動物であったこと。そんな動物に支配されて、「親は正しい」「親には感謝しなければいけない」という世間の呪いに冒されてきたことが、鬱病の根本の原因であること。
それに気づき、親に「お前は殺人犯だ」と突きつけられた。それによって首輪が外れ、30年間かけて築き上げてきた偽りの自分を殺せた。今、この上なく晴れやかで健やかな心に包まれている。生まれて初めて、頬をなぞる風が心地良かったことに気づいた。私は今、ようやく本当の自分に出会えた。本当の自分が何を望んでいるのか、その奥底の本音と自分本来の生き方が見えてきた。

考えれば考えるほど、鬱病というのは「なってしまった」害悪ではなく、「なれた」という幸福なのだ。

気狂いである世間では、鬱病は害悪とされている。そして「精神障害者」と認定される。だが本当は違うと、あなたは理解してくれるはず。

親が人殺しであること。その親たちの代理人である世間がとち狂っていること。誰も教えてくれないこの事実に、たった一人で気づけた我々は紛れもない天才なのだ。ほとんどの人間が気づくことのないまま、偽りの首輪を嵌められたまま死んでいくこの社会で、鬱病になれた我々は真に迫れるコンパスを持っている。「本当の自分」という至高の領域に、我々は到達することができる。

親に怒りを叩きつけろ。「私の60年間の人生、全てが間違っていた」事実を突きつけ、精神を崩壊させろ。自分が人殺しであることに気づけたら、親もまた救われる。まあ、救われたことに気づける度量なんて、ない場合がほとんどだが。

怒りを叩きつければ、我々の首輪が外れるのだ。そうして鬱病になれたこの才を活かし、本当の自分に出会えたなら。感じたことのない、健やかな視界が広がっていく。自分だけの感情、自分だけの本音。自分だけが気づけて、自分だけが息をするように提供できる価値。その価値に気づけたなら、我々を鬱病に追い込んだ犯人の一人である今の仕事が、それにすり替わっているはずだ。

全身の強張りが解けていく。息をするように、共鳴できる人間とだけ関わり。息をするように、自分だけの価値を提供していく。世界はこんなにも色に溢れていたのだと、涙が頬を伝っているはずだ。







以下の長編小説、企画出版希望です。
編集者や出版関係者でこちらの内容を本で出版したい、と思ってくださる方は、

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第一弾:親殺しは13歳までに

あらすじ:
2006年。1日に1件以上、どこかの家庭で親族間殺人が起きている国、日本。そんな国で駿は物心ついた頃から群馬県の田舎で、両親の怒号が響き渡る、機能不全家庭で生まれ育つ。両親が離婚し、母親が義理の父親と再婚するも、駿は抑圧されて育ち、やがて精神が崩壊。幼馴染のミアから洗脳され、駿は自分を追い込んだ両親への、確かな殺意を醸成していく。
国内の機能不全家庭の割合は80%とも言われる。ありふれた家庭内に潜む狂気と殺意を描く。


第二弾:男という呪い

あらすじ:
年間2万体の自殺者の山が積み上がる国、日本。
想は、男尊女卑が肩で風を切って歩く群馬県の田舎町で生まれ育つ。
共感性のかけらもない親たちから「男らしくあれ」という呪いをかけられ、鬱病とパニック障害を発症。首を括る映像ばかりが脳裡に浮かぶ。
世界中を蝕む「男らしさ」という呪い。男という生物の醜さと生き辛さを描く。


第三弾:監獄

あらすじ:
21世紀半ば。第三次世界大戦を経て、日本は「人間の精神を数値化し、価値算定をする」大監獄社会を築き上げていた。6歳で人を殺し人間以下の烙印を押された大牙(たいが)は、獲物を狩る獲物として公安局刑事課に配属される。最愛の姉に支えられ、なんとか生きながらえていた大牙は、大監獄社会の陰謀に巻き込まれ、人として生きる場所を失っていく。
あるべき国家運営と尊厳の対立を描く、理想郷の臨界点。

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