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甘えなければ鬱病は治らない

今日も多くの人が死んでいっている。自殺者のほとんどは、根底に鬱を抱えている。実行に移す人だけではない。移さないが、その何倍・何十倍の人が今この瞬間も、鬱に苦しんでいる。「死にたいんです」の実態は、「死にたいほど苦しいから助けて」である。

私もそのうちの一人として、今も生きている。日々、自分は何に苦しんでいるのか、どうすればこの苦しみから救われるのか、思考と葛藤を繰り返している。その経緯を記しているのが私の作品。

正直、鬱病から本当の意味で救われている人、完治している人をあまり知らない。ほとんどの人が、奥底の生き苦しさを消せないまま、そこに蓋をしたまま「まあ、人生こんなもんだろう」とどこかで諦めてやり過ごしている。一時的に仕事を辞めて表面的な体力回復ができて、「俺はもう元気になった」と自分に言い聞かせて。周りや担当医から、「もう働けるでしょ」と脅されて、頑張って社会復帰を無理矢理しているというのが現状だ。ほとんどの人が生き苦しさを抱えたまま、つまりは爆弾を放置したまま、また息を切らして仕事をする。再発して、今度こそ本当に死んでしまった、というパターンも少なくない。

奥底の生き苦しさを消すにはどうしたらいいのか。鬱病から本当の意味で救われるためにはどうしたらいいのか。
答えはシンプルで、「生き方を変えること」これに尽きる。自らを追い込んだ、己を人間として崩壊させたのは「鬱病」という病ではなく、己の声を無視したその生き方なのだ。鬱病はただの結果。お前の生き方は間違っている、というサイレンなのだ。

我々の生き方は間違っている。どう間違っているかというと、「頑張らなければ幸せになれないぞ」という呪いに犯されていること。その呪いに屈して、「自分のことは全部自分でちゃんとやらないと」「ちゃんと仕事をして、世の中から評価される水準、女性から評価される水準の年収を実現しなければ」と躍起になること。あわよくば、「人を救える人間でありたい」という高尚な考えに飲み込まれ、自分よりも他人に目を向けて気を配り、何かできることはないかと頑張ること。
頑張ること。つまり、自分の心を無視して、世のカラクリ人形として生きること。これが我々の最大の過ちであり罪。人形として生きているから、本当に人間ではなく人形に作り変えられてしまったのだ。だから死にたくなるのだ。

「自分のことは全部自分でちゃんとやらないと」

特に厄介なのはこれ。我々は生まれた時は完全なる存在なのに、親によって欠陥生物に作り変えられる。その欠陥を抱えたまま、親の代理人たちによって傷口を抉られ続ける。
欠陥とは、愛情が足りていないこと。生まれた時には満たされていたはずのその器が伽藍堂になっていること。愛情が足りていないと、身体中が騒ぎ出す。寂しいよ、辛いよ、苦しいよ。そういった叫びをあげ続けるのだが、我々は「人に迷惑をかけてはいけない」と刷り込まれているので、そんな叫び声はあげられない。そこに蓋をする。蓋をすると、寂しい、辛い、苦しいという感情がわからなくなる。分からなくなると、身体は必死に自らを壊そうとする。最初は些細な身体の痛みだが、それでも無視するならば、生きる気力そのものを吸い上げてくる。「死にたい」とぼんやりと考え始める。

人に迷惑をかけるな。自分のことは全部自分でちゃんとやれ。

そう刷り込まれている我々は、「寂しいから、苦しいから、辛いから、助けて」と甘えることができない。全部自分の問題だから。こういう、寂しいとかいう醜い、しょうもない感情の処理は自分でやらなければ。じゃないと、メンヘラな奴、気持ち悪い奴というレッテルを貼られて社会から馬鹿にされて爪弾きにされる。今まで友達だと思っていた偽物たちは当然の如く離れていき、圧倒的な孤独に追いやられる。だから、こんな感情を吐き出してはならない。寂しいなんて言ってはいけない。甘えてはいけない。自分の問題なのだから、自分のくだらない感情は自分で処理しなければ。特に男たちはそう躍起になり、息切れしながら稼いだ金を、酒やらクスリやらギャンブルやら風俗やらに注ぎ込む。最初はちょっとの金で済んだのに、もうそれだけではこの醜い感情を誤魔化すことはできない。だからもっともっと、とさらなる刺激を求めて金を使い込む。金もなくなり、心も身体も崩壊し、残るのは鬱々とした気持ちだけ。で、首を括る。これが依存症や、鬱病や、その他息苦しさを抱えた人たちの王道コース。私も危うくテンプレを踏襲して死ぬところだった。

死なないためにはどうしたらいい?

死にたい。でも死ぬのは怖い。でも本当に、いつ死んでも構わないというぐらいには苦しい。
生き苦しさを抱えた我々は、常にこんな矛盾した、文面にすると訳のわからない精神状態で24時間過ごしている。私も200万円以上費やして、この地獄から逃れる術を探し求めた。それらが全て無駄金で、悪意のないゴミ屑共に騙されていたと気づいて絶望した時に、かろうじて巡り会えた訳だが。

死なないためには?
その答えはわかりきっている。

我々の生き方は間違っている。どう間違っているかというと、「頑張らなければ幸せになれないぞ」という呪いに犯されていること。

生き方が原因なのだから、それを変えれば良い。どう変えれば良いかと言えば、頑張ることをやめたら良い。
文面にすると簡単すぎるが。これを手放すのは容易ではない。バンジージャンプを飛ぶよりも100倍恐ろしいし、しかもその恐怖と地獄のような苦しみが一定期間続く。蓋をし続けてきた何十年分の心の膿と向き合うこと、何十年分の負債を一気に処理しようというのだから、やはりそれぐらいには苦しい。傷が深い人は、1〜2年ぐらいはかかるだろう。

頑張ることをやめること。つまり、

頑張ること。つまり、自分の心を無視して、世のカラクリ人形として生きること。

これの逆をする、ということ。
自分の心と真正面からぶつかり、削り合うということ。自分の本心と、今まで負け続けてきた社会の常識・脳の常識とを戦わせるということ。体内で刃と刃が交錯し続ける。身を内側から切り裂かれるような、発狂してしまう苦しみ。

自分の心とぶつかりあえば、何十年間も目を背け続けてきた、醜い自分と初めて出会えるだろう。本当に素晴らしい存在なのだが、我々は初対面では到底そんな妖怪は受け入れられない。それが妖怪ではなく、本当に素晴らしい自分であると気づくためには、やはり他者に承認してもらわなければ。

醜い自分を曝け出すということ。それが、甘えるということ。
醜い感情をぶつけて、それを受け止めてもらうということ。あわよくばそれが素晴らしいと、愛してもらうこと。これを達成できなければ、壊れてしまった我々に未来はない。永遠に本来の自分と出会えず、人形として生き続け、生きる力を吸い取られ続けて自殺するか、老け込んでヨボヨボになって60か70かで死んでいく。
それが私は死ぬよりも辛いことだったので、発狂しながら取り組んでみた。甘えるということを。醜い自分を勇気を持って晒すということを。結果、素晴らしい彼女に恵まれた。抱き合った直後に急に寂しいと泣き出すような気狂いを、彼女は全部受け入れてくれるのだ。女々しさ100%の気難しい男を、彼女は愛してくれている。31年間で感じたことのない安心に包まれた私は、毎日少しずつ彼女から生きる力を貰えている。

我々が欲しているものはなんだろうか。
まずはそれを、面倒くさがらずに必死に考えてみること。その面倒くささの先に進みたいと思ったなら、今この瞬間の感情を紙に書き出すこと。絶対に脳内で完結させてはならない。我々の脳は社会によって汚染されきっているのだから、一切信用するな。心の声、身体の声だけを頼りに、それを体外に吐き出して視覚で捉えるのだ。これを毎日、可能なペースでやること。少しずつでもいい、一行だけでもいい。「死にたい」だけでもいい。絶対に、体外に出すことを怠ってはいけない。
体外に出せたら、何が苦しいのか、何が辛いのか、自分のどんな感情を誰に理解して欲しいのか。階段を一段ずつ降りるように、自分の深みに迫っていこう。
階段を下り切るとドアがある。ドアの前には門番がいる。その門番を殴り飛ばすことで、ドアは開ける。

門番とは誰か?
取り組んだ人100人中100人が、同じ答えに辿り着くだろう。






以下の長編小説、企画出版希望です。
編集者や出版関係者でこちらの内容を本で出版したい、と思ってくださる方は、

kaigaku.nla@gmail.com

こちらまでご連絡ください。

第一弾:親殺しは13歳までに

あらすじ:
2006年。1日に1件以上、どこかの家庭で親族間殺人が起きている国、日本。そんな国で駿は物心ついた頃から群馬県の田舎で、両親の怒号が響き渡る、機能不全家庭で生まれ育つ。両親が離婚し、母親が義理の父親と再婚するも、駿は抑圧されて育ち、やがて精神が崩壊。幼馴染のミアから洗脳され、駿は自分を追い込んだ両親への、確かな殺意を醸成していく。
国内の機能不全家庭の割合は80%とも言われる。ありふれた家庭内に潜む狂気と殺意を描く。


第二弾:男という呪い

あらすじ:
年間2万体の自殺者の山が積み上がる国、日本。
想は、男尊女卑が肩で風を切って歩く群馬県の田舎町で生まれ育つ。
共感性のかけらもない親たちから「男らしくあれ」という呪いをかけられ、鬱病とパニック障害を発症。首を括る映像ばかりが脳裡に浮かぶ。
世界中を蝕む「男らしさ」という呪い。男という生物の醜さと生き辛さを描く。


第三弾:監獄

あらすじ:
21世紀半ば。第三次世界大戦を経て、日本は「人間の精神を数値化し、価値算定をする」大監獄社会を築き上げていた。6歳で人を殺し人間以下の烙印を押された大牙(たいが)は、獲物を狩る獲物として公安局刑事課に配属される。最愛の姉に支えられ、なんとか生きながらえていた大牙は、大監獄社会の陰謀に巻き込まれ、人として生きる場所を失っていく。
あるべき国家運営と尊厳の対立を描く、理想郷の臨界点。


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