失敗を責めるならまずチャレンジを褒めろ
むかし、とあるスポーツをしていた時の顧問が人生の師ともいえる人でもある。
今日はそんな人からいただいた言葉を少しシェアしていこうと思います。
チームスポーツで誰がミスしたか明確なミスってありますよね。
バレーのサーブミス
サッカーでPKを枠外に外す
野球でデッドボールを投げる/フライを無風な中でエラーする
など完全に個人に責任が明確なミスって結構心にきます。
そんなミスを特に学生スポーツでは責めがちなんです、でも社会人でもなんでこんなミスしたんだ!みたいに叱責する上司いますよね。
そんな叱責に関してもらった言葉は「失敗した本人は十分な自覚がある、それ以上の言葉をかける必要があるか?」そんな言葉でした、確かに明確にミスをしたとわかるものの場合にそれ以上責めても、気持ちは縮こまりいいプレーや仕事ができるのでしょうか。
そういった叱責は叱責してる側のマウンティングにほかならずましてただの時間浪費なのではないでしょうか?学生だった自分には強く響いた言葉でした。
また、それとは別にコミュニケーションエラーやチームルールの不一致などによるミスがあります。こちらは「徹底的にどうしてほしかったかいうのではなくどうしてほしいか聞くんだ。お互いにだ。」と言われました。これ実はできない指導者やチームプレイヤーに多いですよね。
お互いにってのが結構ポイントですよね。
聞くだけじゃ伝わらないけどお互いに聞くという文化があればいいなぁと。
遅刻や制限時間間際で負けているときなどにかけてもらった言葉には「焦るな。急ぐだけ。焦れば万事うまくいかない。」焦ると急ぐは似て非なるものですよね。焦ると確かに視界が狭くなる。そして万事失敗してしまいます。仕事においては時に悩む時間をなくし焦っているくらいがちょうどいいときがありますが、この言葉が監督(顧問)から与えられたというところに意味があります。たいがいせかすようなアクションをしがちな立場の人間が、焦るなと明確に指示することでプレイヤーや部下は心に余裕ができ持てる力をしっかりと発揮できます。プライベートで友人が遅刻しても一切せかさないのもせかして早くなることはないし何なら遅くなります。それにイラつくだけ損だし、何より何もしてないで自分が作業して待つだけで優しいとかいい人なんて思ってもらえるなんて最高すぎませんか?笑
そして最後に題にも書きましたが
失敗を責めるならまずチャレンジを褒めろ
です。これは1番印象に残っていて様々な側面を持ちます。
まずは単純に失敗の手前にはチャレンジがつきものだからです。チャレンジはそれだけで価値がある物、それをないがしろにして表面に出た失敗だけを褒める行為は成長には一切つながりません。
そしてその反面、「チャレンジなき失敗は失敗しか得ていないので良くないぞ」ということもついてきます。チャレンジとは成長に必ず必要なものでそれだけで十分に勝算に値する行為です。それなしで失敗を続けることはただの時間の浪費となります。これはそうやって責めるためにではなく、チャレンジしていいんだ、もっと失敗していこうという空気感とその緩すぎる空気を少しだけ締めるための付け加えだと思っています。
こんな師に出会えたのは本当に人生の資産でありうれしいことだと今でも思っています。
人を殴る教員や生徒へのいじめに加担するような人もいる中本当に恵まれたなぁと思っています。
まだまだ書ききれないものもありますが、飲み会やいい話しなきゃいけない雰囲気になった時用に隠しておきますね笑
まとめ
「失敗した本人以上は十分な自覚がある、それ以上の言葉をかける必要があるか?」
「徹底的にどうしてほしかったかいうのではなくどうしてほしいか聞くんだ。お互いにだ。」
「焦るな。急ぐだけ。焦れば万事うまくいかない。」
「失敗を責めるならまずチャレンジを褒めろ」
の4本立てでした。
きょうはここまで
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箕輪編集室コミュニティデザインチームリーダー
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