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包摂の転機~人口減少時代の労働市場改革と新たな共生社会の展望【第一章】①

第一章 日本の人口動態や労働市場の変遷〜歴史的連続性 ①

【1,277字】


 第二次世界大戦の終結後、日本は廃墟と化した都市と産業基盤を眼前に、新たな国家再建への道を歩み出しました。物資の不足、インフレ、高い失業率など経済的・社会的混乱が国内を覆う中、政策当局や企業経営者は何よりも経済復興を最優先課題としてとらえていました。

 こうした状況下にあって、日本は「戦後ベビーブーム」と呼ばれる人口増加現象を迎えます。これは戦後数年間で出生率が急上昇し、若年人口が急速に膨れ上がった出来事です。

 物的資源には乏しかった日本社会で、この豊富な若年労働力こそが再建期の強力な原動力となったのでした。

 当時、国内には未整備のインフラ、破壊された工場や生産設備など、いわば「一から作り直す」べき領域が無数に存在していました。

 そこで採られた手法は、基本的には大量の労働力を動員する「人海戦術」に近いもので、ここでは「人海改革」と呼べるような発想が横行しました。

 「人海改革」とは、技術革新や高度なマネジメント手法が未確立な中で、まず膨大な数の労働者を投入し、人的資源を量的に拡張することで生産性向上と復興速度を確保しようとするアプローチ手法であります。

 農村には潜在的な労働余剰があり、経済発展を求めて多くの若者が都市へと移動しました。

 工場や建設現場には、特定の技能や教育を十分に受けていない者も大量に受け入れられ、彼らは日常的な実務の中で即席的な熟練を形成しながら生産活動を支えていきました。

 この「量的拡張」戦略は、生産性向上の精緻な計画ではなく、短期的かつ即物的な労働集約的開発によって戦後復興を押し上げる、時代が求めた現実的対応だったのであります。

 こうして1950年代後半から1960年代にかけて、外需拡大や技術移転、朝鮮戦争特需などを背景に日本経済は高度成長期へ突入していきます。

 工業化が進み、輸出主導の経済拡大を可能としたのは、もともと豊富な若年労働力が工場労働に適応していた基盤があったからにほかならないのです。

 しかしながら、高度成長期になると、単なる「人海改革」だけでは対処できない課題が浮上することとなります。

 経済が拡大し、企業規模が大きくなり、技術的・組織的な高度化が進むにつれ、企業側は安定的かつ効率的に生産性を上げ、品質を確保する方法を模索するようになっていきます。

 この流れの中で定着したのが、いわゆる「内部労働市場」と呼ばれる独特の雇用モデルです。

 内部労働市場とは、企業が長期雇用を前提に従業員を内部で育成し、技能形成やキャリア形成を社内で完結させるメカニズムを意味しています。

 終身雇用や年功序列といった制度的枠組みは、若年労働者を新卒一括採用で大量に内部化し、社内教育やOJT(On-the-Job Training)を通じて熟練度を引き上げることで、企業は自社独自の人的資本を築き上げていきます。

 こうした内部化モデルにより、製造業を中心とした日本の企業は安定的な品質向上と技術蓄積を可能にし、国際競争力の源泉を確保することとなっていきます。

【次回に続きます】


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