ノウハウ的な文章を書けない人は根がやさしい
こんにちは、流香です。
今回のお題は、「ノウハウ的な文章を書けない人は、根がやさしい」について。
そして「文章から上から目線をなくすことでも世界平和につながっていく」について。
ほんとうは二つ書きたいのですが、すべては書ききれないので、今回少しだけ…
私は、実は「上から教える」スタンスのものが、少し苦手です。
そして「じわじわ」「自然と伝わる」ことの方が好きで、そちらの道を選ぶ傾向があります。
もちろん、そこに優劣はなく、単なる「好み」の違いなのですが
時に「○○なときは、△△しましょう」という書き方は、あくまでその人にとっての正解や価値観を押しつけてしまうことにもなるから…
わたしは、なるべく、気をつけるようにしています。
まただからか、自分と同じように
・「私の場合は、~~です」
・「私は、こう感じます」
と書かれる方には、どこか近い空気を感じて安心もするし、
“大切なこと”を察知していらっしゃる気がして、自然と共感・好感をおぼえられるのですよね。
そして、その“大切なこと”は何かというと…
「自分で答えを感じられる力」だったり、「自ら求めるものに手を伸ばせる力」だったり、様々ですが
絶対的なスタンスとして、「正解はけして一つではない」があれるかどうか?
それを感じられるお方だと、「あぁこの方は、お人の意思を尊重されるお方なのだなぁ」と敬服するし、
読み手の存在や意思を、完全に無視した文章だと「あぁ、ただ自分の主張だけなんだなぁ」となる。
わたしは、文章の世界でも“聴く”姿勢は大事な気がしていて…
“書く”って、いってみれば一方的な行為かもしれませんが、その中においても、いかに“聴く=感じる”が持てるかどうか?
そんなところが、遠回りにおもえてもnote継続のスタンスにもなるし、究極は「生き方」にも繋がってくるように感じています。
では、やはり一度にすべては書き切れないのですが、
「ノウハウ的な文章が書けない人は、根がやさしい」
「文章から上から目線をなくすことでも世界平和につながっていく」
そんなお話も、また追々書いていけたらと思います。
そして最後に、これまでの感謝を込めて…
こちらのマガジンは、本日をもって卒業し、新たにこちらへとステップアップしてまいります。(*現在追加中につき、しばしお待ちくださいませ)
これまで、15名ほどの方にフォローいただけ、感謝でいっぱいですが、また引き続きそちらでもご愛顧♪いだだけますと幸いです。
取り急ぎ、お礼のご挨拶とともに、あらためてお読みくださりありがとうございます。
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書く軸を定めていきたい時の「読むセッション」です。 読むと、自然と「真ん中」に還っていける… 日々のプロセスから生まれる、飾らないことば…
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