ネガティブ過ぎて何も書けなかった時代のこと
言葉にすることも、ネットで文章を書くのもヘタすぎて。
はじめてパソコンを使って書いたときには、5行投稿するだけでも1時間かかって…
しかも一本指だけで、何にも伝えられずとても凹んだのを覚えています。
でも、それでもめげずに書き続けて…
3日目だったかな?はじめてお人からコメントをいただけて。
悩みの打ちあけ話だったので、とても励まされたのと、お仲間さんができた!ことでとても心強くなれたことも覚えています。
そこから、一部かなり割愛して…
ライターとなるも、お人に励みすぎて「自分」のことがわからなくなり…
数年間ほとんど、何も書けずに書くことさえ放棄した時間をすごして。
完全に自分迷子で「自分のことば」も「やりたいこと」も出てこられず、半分引きこもった日々を生きていました。
でも、あるときにnoteに出逢って。
「このナチュラルなエメラルドグリーン色(当時)の媒体なら、なんだか素直にまた書いていけそう!」
「自分を取り戻しながら、素直にリハビリを兼ねて、自分のことばで書いていこう」とふたたび筆をとりはじめて。
今、に至ります。(はしょり過ぎ、というツッコミはなしで…)
だから、「書けない」とか「発信がこわい」とか、「そもそも何を書いていいか(やりたいか)わからない…」という気持ちも、SNSを閉じて闇に抱かれるような瞬間も、自分の経験からきっと誰よりもわかっていられはず。
でもね、そんなときでもけして慌てなくていいの。
然るべきタイミングがきたら、人はまた自然と、ほんらいの活動を始めるものだから。
もしかしたら、そのときにはまったく別のことを始める人もいるかもしれないけれど、どうしてもどうしても「書く」から離れない人は、やっぱり魂がメッセンジャーであって、なにかを「伝える」役割をもって生まれてきているのだと思うのです。
だから、書くこと伝えることを、諦めないで。
過去の自分のような、どこか繊細な人がそっと「ほんらいの居場所」をみつけて、のびのび自分らしい発信をつづけて「望む」以上の展開が訪れていく日々も、もっとごいっしょに創造させていただけたらなと思うのです。
もしも、「なんのために言葉を授かっているの?」と尋ねられたら。
少し前までは、「自分の」思いや伝えたいことを、伝えるためと答えていたかもしれないけれど。
今は、「大切な誰かの」思いや伝えたいことを、もっとまっすぐ伝えて伝わり、広がるためとも答えます。
「言語化がニガテ」でうまく伝えられないで、悲しい思いもたくさんしてこられたからこそ、繊細な方の、表には出ない闇もそっと受けとめて。いっしょに「笑い」にも「光」にもかえてまいりましょうね。♪
大丈夫、あなたが言語化できずに泣いてきた日々は、いえそれさえも
また「ことば」にすることで、次に続く誰かの灯火にもなれるから…
一人のひとを、独りにしない。
言語化できずに泣き寝入りしている方をなくして、「そうそう、わたしそういうことがやりたかったんです…!」と実際にいきいきと前を向いて、現実に生きていかれる姿を見られることが、わたしにとっても何よりの歓びだから…
「いったい何を、どれを言語化??」ではなく
す べ て 言 語 化
くらいの勢いで、ごいっしょに進んでまいりましょう。