「noteをやっていてよかった」はログインしていないときに現れる
noteにログインしていない時にも、ふと「どうしていらっしゃるかな」と思い浮かぶ方が複数いること。
これが、noteをやっていてよかったと思えることの一つです。
ログインしている時に、浮かぶのでなく完全に離れているときにもふと思い出せるのは
もうネットを超えて、こころの中に繋がりが生まれて
個人的にはよりリアルに近づいている証拠だと思うのです。
そして、その「ふと」が浮かんでも、あまりにもタイミングが外れていたりすると、何も残さずにそっと場を離れることもありますが
ログインしていなくても「ふと」「ふと」「ふと」が重なる時があって、それを確かに軸に据えていたいなと思うのです。
わたしは、どちらかというと発信タイプで、交流にあまりエネルギーをかけられていないところがあるかもしれませんが、
「そんな自分はダメだ」と思わずに、自分にできることで人を思う気持ちは忘れたくない。
まったく、お姿がわからないかたちでお読みくださっている方にも、「ふと」お読みくださってありがとうございますという気持ち。
届くかな?届くといいなと思いながら、私自身もお読みくださる方に対して「ふと」を思い起こせる瞬間をこれからもあらためて大切にしてまいりたいと思います。
まとめて、全員に感謝の気持ちをお送りすることもあるけれど…
基本は「一人」「ひとり」にありがとうございますと頭を下げている状態です。
『そんなの、わからない』としても、それが自分にとってのnoteで「ふと」「ふと」「ふと」を大切にできる瞬間を、これからも(自分が書く時間以上に)胸に持ち続けていたいと思います。
ネットだからこそ、できること…
それは
…今回は長くなるので、ヒミツですが
ネットでもできることがあれるのは、こちら側のこころを実は救ってくれるものなんですね。
「助けよう/助けたい」なんかじゃない、とてもフラットな気持ちで綴れることば、贈れる言葉をこれからさらに大切にしてまいりたいと思います。
書き手である前に、わたしたちは一人の人間です。
そこに「書き手」「読み手」といった垣根のない世界をほんとうは生きていきたいと思うのです。
という問いは、これからもきっと持ち続けて。
ただ、毎日必ずnoteでは手を合わせる気持ちは忘れていません。
理由はわからないですが、それが原点だと思うから。
「なんの?」と訊かれても、うまくは答えられないけれど、人と接するうえで、たとえキーボード上でもそれは原点だと思うから。
そうしてこれからも、自分なりのnoteをお人ありきで生きていきたいと思います。
ではちょっと、よくわからない内容になったかもしれませんが笑
お読みくださり、ありがとうございます。
流香
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書く軸を定めていきたい時の「読むセッション」です。 読むと、自然と「真ん中」に還っていける… 日々のプロセスから生まれる、飾らないことば…
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