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書く軸を定める文薬-ふみぐすり-(読むセッション)

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書く軸を定めていきたい時の「読むセッション」です。 読むと、自然と「真ん中」に還っていける… 日々のプロセスから生まれる、飾らないことばが あなたさまの自分軸にも立ち返るきっか…
最後まで全文読み放題の買い切りマガジンです。 まとめてお読みいただけることで、より内なる軸と繋がり…
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#エッセイ

ノウハウ的な文章を書けない人は根がやさしい

こんにちは、流香です。 今回のお題は、「ノウハウ的な文章を書けない人は、根がやさしい」について。 そして「文章から上から目線をなくすことでも世界平和につながっていく」について。 ほんとうは二つ書きたいのですが、すべては書ききれないので、今回少しだけ… 私は、実は「上から教える」スタンスのものが、少し苦手です。 そして「じわじわ」「自然と伝わる」ことの方が好きで、そちらの道を選ぶ傾向があります。 もちろん、そこに優劣はなく、単なる「好み」の違いなのですが 時に「○

「自分語り」はアクなのか?

こんにちは、流香です。 最近よく思うことがあります。 それは、 ということ。 よく「経験や感じたことをそのまま書かずに、もっと役立つように書きましょう」「自分語りで終わらないように」とも世間ではいわれて。 その度に、「あぁ、やっぱりそれじゃダメなんだ」 「もっと理論的に、こうすれば~~なる」と書かなきゃと焦るのですが もしかしたら、それも一つのワクなんじゃないかなと、感じられるようになりました。 なぜなら、

パソコンが使えなくなって思うこと

実は先日から急にパソコンが使えなくなって、ただいま修理中です。 …と、どうでもいい情報からスタートして(笑) でもびっくりするくらいのタイミングだったので、本当に大切な申請が通れた直後だったので、 と本気で、こころから思えたのです。 (なぜなら「また後で…」にしていたら、動けずぜったい取り止めていたことだから。 なんでもそう、きっと大切なことほど(結婚や引っ越しなども)「直感で」「前倒しで」動くことが、実は大事なときがあるのかもしれません。 *** そして、ここ

家族時間も素の自分も大切に

かけがえのない、家族。 そして家族時間。 でも、それでもこうしてnoteを書いたりしていられるのは「家族といるときの自分」も「物を書いている自分」も並列に存在しているから。 どちらかがトクベツになるのではなく、どちらも変わらない自分でいられること… そこにまるっと感謝して、なんとなくウソ偽りなくまるっと自分を生きられている気がしてささやかに幸せです。 「仮面」をかぶらなくていい… そんな生き方を、もっと広げて。 仕事をしているときも、友人といるときの自分もどこで

一言エッセイ ~可能性はひらき続けるもの~

今朝は、ふと浮かんだ言葉をお贈りしますね。 とてもシンプルですが わたしならできる わたしだからできる だから あなたにもできる。 この三段活用、何気に素敵だと思いませんか? 自分を信じることば、 自己価値を見出すことば、だけで終わらず だから、あなたにもできる。 バトンを、そっと意識できることで その人の可能性はもっとやさしく無限大に伸びていく。 ここ、目には見えませんが この三文の中だけでも循環していて。 誰かが体験したよきことは、きっとその意

自分と向き合える幸せ ~ここから先は自分一人の領域へ~

自分と向き合うって、なかなか時間もエネルギーもいるし 相当根性というか、目的がないとできないことだと感じています。 でもそれを、ずっとずっと、何ヵ月も続けてきて思うのは。 「どこ」で自分は諦め、「どこ」で自分を超えようとするのか。 日々訪れるその分岐点のようなものを いかに楽しめるか?だけなのだと思うのです。 もちろん、いろんなお力をお借りしながらですが いつも思うのが、 ここから先は、自分一人の領域 という部分を、ずっと長く生き続けていらっしゃる方々への敬意。

書くことや出版の意義が深まるとき

いまずっと書き続けている、ある電子書籍。 不思議なもので、書き始めた当初とは まったく違うコンセプトに行き着いています。 書くごとに、必要な体験が日常の中にもたらされ… 「なぜ、この本を出版したいのか?」「世に産み届けたいのか」の意義が どんどん深まっています。 「なんのために?」という目的って、とても大事。 それが、どんどん層になって、どんどん下に降りてくる感じ。 とっておきのバームクーヘンの下層が、とても濃く甘くなっていく感じでしょうか…? 「あ、そんな

もし自分には「何もない」と思えたら…

これ、しょっちゅう思います。 わたしなんて… なんだか、報われないことばかりで いつになったら晴やかな人生を生きているのだと。 もう、なにもないのだったら、いっそすべて手放して 生まれたままの赤ちゃんに返って、ただただいつも笑って、泣いて過ごしたいとさえ思います。 でも、そんなわたしを支えるのはいつも「書く」力。 なんにもないと思えるそんなときでさえ、 なんにもない、何者でもない自分から書き続けて。 もちろん、叶えてきたこともたくさんあるけれど、 基本、「なん

その才能、選べるなら何に使いますか?

そう、選んでいいんです。 あなたのその才能、どう生かすか、生かしたいか… あなたのこころは、知っています。 そしてそこに、あなた自身の活かし方、自分もよろこび、お人もよろこぶ生き方の交錯answerがあります。 …才能? 「そんなこと」「そんもの私に…」「いえいえ」 でもね、多かれ少なかれ0.1㎜は自覚されていらっしゃるのではないでしょうか? そういう部分を、もっともう隠さずに生きていくこと。 その才能、誰に、またどんなことに使い、生かしたいか? もし、自分

自分で後悔しない生き方を知っておく

後悔しない生き方をしていく、とても大切なことだと感じています。 では「後悔しない生き方とは、なにか」。 それは人と比べられないことです。 その答えは、ぜったい人と同じにはなれません。 わたしにとってのそれと、あなたにとってのそれは違うのだということ。 「右にならえ」の生き方をしていると、絶対に見つけられない。 自分で決めて、選んで、行動する。 書くと当たり前なように感じますが、これが一番むつかしいのだと。 一人ひとり、魂に宿っている幸せもよろこびも違うから

ブレイクタイムも忘れずに

毎朝のフレッシュな時間、またお昼間や夜でも 「ほっ」とする時間って大切だなぁと感じています。 何にも考えないで、ぼ~っとするとか眠るとか、休むとか… すこしニガテな傾向があっても、この「ほっ」があるからまた生き延びられるというか、 こころが深呼吸できて、日々自分を剥いていけるのだなと感じています。 今日は、水分をたくさん摂って、すこしゆっくりしたい日。 そんなときは、「思考オフ♪」で自分にやさしい時間をもつこと。 どこまでも大事にしていたいなと思います。 (追

「好き」でやっていることなら文句も出ない

ふと、降りてきたこと… 「好き」でやっていることなら 文句も不満も出ない。 「やれ」と言われてのことなら 文句と不満しか出てこない。 結局自発が大事なのだと感じています。 とてもシンプルですが、原点に還ることもとても大切。 「それをやっているのは、誰かに言われたからですか…?」 いいえ、わたしがオレが自分で決めて 選んだ道なのだと 自分で言えるとき、そこにはなんの不満も文句もなくなる。 あるのは、究極「楽しみ」だけ…♪ そういうあり方で、そういう心持ちで

未来の自分に誇れる生き方をする2

ふと、2年前の投稿が出てきました。 タイトルは「未来の自分に誇れる生き方をする」。 過去を振り返って、自分に思いきり「ありがとう」を伝えたくなりました。 続けてくれて、ありがとう。 2年前のあなたが、それからも変らずにずっと書き生き続けてくれたから いまのわたしがあって。 また、新しい世界も見ようとすることが出来ています。 過去のわたしへ、生きつづけてくれてありがとう。 もしかしたら、今も2年後のわたしがどこからか「ありがとう」と言ってくれているのかな? そん

素直な自分を表現できると福がくる

ほんとうの本音を知るって、なかなかむつかしいです。 自分では「怒っている」つもりが、ほんとうは 構ってほしいだったり。 自分では「愛したい」つもりが、ほんとうは 愛されたかったり。 いつもいつも、その奥にある部分と直結して生きることが ほんとうに自分の望みを、自分らしく生きる唯一の道である気がします。 でも、人はつい建前で生きてしまいます。 なぜか? それは、「建て前」という概念もなく、自分自身が本音に気づけていない場合が多いと思うのです。 だから、その感情や行