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ふと思ったのが、今日のタイトル「noteのある人生、ない人生」。 別に、義務でもなんでもないので、書かなくても生きていけるし 前を向いていけるはず。 でも、もうすっかりnoteが人生の一部になって感じるのは。 そしてnoteをやって、よかったと思えることは 「書く」ことの、メリットばかりじゃない。 実は「読む」ことで得られるギフトだって、計り知れないくらい大きいのだ。 つい「書くことのメリット」ばかり記事にあげたくもなるけれど。 ほんとうは、そこからの色んな繋
幸せになる許可を、そっと降ろすこと。 究極やることって、実はそれたけで でもそこまでが、とてつもなく長かったりするけれど 最後はほんとうに「許可」だけ。 そしてそこは、少しだけ“ゆるむ”ことでしか みえてこないし また出来ないものですが 本当の願いが、やっと顔を出してくるのもそんなとき♪ ちょっとだけ、闇期を過ごして ようやく抜けて、満ち満ちと感じられるのは ひとは、幸せにしかなれないということ。 ひとは、幸せに向かうようにしか出来ていないということ。 (*
最近ヨガをはじめて気づいたのは 自己受容が、いろんな角度からすすんでいくということ。 「こんなところに…!」と、まだ受け容れられていない感情などもハッケンできて 節々から流れていくように、やさしく受けとめてはそのまま流しつづけています。 たぶん、ですが いちいち考え過ぎないことって大切で ただ「あぁ、~~だ」と、そのまま、受け止める。 おそらく、日常の中では「こんなこと感じてはいけない!」とジャッジが入るのだと思うのです。 でも、ヨガを通じて、得られていること
ことばで、こころになにか灯が灯ったり。 ことば以上のエネルギーで、内側の循環がよくなったり。 そこから、外の流れがよくなって また前へすすむ力が湧いてこられたり、 そしてまた、エネルギー過多のときには 適度な休息をもたらしてくれる… そんな、言葉の使い方ができること。 「自分を知る」=「自分に気づける」きっかけになれたり。 読むごとに、自分自身がいったん透明になって そのうえで自分のカラーがより色鮮やかに引き立てられ人生に織り上げられていく… そんな〘52音
逆境って、捉え方次第なのだなぁと感じています。 「逆境」自体に、いいわるいもなく じつはそれが好きなひと笑は、無意識に呼びよせます。 かみさまが「ほれほれ、好きじゃろ??」と、まるでギフトしてくれるかのように… そして“平坦なボードゲーム”が好きなひとと、 “アップダウンの景色も楽しめるボード”が好きなひとと、 そこがきっと人それぞれ違うのかもしれない。 そしてわたし自身は、日々平穏に生きながら 逆境を自分事のように応援するのが好きなボードなのかもしれません。
もし「何もしたくないなぁ…」そういう時があれば そんな本音に素直に耳を傾けることも大切。 「〜しなきゃ!」が 外からくるものか 内からくるものなのか その見極めがむつかしいけれど まわりやnet、世間の価値観に翻弄されているだけなら すこし外の声をオフに。 でもどうしても湧き上がってくる内(ハート)から由来のものだけは 素直にすくっていく。 この選別もむつかしいかもしれないけれど なんだか「なんにもしたくない」ときって、きっと誰にでもある。 “ワルイ”ことで
先日テレビで見た、YOSHIKIさんの言葉がとても胸に沁みました。 ・アーティストは孤独と闇が好き ・毎日血を流しながら生きている たしかこんなお言葉だったでしょうか? 毎日死にたいと思っていて、起きるたびに 「あぁ、また生きている」と思うそうで… いろんな痛みを、闇を作品に昇華していることで そしてそれを見聴いて「救われた」という言葉に、こちらがまた救われる… のだそうです。 この対談インタビューを見て、感じたのは 血を流しながら、無理に塞ごうとはせず(