読書経験と本屋さん
孫娘のチーちゃんは、飢えた人がご飯を貪り喰う様に本を読んでいた。それがやっと最近は落ち着いてきたそうだ。このままでは家計が持たないと言うくらい、旅行に行っても移動中に1日に1冊は読んでしまう。それも書く量が増えて、少しずつ収まってきてると言う。
友達のお母さんは猟奇殺人のノンフィクション小説を読んでるとかで、それを借りて読んだ影響か、恋愛小説とか笑える話しとかではなく、犯罪を犯す人の気持ちを知りたいと思い始めたとか。それとなく注意をしたら、大丈夫、ママのことが嫌いでも殺したりしないから。娘はその言葉を聞いて、私って嫌われていたのって、また別のショックを受けたらしいが。
様々な形で読書の方向や形は変わるものだと思う。最初は多読で、内容を我が事として捉えられる様になると、読み方は次第に深くなり、方向性も時々変わるものだと思う。書店に行って、様々なジャンルの本を立ち読みしてるそうだが、いろいろな物に興味を持つことは、今はとても大事な時期だと思う。
自分自身を思い返すと、書店でのことと、引っ越しを契機に読む本のジャンルはとつぜん変わった。普通に過ごしていた、少し本が好きな普通の子供だったのに、一つの出来事から自分の中に存在する悪意を感じて、少年探偵団から松本清張の『点と線』『黄色い風土』などを読むようになった。それだけに『伊豆の踊子』は良い意味での強いショックを感じ、その後の読書の方向大きく大きく変わった。
今朝は告白の意味で、本屋さんでの出来事を書いてみたい。
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我が街が、まだ合併前の16万人の地方都市だった60年前、街の中心地は賑やかで約4kmのメインストリートには様々な専門店があった。その中に本屋さんが4軒、古本屋さんが3軒、裏道に入れば更に専門書の古本屋さんが数軒あった。
それと、あの頃はまだ裏道には、子供向けの貸本屋さんも数軒あった。街全体が裕福で活気もあり、専門店と並んで書店の多かったことを覚えてる。その中でも、駅にも近く最もメインの交差点から数軒離れた所に、市内で一番大きな本屋さんがあった。
10歳の頃まで中心街を少しはずれた辺りに住んでいて、この本屋さんに通うことが多かった。この大きな本屋さんに入ると、図書館とは違う本独特のインクの香りが、何となく大人の世界に入り込んだと感じさせた。
大判でキレイな図鑑類や杉浦茂の漫画本シリーズ、江戸川乱歩の怪人20面相の少年探偵団シリーズを買い揃えて読んでいた。少年探偵団シリーズはハードカバーで、表紙見返し部にプレゼント応募券が付いていた。5枚で少年探偵団バッジ1個、10枚で『少年探偵団手帳』がもらえたと思う。全巻読んでいたので、『少年探偵団手帳』とバッジを数個持っていた。
『少年探偵団手帳』を手に入れたのをきっかけに、仲間にバッジを配って少年探偵団を結成した。メイン通りは車も人の通りも多かったが、一歩裏道に入ると家と家の間は、子どもでさえすれ違うのが大変な所もあり、そういう狭い裏路地を見えない怪人を追って歩き回った。狭い裏路地で男の大人と出会うと、分からないように全員で尾行して遊んでいた。
仲間に入りたいと言ってきた者が居たが、もうバッジがなくて、引換券も何枚か足りなかった。本を買う余裕もない子供達の多かった時代で、仕方なく自分のバッジを与えてしまった。どうしてもまた自分のバッジが欲しくなり、本屋さんで引換券だけを破り取ってしまった。
自分自身、怪人20面相のような犯罪を犯したようで、引換券を本に挟んで元に戻して出ようとした。数歩外に出て泣きそうになるほど悔やまれ、けっきょく戻って、その本を店主の所に持って行き、間違えて破ってしまったと嘘をついて許してもらった。
小学4年の終わり頃に、父の工場が街からは離れた郊外に移転することになった。嘘はいつまでも胸に突き刺さって嫌な気持ちで、しだいに少年探偵団は活動が少なくなり、引っ越しを機会に自然消滅した。まるで犯罪の烙印のように思えて『少年探偵団手帳』も開かなくなり、どこかへなくした。
本来の学区制では転校になるのだが、田舎の学校では、また少々問題のある学校ということで、義務教育が終わるまで今まで通り街中の学校に通った。バス通学になったが、週に数回は自転車で、帰りにあの本屋さんに寄った。犯した犯罪の償いとして、気持ち的には入りにくかったが、この書店だけに行くことにした。
店のご主人は相変わらず笑顔のない人で、店に入り目が合うと自分にだけは軽く会釈をしてくれたが、顔は笑っていない。誰にも会釈すらしないのに、自分にだけはするので、引換券を破ったのは嘘だと見透かされているように思えて、あの笑わない顔を毎回見るのが恐かった。
大人になり本の取り寄せは、必ずこの本屋さんを利用した。専門書などは大学の生協で注文できたが、子供の頃の贖罪の念もあり、この本屋さんで取り寄せてもらうことにしていた。一般の書籍も、もちろんここで購入した。
この頃のちょっとした楽しみが、本を買ったあとに隣裏の喫茶店に寄ることだった。狭い店の中でも一番奥の角、2階への階段の下になり、入り口からもカウンターからも隠れる位置の小さなテーブル席で、そこでコーヒーを飲む習慣ができた。
まったく見えないというわけではなく、チラリという感じでカウンターが見えた。時々手伝いに来てる娘さんと注文の時に言葉を交わすようになり、目の合うのが楽しみだった。週に1回はこの店でコーヒーをブラックで飲んで、買ったばかりの本を開いていた。
実はコーヒーは余り好きではなく、ましてブラックなど、喫茶店以外では飲みもしない。娘さんが居るときは、シビれるのを我慢して足を組み、ブラックコーヒーを飲みながら本を開いていた。このスタイルは、尊敬していた機械設計の教授を真似たものだ。週に一回は本を購入してはここに寄り、「いつもの」なんて偉そうにコーヒーを注文した。コーヒーが運ばれてきたときに、少しだけ買ったばかりの本の話などもした。
ブラックコーヒーなどと洒落たものを知ったのは教授室だった。学内はいろいろと騒がしい時代であり、そういう群れるのが苦手なもので、質問という名目で教授室に遊びに行った。あの当時は教授室に秘書が居て、行くと本物のコーヒーを淹れてくれた。スゴく綺麗な理知的な顔立ちの人で、最初の時に「ミルクとお砂糖は・・・」と聞かれ「要らないです」などと言ってしまったために、ずっとブラックが出される羽目になった。
今は市町村合併で面積は広くなったが、人口は13万人まで減ってしまった我が街は、見事なまでに昔の活況はなくなった。小さな専門店が賑やかに並んでいたのに、今はシャッター街となり、長くキレイなアーケードも、錆や屋根が割れたりしてほんの一部だけ残り、それさえ強風で朽ちた部分が折れたとのニュースもあった。本屋さんは2軒になり、古本屋さんは見なくなった。
郊外の我が家の近くは田畑がなくなり、少し離れた所に大きなチェーン店の書店ができた。広い駐車場があり、CDや文房具や子どもや女子用のグッズも揃えてあり、車も数十台は停められている。書籍数は多いが売れる本が主体なので、コミック本が多くの棚をうめて、読みたいと思えるものは少ない。いまはネット通販での購入や、古書もネットで探すことが多くなった。
ときどきメインストリートを車で走りながら、あの本屋さんを見る。街も変わり、あの喫茶店はずいぶん前になくなり空き地になった。あの頃は大きく感じてた本屋さんも、チェーン展開の大型書店に比べると、駐車場は10台分にも満たない。
1階部分は一般の書籍で、2階部分は学生用の書籍が並んでいる。近くに高校が3校と中学校もあり、学生達が帰りに寄っているようだ。参考書や問題集や授業で使う参考書籍など、学校関係の書籍はほとんどが揃っている。古典が読みたいときには、1階よりも2階の方が見つけやすく種類も多い。駐車場は車よりも学生の自転車が多く、車の邪魔にならないようにキチンと並べて停めてある。
今は代も替わり、あの笑わない店主からいくらかは笑顔を見せる店主になり、その子どもらしき若店主は愛想が良い。2階の学生用のコーナーはアルバイトに任せ、1階は店主の持ち場らしく、新刊書や文庫本と新書本、専門の月刊誌や週刊誌を多く取りそろえてある。周辺の人が多いようで、その対応や新刊などの話し相手にも成っている。
この昭和の初め頃から営業している街の本屋さん、大型店とは違う書籍内容に変わり、より身近に本の案内人のようになってきたようだ。学生専用のスペースは、時には小さな会場として、学生達のコンサートも行われてるらしい。
本の好きな人のための新刊書や本の相談にものり、料理や家事などの専門書のブースを作り、趣味用の週刊誌や月刊誌用の棚もある。チェーン展開の大型書店にはない、街の本屋さんと本の話題でちょっとした時間も楽しめる。
あの恐い顔した先々代の店主、今のように街全体が寂しくなるなど思いも寄らなかったろう。街がこんなにも寂れて外を歩く人の姿が少なくなっても、本という媒体で文化を守り伝えるという大切な役目がある。そういう街の本屋さんの役割を、あなたの孫の代に成ってもシッカリと守っていますよ。
本当は少年探偵団バッジが欲しくて、引換券を破りましたなどと、とうとう言うことができなかった。たぶんこれからも、誰にも言うことは無いだろう。街中に行く機会も無くなり、たまにはフラッと寄ってみようかと思うのだが、あの恐い顔の店主を見られなくなってからは、足は遠のいたままになっている。