神保町のすゝめ
神保町という街が好きだ。ご存じの通り、僕は本の虫である。
先日引っ越した際に蔵書を数えてみたところ、800冊を超えていた。そこからまた何冊も購入したので、きっと1000冊に近くなっていることだろう。
良く「おすすめの本は?」と聞かれるが、非常に困る質問だ。その人の読書経験や興味のあるジャンル、知りたいことなど加味したうえで勧めないと、「勧められて読んだけど難しくて読めなかった」という悲しい結果になりかねない。本たちの沽券に関わるので、できるだけ的確なおすすめをしたいと考えている。もし、友人に本のおすすめを聞きたい場合は出来るだけ具体的に聞いてあげるといいかもしれない。
そんな本の虫である僕が次にされる質問として困るのが「どこで買っているの?」というものだ。どこででも買っている。どの町に行ってもとりあえず本屋さんに行く。皆がスタバに行くのと同じノリで本屋に行く。場所によって品ぞろえも何も違うので、そういう差を見るのでも面白い。新刊を買うためにも行くし、過去の素晴らしい作品を探すために古本屋にも行く。本屋に行くことは、宝さがしをすることと同じなのである。
しかし、一番本を買っている場所は間違いなく「神保町」という街だろう。本の街と呼ばれるそこは、いわば「宝島」だ。
さて、前置きが長くなったが今回は神保町について書いていきたい。大体1ヶ月に1度のペースで神保町へは足を運ぶ。
あまり高頻度で行ってしまうと、本当に本が増えすぎて家の床が抜けかねないので制約を自分でつけているのだ。
僕にとって神保町に行くことは「ご褒美」である。
この間行った時のことを思い出して書いていこう。
まずは腹ごしらえ
本仲間、あるいは文化仲間と(勝手に思っている)友人と集合したのは昼12時だった。出口はA7。僕はA7出口が好きだ。地上へ上がってすぐに右手に自販機がある。少し振り返ると、「さぼうる」という老舗のカフェ。外観を見ただけで不思議な高揚感と、神保町に来たという実感がわいてくる。
その日は、サラリーマンたちはさぼうる前に行列をなしていたので友人のすすめのカフェに行くことにした。
きつい日差しの中、白山通り沿いで信号待ちをする。集英社の大きな看板が光っていた。この町が好きな理由がもう一つある。
榎木津礼二郎の住む土地だからだ。榎木津礼二郎とは京極夏彦の「京極堂シリーズ」に出てくる美麗な名探偵で、僕は彼に出会った時から彼を神様だと思っている。
この白山通りと靖国通りが混じる交差点に立つたびに彼の住んでいる場所はどこなのだろうかと思いを馳せるのだ。
友人にもそのことを言うと、「榎さんのこと本当に好きだなぁ」と言われた。その通りだ。
白山通りを少し進むと、右手に懐かしい看板が見えた。「カフェ トロワバグ」だ。昭和51年から開業している老舗の名店はひっそりと地下に佇んでいた。
昭和から変わっていないであろう、急な階段を下ると外の茹だる様な気温がどんどん冷えていく。木製のドアを押すと、珈琲の香りがした。
木製のカウンターの前に並べられた丸椅子には数人のサラリーマンが座っている。僕たちは左手のテーブル席に通された。
落ち着く橙色の照明の中、向かいのテーブルでは何やらレトロなスーツの方が珈琲を飲んでいる。赤いベルベット素材のソファが喫茶室の雰囲気によく似合っていた。
他愛のない話をしながら僕たちは珈琲とサンドイッチを注文した。
到着したサンドイッチ、確か「ポークリブサンド」だった気がする。みっしりと具の詰まった、ボリューム満載のサンドイッチが、空っぽの腹に満たされていく。
食後の珈琲も大満足だった。普段はあまり飲まないのだが、珈琲に力を入れているようだったので味わっておかねばと思い注文した。可愛らしいサイズのティーカップに入った珈琲は嫌味の無い、すっきりとした味わいだった。
お会計を済ませて地上に出ると、またもや茹だる暑さが戻ってきて、先ほどまでは冷えていた肌もすぐに熱を帯び出す。
日陰を求めて、本屋巡りを開始することにした。
靖国通を東へ歩く
靖国通りをのんびり歩いていくと、大抵は歩道にワゴンが出ている。店内に入らなくてもどんな本を置いてある店なのかわかるという長所だ。
ワゴンで店外に出ている本は、1冊100円だったり200円だったりとかなりお手軽だ。気になる本を手に取る作業が止まらない。
澁澤龍彦だとか、三島由紀夫だとかそういうのがやはり目に留まるのだが、大抵我が家にそろっているので購入にまでは至らない。
中には、他では見られない昭和の雑誌やそれの切り抜きなんかがばら売りされている店もある。
店ごとにきちんと色があって、理系の本(それもうんと古い奴)をごまんとそろえている店があるかと思えば、アイドル誌専門の雑誌屋があったりもする。知りたかった時代を知るには当時のものを見るのが一番早いだろう。
田村書店は、その見た目のインパクトにいつも驚きをもらう。高く積まれた本にPOPというべきか、値札というべきか、黄色い付箋が貼りついていて値段と題名が書き込まれている。
ふらふらと、特にほしい本を意図的に見つけるわけでもなく、「これ面白かったよ」なんて言う会話をしながら、ぶらりと歩いていく。
緩いカーブを歩いていくと、大屋書房がある。ここにずらっとならぶ和本はいつ見ても壮観だ。何度も購入したいと思ったが、宝の持ち腐れになりそうでなかなか手が出せない。
靖国通りをそのまま行くと、一本裏のすずらん通りに出る。ここは大通りに面していないが、穴場スポットなのだ。
すずらん通りを歩く
すずらん通りに入ると、風鈴の涼しい音が耳に届いた。
三省堂書店が、風鈴も売っている。店先に出ているワゴンに吊るされていた。夏の風物詩を味わいながら、涼むついでに文房堂へと足を踏み入れた。
文房堂は画材などを扱っている店で、僕はここのポストカードの品ぞろえが好きだ。買うわけでもないのに、眺めるだけで満たされていくような気になる。何故かわからないが、この店に来るといつも梶井基次郎の「檸檬」を想像する。僕の知らない、過去の丸善のイメージは、もしかしたら僕の中でこの文房堂なのかもしれない。外観も昔ながらの石造りを大切にしているようで、ハイカラだ。
すずらん通りでいつも入る店がある。
ボヘミアンズ・ギルドである。ここはデザインや芸術の本が所狭しと並んでおり、洋書の数も多くそろっている。適当な本を手に取ってパラパラめくるだけでずいぶん心が洗われるようだ。横尾忠則などの日本人デザイナーのレアな本も置いてあるので行く度にチェックしてしまう。2階のカフェを利用したことが無いのだが、今度行ってみたいものだ。
そしてもう一つ、マグニフも欠かせない。
黄色い店構えはアメリカンレトロポップを彷彿とさせる良さがある。そんなキュートな店構えの中身は、「雑誌の古本屋さん」だ。ファッションだったり、暮らしだったりと様々な雑誌がそろえられていて、日本雑誌は勿論だが海外のものもある。僕はここでレトロコーディネートをするときの参考書をいつも購入している。1980年代のアメリカのファッション雑誌なんて、他では見られないだろう。創作をするときの参考にもなる品ぞろえで大いに助かっているのだ。
すずらん通りには飲食店が多い。疲れたら休憩するのにもぴったりのカフェもあるだろう。
そんなすずらん通りを抜けて、再び靖国通りの方へと戻っていく。
靖国通りを西へ歩く
靖国通りを西へ、先ほど歩いたのと逆の方向へ足を向ける。
この時間だと、もう日陰が増えておりずいぶんと歩きやすくなっていた。
ワゴンに出ている本の背表紙を見て話をしながら歩く。
今回の散歩で絶対に買いたいものがあった。昔の少女漫画雑誌だ。それが取り揃えられていると睨んだのが、夢野書店だ。
夢野書店は神田古書センター内にある漫画を中心にそろえている書店だ。カレー屋さんのボンディが見える店内に溢れる少年少女漫画は、どんな大人でも懐かしいものが出会える魔法の光景だ。
手塚治虫は勿論、1990年代のなかよしの雑誌やジャンプなどがそろえられている。
お目当てのものがあった。
1979年のJUNEといがらしゆみこのノートだ。良い。
お目当てのものも購入でき、満足した気持ちで店あとにし、矢口書店名物の壁沿い青空書店を見てからもう少し西へ行く。
気になる外観の店で足を止めた。
北沢書店だ。
ヨーロッパの、映画で見るような茶色の木枠でできたその店は、1階が絵本専門、2階が洋書専門店だった。
2階に行くのに金縁の螺旋階段を使った。ハリーポッターなんかに出てくるような、古い形の本棚が並んでいる。
店内は撮影が可能で、お客さんと、本の中身以外は撮っていいという看板があった。
洋書の切り抜きなんかもばら売りされていて、インテリアとしても大活躍しそうな勢いだ。ヴィンテージポストカードなんかも置いてある。
英語の本ばかりなので何となくでしか判断できなかったが、ファッション、小説、サブカルチャーと言った幅広いジャンルの本がそろえてあるようだった。お値段自体もピンキリという印象。
本自体も魅力的だったが、なにより空間が圧倒的に美しかった。
自宅もこんな風だったら良いのにな、と思うほどだ。
そんな北沢書店を抜けて、この日の神保町巡りは幕を閉じた。
給料日前で羽振りも良くなかったせいもあり購入したのはJUNEとノートのみ。でも十分な収穫だった。
神保町の街は、きっと昔からあのままだったのだろうなと想像できる。本との出会いに溢れた、落ち着く街だ。
人生の教科書にもなりうる本に出会えるよう、また足を運ぼうと思っている。