平凡な自分が経営者になると決めて4年半、執行役員にはなれた話。
今から4年半前、2019年9月24日火曜日。
この日を境に僕の人生は変わった。
新卒で入社したハウスメーカーの営業を1年半して転職後、初出勤日だ。
この日から、平凡な人生を嫌った平凡な僕は経営者になる道に進み出した。
このnoteは夢や目標はあるけど、自分なんかには…という方に読んでほしいです。僕は当時の夢は叶わなかったタイプの人間ですが、当時じゃ考えられない位に変われました。
ここまでのキャリアで、どのようなことを考えながら過ごしてきたかが少しでも参考になれば幸いです。
絶対に成功すると決めたあの頃。
大学時代、どうしても入りたかった就職先の選考に落ちた日、僕は家のソファーから全く動けなかった。ご飯やタバコも吸う気にはなれなず、ただただ日が暮れて部屋が暗くなるまでじっとしていた。
受かる自信もあった。でも落ちた。
それ以降、どの企業の説明を聞いても入りたいとは思えなかった。たぶんプライドが高かったからだ。
数日後、書店で起業関連の本を手にした。
入りたい企業がなければ自分で作ればいい。
そう思ったのだろう。
ただなんせ平凡で勇気のない臆病な僕は一旦就職を選んだ。
営業は隠キャな自分にとっては一番向いてないと思う職種だったが、家が売れればなんでも売れるようになるだろうという理由でハードな環境のハウスメーカーの営業を選んだ。
正直、人生で一番しんどかった。
当時の支店長には「お前より仕事ができない奴は見たことがない。」とまで言われる位、仕事ができなかった。
宇宙人とも言われた。
考えられる選択肢が全て絶望の未来しか見えないことも経験した。
辞めてからもしばらくは夢で当時のことが出てきて汗をかいて起きるという日があった。
しかし、この経験のおかげで、しんどい時もあの時に比べれば…と思えるようになったのは今でも大きな財産だ。
最終出勤日、車で会社に向かういつもの道。高速道路の景色がすごく綺麗に見えた。
その日の夜、尊敬していた店長からこんなメッセージが届いた。
このメッセージで誰よりも働くことを心に決めた。
辞めてから僕は、福岡のスタートアップ支援施設であるFukuoka Growth Nextに相談をしに行った。今でも何を相談しに行ったのか思い出せないが、起業したいという気持ちだけで体が動いていたのだろう。
そこで紹介してもらったのが、Wantedlyだった。
ベンチャーの求人が沢山載っているということで、起業家に話を聞いてもらったらどうだと勧められたのだ。
当時の僕は少し頭がおかしかった。
選考を受けていた会社の面接では、「採用してくれるまで今日は帰りません。」と言って帰らされたこともあった。
自分を変えた転職先。
その中で何社も話を聞いた中の一つが今の会社だった。
入社を決めた理由は「当時4-5名程の小さな会社だったので全体を見れる様になると思ったことと、代表がいい意味で等身大だったからだ。」
仕事内容や業界には全く興味がなかった。
実際、自分の給料がいくらなのかを知ったのも入社してから1週間程経ってからだった。
入社初日のことを今でも覚えている。
ー2019年9月24日火曜日ー
初日から一番働くと決めていたこともあり、22時過ぎまで働いた。
その日家に帰ると、家が空っぽになっていたのだ。
当時、一緒に住んでいた子が家の物をほとんど持っていってしまった。
残ったものは、カーテン、テーブル、ゴミ箱、本当にそれくらいだった。
この関係もあり、人生で初めて借金をすることになった。
だけど状況とは反対に僕はこれからの人生にワクワクしていた。
時間をかけて働いた結果
当時、3年で起業する計画を立てていた。
戦略はシンプルだ。
とにかく時間をかける。土日なんかいらない。起きている時間は全て仕事 or 勉強をする。
入社初日にそれまで本を全く読んでこなかった僕のデスクに代表が7冊本を置いた。
それを1週間で全て読んだ。
3冊くらい読んだあたりで僕はこう思った。
「100冊くらい読めば自分はえげつない位、成長している」と。
そこからの日々は夜は21-23時くらいまで会社で働いて、家に帰ってから本とWEB記事、Youtubeなどでビジネスに関するあらゆる領域をインプットする日々を送った。大体睡眠時間は4時間くらいで、昼休みは寝ていた。(仕事中も寝ていた日もあったが、自分が一番働いているんだから別にいいだろと勘違いしていた。)
多い月でひと月30冊ビジネス書を読んだ。マーケティング、会計、ファイナンス、人事、経営、CS 、ビジネスモデル…色んなジャンルを勉強した。
9月24日に入社して、11月には会社の採用面接に入れてもらい、12月には会社の4半期の決算説明の機会もいただいた。全部知識が全くなかったので、それまでに家に帰ってめちゃめちゃ勉強した。
3ヶ月程は、CS職メインで、終業後WEBマーケティング(広告運用)をしていた。
やはり才能はなかった。
入社後、数ヶ月して、自分の作った広告を配信し始めた。
驚くほど結果が出なかった。
広告は無料ではない。
広告費を払うことで広告が流れる。
商品が広告から売れないと日に日にプレッシャーが大きくなっていく。
毎日毎日、24時、日が変わる直前で、「明日はこういうテストをするために広告を配信するんだ」と自分に言い聞かせて、広告を配信していた。
本当は広告を止めたかった。
でも広告を止めるということは、売上も止まるということを意味していた。
止めるわけにはいかなかった。
毎日毎日、なぜ売れないのかを考え続けた。
毎日毎日、広告を仮説を絞り出して修正し続けた。
初めて売れるまで1ヶ月以上かかった。
なんと使った金額は30万円を超えていた。
30万円使って、1,980円の商品が売れたのだ。
初めて商品が売れた日、恥ずかしながら涙が止まらなかった。
今思うと、広告に問題があった部分もあるが、広告の配信媒体が良くなかった。(プールで釣りをしても魚は釣れないのだ。)
自分で事業をやってみる。
半年ちょっと経って自分の成長具合に自分自身が驚いていた。(人は3ヶ月くらい本気でやり込めば変われるとその時、感じた。)
入社から半年ちょっと経ち、自分でビジネスをやってみたいという気持ちが大きくなってきていた。
そして会社を辞めた。
考えたら臆病な僕は色んなリスクにびびって絶対にやらないと分かっていたので、何も考えずに無理やり辞めることで、強制的にやることにしたのだ。
さて、なんのビジネスをするか?当時はキャリア支援に興味があったので、コワーキングスペースに興味を持っていた。
しかしながら、色々あり、やったのは飲食店の集客コンサルだった。
当時Instagramの知識があったこと、会計も勉強していたこと、コロナ禍で飲食店が集客にお金をかけられなかったことを考えて、今の自分のスキルならできると思ったのだ。
資料を作り、飛び込みの営業をした。
結果は最悪だった。
借金もしていたこともあり、すぐに生活費のキャッシュフローが回らないことに気づいた。
出所のフワッとした自信は砕け散った。
この間、たった数ヶ月の出来事だった。
2度目の入社。ビジネスモデルを理解した気になる。
お金がなくなった僕は、もう一度、働かせてもらうことになった。感謝しかない。
たった数ヶ月だったが、一人でやってみて気持ちが大きくなっていた僕は、少し気が大きくなっていた。
当時、代表に「〇〇という商品が売れそうじゃない?作ってみてよ。」と言われた。
商品開発なんかやったことがなかった。
やり方なんて当然知らない。
少し無茶振りだと思ったが、やってみたい気持ちの方が大きかったし、誰にもこの仕事は譲りたくなかったのを覚えている。
市場調査、差別化、商品コンセプト設計、製造先探し、パッケージデザイン、商品名、原価計算、価格、PLシミュレーション、販売戦略、LPディレクション、広告制作、発注、スケジュール調整
一つ一つ勉強しながら自分でポイントを整理しながらやった。
販売までできて、一連の流れを知った自分は、通販/D2Cのビジネスモデルは理解した気になっていた。
利益が出てない。
販売開始して数ヶ月が経った。
PLシミュレーションと実績を比べながら日々広告と向き合っていた。
途中、アフィリエイトの力もあり、在庫がもたないくらい売れた月もあった。
売上はどんどん伸びていった。
しかし気付いていたのだ。
利益が出ていないことに。
売上は広告を回せば確率的に商品は売れるので、上がっていく。
しかし、広告費を払って売上を作っているため、投資対効果をみないといけない。
広告費よりも投資対効果が悪く、売り上げが小さすぎると売れば売るだけ赤字になる。
事業において大切なのは成長フェイズにもよるが、売上<利益だ。
少なくとも投資対効果は合っていないと話にならない。
この時の僕は頭では理解していた。
しかし、これを見過ごせる程には、事業成長に関して当事者意識がなかった。
その時、僕にとって重要だったのは何よりも自己成長で、
事業成長<自己成長だった。
「利益がでない理由の理解」と「どうすれば利益が出るかの施策が思いつく」だけで、当時の僕には充分だった。
思い付いている施策を実行するのには、根気がいる。
その時間をかけるくらいだったら、他領域のインプットや他のやったことのない自己成長に繋がりそうな業務の優先順位が高かった。
この時、こう思うようになっていた。
「事業成長のベクトルと自己成長のベクトルは完全一致しないと。」
当時の僕は、代表対して、事業成長に関心が強いフリをしていた。
本当は大して興味がなかったのだ。
事業成長が止まった。自己成長も止まった。
とはいえ当然、利益が出ていない状態で大きく広告を踏むこともできない。
そうすると売上は逓減していき、日々のやること・考えることが変わらなくなってくる。
この時点で自己成長の伸び率が落ちてきていることが、大きくストレスになっていた。
1年後の自分の成長幅や日々やっていることが目に浮かんできた。
想像できてしまったのだ。
東京のスタートアップに。
成長の限界を感じていた僕は転職を考えていた。
そんな時にWantedlyのスカウトがきた。
スカウトは普段あまり反応しなかったが、「当時、その会社を知っていたこと」と「自分のビジネスに関する考えを書いた記事をしっかり読んだ上で声をかけていただいた」こともあり話を聞いてみることに。
自分より明らかに凄そうな人が沢山いる環境で働ければ成長もグッとできると思い入社を決めた。そして何より自分が東京で通用するのかも知りたかった。
とにかく結果を出す。
転職して初出勤の日。
会社について15分くらいすると、当時研修などはなくパソコンを与えられて、「純広告とタイアップ系をお願いします。予算は◯万円で」と伝えられた。
「わかりました。」と答えた。
しかし本当は「純広告」の意味すら分かっていなかった。
中途で入る以上、即戦力で採用していただいたと認識していたので、できるフリをする以外なかったのだ。
まずこっそりGoogleで「純広告とは」と検索して仕事が始まった。
入社して2ヶ月ほどは、情報収集と戦略作り、施策準備に時間を使った。
とにかく色んな代理店に片っ端から打ち合わせさせてもらい理解を深めた。
時間の経過と共にそろそろ結果を出さないとマズイと焦りでうまく寝られなくなっていた。
前職では、自分の業務以外のことにも幅広く頭を使っていた。
しかし、ここでは与えられた仕事で結果を出すことにコミットした。
大きな損失と回収。マーケティングの原則。
純広告とは「広告の枠を購入して一定期間、その枠に広告を掲載できる」というものだ。(例えば、TVCMや駅の広告、雑誌広告など)
やったことがなかったので、費用対効果の感覚がなかった。
そして初めての純広告でやってしまった…
投資額は言えないが、かなりの金額で1件しか購入が付かなかった。
しばらくお腹が痛くなって眠れない日が続いた。
一度失敗すると次はもう失敗できなかった。
次失敗すると事業的な観点でも心理的にも動けなくなってしまう。
そんな中、次の施策が当たった。
正直、運も大きかったと思っている。
当然、施策の実行前に、かなりのシミュレーションを自分のマーケティングの知識を総動員させて作った上で選定した自信のある施策ではあった。
しかし確実に成功する施策なんてなく、うまくいくかどうかは確率の問題だ。
正直、首の皮一枚繋がったと思った。
また次も挑戦できるからだ。
そこからはある程度、成功の再現性を見つけた。
あとは確率の問題なので、トータルでプラスの利益に持っていけることを確信できた。
最初の大きな損失もすぐに回収できた。
この時にマーケティングの原則を理解した。
施策がうまくいくかは確率の問題なので、知識があれば成功確率の高い施策を選ぶことができるということ。あとは期待値がプラスの施策の実行数を増やすことが重要であるということ。施策が成功するかはわからないが、失敗する施策はある程度、やる前にわかるということ。
このことは自分の中で今でも原理原則になっている。
事業の伸ばし方を知る。
事業/ブランドは毎月伸びていった。
その伸びは、数字を見なくても体感でわかるほどだった。
今まで経験したことがなかった。
毎月毎月、会社に変化が起きていた。
ずっと考えていた。なぜ前職と同じビジネスモデルなのにこんなに上手くいっているのか。
人材か?商品か?マーケティングか?組織設計か?カルチャーか?
いくつか理解したことがあった。
・スピード
・施策数
・カルチャー
・PDCAの回し方
・やりきる力
・PMFからGTMまでの順序
今思うと、自分の中の答えはここら辺だった。
やっと自信がつく。
東京に行ったことで一番大きかったのは、「当時の上司と働けたこ
と」だった。
正直、プライドの高い自分でも、自分じゃ敵わないとすんなり思ってしまうほど尊敬していた。今でも僕のスタイルのベンチマークはその方で、その方なら、この局面どうしているだろうか?と考える。
こんなに仕事をできる人を僕は見たことがなかった。
ただ、そのおかげで自信が蘇った。
こんなにすごい人と比べても「施策の判断や考え方に関してはそんなに差がないのでは?」と気づいたからである。これは僕がすごいと言いたいのではない。思考や判断に関してはある程度までいくと、あんまり差が出なくなるということだ。
ロジカルな考えをすると基本的に皆同じようなところに行き着く。(だからアート的な思考も重要ではある。)
実際、東京でお話させていただいたスタートアップの起業家やCMOと話をして、(自分よりはすごいのは前提で、)考え方は大きく変わらないのではと思うようになっていた。
つまり、あとはやるだけということだった。
ここから先はスキルがどうこうの話ではないと気づいたのだ。
最後の挑戦。福岡に戻る。
僕は20代である程度の規模の取締役になることを目標にしていた。この頃にはCEOでなくても経営層で働きたいと思うようになっていた。
現職だと20代で自分はそこまで上り詰められないと分かっていたので、年齢的に最後ワンチャンスに挑戦することにした。
そして福岡に戻った。
頭のイメージを形にする。
福岡に戻り、ベンチャー企業に入った。
現在20名ほどの会社だ。
自分に言い聞かせた。
自分の頭のイメージを形にすれば上手く事業を伸ばせることができると。
事業スケールまでの順序(ユニットエコノミクスを成立させてからのスケール)、各部署でのPDCAの回し方、スピード感と施策数、組織設計、マーケティング戦略…
これをチームみんなで一緒に形にしていく。
少しずつではあるが、イメージを形にしてきた。
最近、改めて思う。
思考判断は同じでも、それを形にできない以上、なんの意味もなく、それこそが事業が上手くいくかの分かれ目だと。
正直、今まだ自分の頭のイメージに全然及んでいない。
上手く言語化もできていない部分もあって、上手にチームに伝えられないことも多い。自分自身もやりきれないこともまだまだある。
上手くいかないことが続くと、数ヶ月に1回くらい、嫌気がさして、「やっぱりもういいかも」と今でも思ってしまうこともある。
それでも、まだ投げ出していない。
なぜならこれが最後のチャンスだと思っているからだ。
そして何より今は、自己成長には興味がなくなり、事業成長に興味が向いているからだ。
前職で事業が成長していく過程で、個人も成長すると気付いた。
それを自分でやってみたい。
こうして執行役員になった。
29歳になった。
29歳には取締役にならないといけなかった。
理由は特にないが、そう決めたからだ。(一つあったのは、会社に身を捧げる覚悟の意味合いだった。)
正直1年前くらいまでは、CMOになりたかった。マーケティングを主にやってきたからだ。(CMOの話をいただいたこともあった)
現職についてすぐ気が変わった。
マーケティングに興味があるわけではなく、事業成長に興味があるんだと。
事業が成長するなら、採用や組織設計、教育、営業なんでもやる。一番やるべきことをやる。
こうして取締役にはなれなかったが、執行役員になった。ここに行き着くまでのインプットは記事や動画を25,000-30,000本、本は300-400冊くらいに達した。
正直、やることは何も変わらない。
僕にはリーダーはたぶん向いていない。
ただ、それでも事業を伸ばすためにできることをやるだけだと思っている。
経営とは何か?
最近たまに考える。
経営ってなんだろう?
僕はずっと経営層で働きたいと言ってきた。
今更ながら思う。それってなんだろう?
ググったらこう出てきた。
経営とは、会社や店舗で継続的に利益を生み、永続的に繁栄させること
そして今はこう考えている。
経営したいとか取締役になりたいとか、そういうのは、もはやどうでもよくなった。ただ一度でいいから自分の頭のイメージを形にして、事業がドンドン成長していく姿を体感してみたいと。
僕が尊敬している経営者がある本をお勧めしていました。
ビジネスで自分を表現するというアート性を持ったものであるという考えや植物のようにビジネスにも水を与えて自然な成長を促していく必要があるという考えは一つの僕の哲学になっています。
夢が叶わなかったこと。
ここまで読んでくれてありがとうございます。
4年半という時間をかけて、夢を追ってきましたが、叶いませんでした。
僕の本当の夢は、全力でやって手が届くか分からない夢を叶えて、嬉し泣きを一度でいいからしてみたいというものが本質でした。
正直、今まで踏ん張れなかったことや怠惰なことはよくあり、自分でもなぜ叶わなかったのか理解しています。
かといって後悔もないです。それは、薄々自分はそこら辺にゴロゴロいる大したことないレベルだと、できるだけ思わないようにしていたけど、本当は気付いていたからだと思います。
それに、成長はちゃんとしてきたからです。
期限を設けたのも、10年20年のスパンで物事を見られない弱い人間だと理解していたからです。
ずっと追いかけてきた夢がなくなった今、惰性で体が動いています。
本能的に事業を伸ばさなきゃいけないという感覚が染み付いたからだと思います。
僕は平凡だが、そろそろ稼ぎたいとも思うし、これからどういうキャリアを選ぶか分からないが、ここからまた新しい夢や目標を見つけていこう。
僕は平凡だが、いつか嬉し泣きができる日が来ればいいなと思う。
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狂おしいほど夢への渇望があった日々に感謝している。
あの頃、毎日、帰りながら夢がかなった世界を妄想した。
あの頃、深夜3時、飲み会の後、家で吐きながら本のページをめくった。
あの頃、早朝5時、なんとか開く片目でNewsPicksの記事を読んだ。
世界を変えられる可能性はまだ残っている。
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