
【双極と私#1】はじめて心が壊れていることに気づいた日
こんにちは、百華です。
少しずつ、過去を紐解く作業を始めていこうと思います。
まずは、はじめて心が壊れていることを実感したときから。
当時の状況
修士課程に入って、実験量と結果を求められるようになりました。
実験をすること自体は好きでしたが、
期待されている結果を出せなかったときの報告会での厳しい言葉が、
毎回心に突き刺さりました。
朝から深夜まで研究を続けるのが当たり前の、
研究分野の時間の使い方に適応することもなかなかできませんでした。
また、話すことや伝えることがそんなに得意ではない私にとって、
後輩の指導や学会発表はどんどん重荷になっていました。
先輩も後輩もいじりやすく話しやすいキャラクターを演じ、
学会では準備を念入りにすることで完璧な自分を演じ、
何とか乗り切ってきたつもりです。
身体の異変と異常な生活
身体が重くて起き上がれない。
何を食べてもおいしくない。
慢性的な頭痛と倦怠感。
不安がつきまとって、勝手に涙が溢れてくる。
2016年の春。
私はそんな状態でした。
大学に行けない、それでも実験や発表はこなさなければいけない。
何時でも、何曜日でもいい。
少しでも動けるときに、重い身体を引きずって学校へと足を運びました。
はたらかない頭を必死で動かして、作業を進めようと努力していました。
眠ると動けない。
そう脳に刷り込まれていくと、だんだんと眠るのが怖くなっていくんです。
寝つきは悪く、眠れないまま朝を迎えることも多くありました。
一方で、一度眠りにつくと、15時間以上は必ず寝てしまいます。
食事もとらず、トイレにもいかず、覚醒することもなく。
時計を見て「1時間しか眠れなかったな」と思っても、
実は日付が変わっていて、丸1日以上寝ていることはよくありました。
最大で60時間以上(3日弱)連続で眠ったことも。
もちろん、起きたときにすぐ動けるわけなんてありません。
大学へ連絡する手も震えました。
「またか」となっているようすが目に見えていたので。
こんな状態が続いていると、
眠るともう一生起きられないのではないかという恐怖に襲われました。
布団に横たわることすらできなくなりました。
起きられないのであれば、いっそ寝なければいい。
本気でそう思いました。
大学に泊まり込み、眠気を忘れるために手を動かしました。
座らなければいけないときは、論文を開いた明るいPCの前で、
一心不乱に何かを食べていました。
コンビニで何袋も買い込んで、
ほとんど味のしない菓子パンやお菓子を無心で咀嚼していました。
これだけ食べているのに、体重は目に見えて減っていくのです。
栄養が偏っているのだから当たり前ですけれど。
そんな生活を、何か月も続けていた私。
身体が悲鳴を上げるのは当たり前でした。
不調の原因を探るために、内科・婦人科・消化器科・耳鼻科・甲状腺の専門病院まで、いろいろな病院を回りました。
何も見つかるはずはありません。
身体的にはどこも悪くないんだから。
やっと心が壊れている自分に気づく
ある日、駅の改札で動けなくなりました。
目の前が真っ暗になって、苦しくて。
このまま死ぬのかもしれない。
あぁ、まだやらなきゃいけないことたくさんあるのに。
そんなことを思いながら、目を閉じて意識を手放したつもりでした。
でも深呼吸をして目を開くと、そこには変わらず改札があって。
座り込む女に、通り過ぎる人たちが、
邪魔そうな、怪訝な目を向けていました。
何しているんだ、とでも言いたげな冷たい視線が刺さります。
猛烈に恥ずかしくなりました。
早まる鼓動を感じながら、何もなかったかのように改札を抜け、
人の波に紛れ込むと、耳が詰まったような気がして音が消えたんです。
雑踏も、人の声も、電車の音も、機械音も。
しばらく無音の世界で困惑していました。
時間がたてば音は戻ってくるのですが、怖かった。
さすがに自分の心が壊れているのではないか。
やっと実感したのが、このときでした。
はじめての心療内科
意を決して、大学近くの心療内科を予約し、受診しました。
2016年、真夏の暑い日でした。
特に話を聞くわけでもなくあっけなく診察は終了し、
「抑うつ状態」と診断されて薬をもらいました。
どんな薬だったかは覚えていません。
黄褐色の錠剤だったことしか。
薬を飲むと、体験したことのない吐き気とふらつきに襲われました。
トイレにこもり、便器につかまって耐えていると、
涙が勝手に出てきました。
こんな思いをするくらいなら、薬なんて飲まない。
病院にも行かない。
まだ何とか動けている。
論文作成だって学会発表だって、気持ちで乗り切ることができている。
どこに問題があるの?
私は大丈夫。まだまだできる。
そう思って、薬を飲むのも病院に行くのもやめました。
この判断が正しかったのか間違っていたのか、正直分かりません。
もう一度受診すれば、ちがう薬を処方してもらえたかもしれません。
病院を変えるという手もありました。
でも当時の私が思いつく方法は、これだけでした。
あとから考えてみれば、症状はもっと前から出ていたんです。
双極性障害と診断された今では、これ以前に躁状態だったであろう時期を振り返ることもできます。(また改めて書きます)
何にせよこのとき、私は壊れた心を完全に無視してしまいました。
ここからが、長い戦いの始まりでした。
(#2に続きます)
百華