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歯がきれいな百歳

長寿だった母は、99歳の時に転んでひざを痛め、それ以降歩くのが不自由になってしまい、103歳で亡くなるまでの4年間は、自宅での介護生活でした。病気はありません。歩くのが不自由になったのです。

毎日、朝と夕方にヘルパーさんに来ていただき、週に2回はリハビリで理学療法士さんが来られ、月に2回は終末医療専門のお医者様が来られるなど、なかなか賑やかな自宅介護でした。


その時に医療従事者の皆さまが口をそろえておっしゃったことがあります。笑ってしまいますけれど・・・
「100歳でこんなにきれいな歯をしている人は見たことがありません!」

そのように言われて、みなさんに褒められて、得意満面の笑みを浮かべ、歯を見せて微笑む母がいます。

「笑うときには口を閉じて微笑むくらいがいいの。口の中は見せるものではないから、歯は見せないの」母はこのように話していたのですよ。その母が歯を見せてにこやかに笑っています。褒められて嬉しいのです。

母の歯は本当にきれいでそろっていて、汚れやシミなど何もなくてピカピカのピカ。だって当然です。総入れ歯なんですから・・・ 



ガムとお餅は苦手ですが、それ以外だったら何でも大丈夫という猛者でした。総入れ歯はもう義歯などではなく、ほぼ自分の歯と言えるくらいに馴染んでいました。40歳くらいで総入れ歯にしたとしても60年の入れ歯歴があるのです。

例えば梅干しの種ですが、毎日梅干しを一つ食べることを習慣にしていた母は、たまに種をかみ砕こうとするので、それは止めたほうが良いと注意していたくらいで、我が家には歯が丈夫な人がいますが、さすがに昨今は梅干しの種をかみ砕くのは、歯医者に直結する恐れがありますのでしないですね。

その昔は、今ほどお菓子類がありませんので、梅干しを食べた後に、種をかみ砕き味わうことは割と一般的なことでした。梅干しの種の中の仁を天神様と呼び、健康長寿・元気溌溂の守り神としていたと聞いています。入れ歯で梅干しの種をかみ砕くなど母は平気でした。


母には歯科医の兄(明治生まれ)がいて、若いうちに総入れ歯にすると高齢になったときにいろいろと都合が良いと兄から聞き、昔の歯科治療方法で総入れ歯にしました。その当時の治療方法ですので大変だったと思いますが、兄を信じ、そして、若いときだったからこそ乗り越えることが出来たのですね。

そのおかげでしょう。私が知っている母は、歯に関してはまったくの不自由さはなく、口元はいつもきれいでした。たまに兄のところへ入れ歯の調整に行っていたくらいです。我が家の冷蔵庫には母の総入れ歯のスペアが入っていました。昔の歯の治療法はそれなりに良さもあったと思われます。


最新の歯の治療法に関しては良く知りませんが、医療全般に言えることってありますよね。そこに人間に対する尊厳というはっきりとした明確な指針があれば、たとえそれが難儀を伴う治療法だとしても、人は乗り越えることが出来るということ。

4年間の母の介護では様々なことを知り、新しい扉が一つずつ開いていくように、医療と接することが出来ました。たとえ歯の治療と言えどもそれは歯の治療に留まらず、生きていく上での応援となるようなものであってほしい。そして、それは医療全般にも言えることで、人の尊厳というものが、
通奏低音のようにずっと響きわたっているものであってほしいと思っています。


今日の夕陽です。

お読みいただきありがとうございます。

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