部屋を片付ける(短編小説)

便利屋に対しては、実に様々な仕事が依頼される。基本的に依頼主は体力的に力仕事が難しい高齢者であることが多いが、どうしても人手が足りないときの助っ人としてあらゆる年代から仕事を申し込まれる。その主な仕事内容は、特に夏場に限っていえば、庭や所有地の草刈りや手入れが多かったが、遺品の整理やごみ屋敷の片づけ、電球の交換などは季節を問わず一年を通して依頼を受けた。稀に「言うことを聞かない息子をビビらしてほしい」、「一時間体を嘗め回したい」といった特殊な依頼を受けることもある(流石に後者は断った)が、通常は自分が特に苦に思うことなく仕事をすることができた。
 私が便利屋として働き始めて一年と数か月が経った。去年の夏前に大学時代の先輩から「便利屋やらない?」との連絡を受けて、始めることにした。彼もまた便利屋であり、当時私は前の会社を辞めたばかりで、職に就いていなかった。当初は次の就職先が見つかるまでのつなぎ程度にしか考えておらず、次の年には新しい会社に勤めるつもりでいた。しかし、ブルーカラーとして外で働く解放感と、常に新しい人と繋がれる喜びを感じることができて、何より大学までずっと野球をやっていたことから、力仕事を特に苦に思うこともなかったため、ここまでずるずると便利屋としての仕事を続けてきている。
この仕事が自分にも合っていると思う。少なくとも前の会社と比べたら。しかし、母親からは毎日のように「いつ新しい職場見つけるの?」といったメールが来るし、たまにインスタの投稿でスーツ姿で昼飯を食べる旧友の姿を目にすると、自分はただ今の立場に甘んじていて、前に進めていないのではないか、といった焦燥感に駆られてしまう。

 今日は一件の依頼が入っていた。依頼内容は「家具組み立て」であった。個人情報保護の観点から、私に知らされるのは依頼主の住所や電話番号などの必要最低限の情報で、依頼主の年齢や性別、職業などは大抵は伏せられた状態で知らされる。今回も、相手の正体は不明なままだ。依頼内容からして何となく高齢の女性を想定していた。
 目的のアパートに到着する。部屋は508号室。インターフォンを鳴らす。
「どうも。便利屋の依頼で参りました」「どうぞ」ハリのある、若い男性の声だった。
扉が開けられて、家の中へと入る。1Kのひっそりとした家だった。一目見た感じ六畳かそこらというような広さであったが、戸棚や家具の整理がきちんとなされており、それらの配置も無駄がなかったため、室内に余分なスペースがなく、むしろ実際の六畳よりも広く感じられた。
「早速ですけど、今日の依頼は『家具組み立て』で間違いないですか?」
便利屋は余計な話など一切しない。さっと仕事をして、さっと引き上げる。
「あってます。ただ、できれば部屋の整理も手伝ってほしくて」
「かしこまりました。では、さっそく始めましょう」

彼の部屋には未開封の段ボールが二つ置いてあって、それらはハンガーラックと本棚であった。組み立て自体は男性二人の力であれば悠々と終わる程度のものであったため、十分足らずでそれぞれ組み立て終えることができた。そうして組み立てが終わった後、新しいハンガーラックと本棚にそれぞれ衣服や本を移し替える作業を手伝ってほしいと頼まれた。
我々便利屋は、基本料金三千円をいただいていて、その後は一時間ごとに千円をいただく、という料金体系になっている。そのため、当初の依頼が早く終わった際には追加の依頼を受けることも多い。
私はもちろんその依頼を引き受けた。私は彼の指示通りに、段ボールや引き出しにある書物や衣類一切を、その狭い部屋にすべて広げる作業に取り掛かった。いったん全てを広げ出してからそれぞれを適切な場所に戻していくのが、彼の片づけの作法らしかった。彼の部屋の隅には段ボール三つ分にもなる書籍と衣服が安置されており、それらすべてを一堂に広げ出すとなると、当然彼の狭い部屋は足場もない程に埋め尽くされることになった。
ようやくすべてを広げ終わった段階で一度休憩をとることにした。夏の終わりに差し掛かっていたが、古いアパートであったため熱気が室内に充満しており、とても暑かった。

「座れるとこ少ないですけど、どこかに腰掛けてください」
そう言うと彼は冷蔵庫からペットボトルの水を二人分運んできた。私は礼を言ってそれを受け取った。    そして我々二人はベッドの上の衣服を押しのけて、かろうじて空いたスペースに腰掛けた。
「今のこの部屋の状態を見て、どう思います?」
彼は突然私にそう尋ねた。
「どうって、そりゃ服とか本とか散らばってて汚いけれども」
「そうですよね」
彼はうなずいて、一口ペットボトルの水を飲んだ。
「でも、この汚さは単なる汚さではなく、秩序のある汚さだ、そう思いませんか?」
私は今一度服や本でいっぱいの部屋を見渡した。それらは規則に基づいて散らばっている、とは到底言い難いように感じられた。シャツやズボン、単行本や文庫本などがむしろ無秩序に散らばっているように思えた。少なくとも、私がそれらを取り出す際には何のルールも秩序も法則もなかった。
「よく分からないな。ばらばらに散らばっているように見えるけど」
「私が言いたいのは、つまり、この汚さは片付けの過程における汚さだ、ということです。この汚さはあくまで次の綺麗さ、美しさに移行する段階の汚さであり、単に怠惰や諦めからくるカオスのような汚さではない、ということです」
「なるほど」
彼はどうやら物事の性質を一つ一つ丁寧に観察するタイプの人間であるらしかった。そしてそれらをきめ細かく分類分けし、各々に適切な名称を与えるのが得意な人間であるらしい。私はこれ以上彼の汚さの美学を聞く気にはなれなかったので、彼の話には相応の相槌を打ったうえで別の話題を振った。
「ところでたくさん本があるけれど、君は本を読むのが好きなの?」
「読むのが好きってのもあるし、最近は研究するために書籍を蓄えてたりもしています。自分、物書きなんです。全然売れてないですけど」
「そうだったんだ」
どうやらそれは本当らしかった。改めて観察すると、過去の文学賞の受賞作品が掲載された冊子がいくつか散らばっており、その上にはサインペンで大きなバツ印が書かれていた。そして、机の上には原稿用紙が何枚か重なり合って置いてあった。文フリなどでいくらか本を売ったこともあるようだが、それだけで生計を立てるには厳しいように感じられた。
「でも周りは、俺が小説を書くのを認めてくれないんです。俺がただ何もせずに、一歩も前に進んでないと思っている。あいつらは、常に見栄えが良いことしか考えてなくて、ちょっと立ち止まることですら許してくれないんだ」
彼はどうやら熱くなったのか、さっと立ち上がって話をつづけた。
「物事が次の層に進むには、必ずその混沌とした中間地点があるんです。その混沌さは決して醜いものなんかじゃない。蝶になる前の蛹、あれと同じなんだ。俺は間違いなく書けるようになっている。ええ、次こそ完璧な小説が書けるんだ。間違いなく今度の新人賞に引っかかってるはずなんだ。そしてもっともっとたくさん売れるようになるんだ。そしたら、今この瞬間が、この混沌が、きっと美談になる。俺はそう信じてるんです」

その後、散らばった衣服類や書籍を彼に言われたとおりに整頓して今日の依頼を終えた。
別れ際、急に熱くなってすみません、とやや照れくさそうな様子で彼は言った。書店であなたの本を見かける日を楽しみにしています、と返事をして彼と別れた。
帰りの車の中で、彼の言葉を反芻していた。秩序ある汚さ、移行期の混沌、蝶の前の蛹。
決して前の会社が嫌なわけではなかった。むしろある程度なんでも器用にこなせるタイプである私は、着々と、まさに理想の成長過程を辿って仕事を呑み込んでいった。上司にも、君は若くして昇進できるだろう、と言われた。でも、どこか掴みどころがなかった。仕事を続けていった先の自分をうまく想像することができなかった。昇進とか昇給とかこれっぽっちも興味がなかった。仕事ができないやつの孤独には時に大きな同情が寄せられる。しかし、仕事ができるやつに向けられるのは単なる妬みだけだ。そして去年、梅雨が明けて、刻一刻と夏の背中が見えだしてきた頃、私は思い切ってその会社を辞めた。
もう少し、このまま便利屋を続けてみても良いのかもしれない。自分で勝手に退化したと思っていたけど、単に羽を広げ損ねた蝶がまた蛹に戻っただけじゃないか。新しい羽を広げる時に備えて、今はやるべきことをしよう。そう思いながら、少し傾いた、しかし明日の確かな晴天を思わせる西日を前に、私は車を走らせた。

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