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【反読書論】本当に読書は素晴らしいことばかりなのか?
読書は素晴らしい。
掛け値なしに素晴らしい。
と、本好きな人はいう。
いや、本当の本好きは言わない。
本を割とよく読む人が
そんな風に言う傾向がある。
でも、デメリットがない行為はない。
お金もちの人が必ずしも
幸せばかりではないことや
博覧強記な人が必ずしも
幸せではないことを思えば、
読書は手離しで喜ばしく、
幸せしか招かない行為ではない。
パッと、身の回りを見渡す限り、
本の虫には、
世間知らずが多いように思われる。
私も含め(汗)。
本をたくさん読んでいて、
作家にも詳しくて、
知識も人並み以上で、
でも、というか、だからというか、
自分は人より知識があるという
優越感が見え隠れする人もいる。
この人工知能の時代に、
それは明らかに時代錯誤でしょう。
ならば、世間知らずは
どうやったら、直るのか?
世間に交わればいいのか?
というと、
事はそんなに単純でもないですね。
世間知らずなマインドのまま
世間に出て行っても、
世間知らずは世間知らずだ。
だから、寺山修司の提唱通り、
書を捨て、街に出たとしても、
仕方がないんです。
世間知らずかどうかは、
また、その人の元来の性格?
キャラクター?によって
良いことか?悪いことか?
変わって来ますね。
愛嬌の豊かな人ならば、
その人の世間知らずさは
長所になるかもしれない。
愛嬌が不足気味な人なら
世間知らずさは、
単にイヤミな奴にしかならない。
ただし、
この世間知らずさを計算で、
今流に言えば、あざとく図るならば、
愛嬌が豊かだろうと不足だろうと、
いやらしさがつきまとう。
そんなことに思考を使う位なら、
本の虫は、きっとその時間を
読書に費やすでしょう。
読書は単なる人生の営みの一部分、
というしかないでしょうね。
食べること、
眠ること、
スマホを見ること、
風邪を引くこと、
ゲームをすること、
麻雀をすること、
用を足すこと、
死を迎えること、
そうしたことと同じで、
読書はあくまで人生の一部分でしか
ないんですよね。
あくまで、、、。
ではなぜ、読書は、
つい、立派に見られがちなのか?
それは、
読書について、
表面的な先入観が根強いから、
ではないでしょうか?
スポーツができるから、
その人はスポーツマンシップが
あるかというと、そうは言えませんね。
運動神経がいい人には
なれるかもしれないけど、
それはあくまで副次的な側面です!
というような事実は
誰もが知るところではないかしら?
つまり、読書もまた、
あくまで人生の一部分でしかない。
教養がつくかどうかは
副次的な側面でしかない。
数学者が方程式を見ると
解かずにはおれないように、
本の虫は、そばに本があれば
読まずにはいられないように。
教養のために本を読む、
素晴らしい行為だから本を読む、
そんなことはあくまで
副次的な側面に過ぎないと知り、
たくさん読書して知識を得たことも
なんの自慢にもならない、
そう分かるあたりから、
読書は第2ステージになるのかも
しれないですね。
読書はなにも手離しで
素晴らしい行為ではない、
世間知らずになり
自惚れが強くなる、
恐ろしい行為でもあるんです。
まあ、この記事は、
あくまで、読書の悪い側面を
並べたてましたので、
反感を感じる方々も
多いかもしれませんが、
読書に対する先入観を
解かずにはいられない、
そんな焦燥に駆られた朝でした。
お気を悪くしたらすいません。
現代社会は、
一割の本好きと
9割の、本を読まない人に
分断されている、
その元凶は、本好きが
読書をやたら素晴らしいと
褒め過ぎなためではないかしら?
本当の本好きな人は
もっと地に足のついた読書をする。
読書は素晴らしいなどとは
死んでも言わないでしょうから。