【読書】戦後文学は歴史の偶然に咲いた、あだ花?
もうしつこくて申し訳ないのですが、
もう少しだけこだわりたいんです!
「戦後文学」は貴重な作品が多いから、
引き継がれて欲しい。
昭和が嫌いな方にも読まれて欲しい。
そう思ってました。
大江健三郎や開高健、阿部公房や島尾敏雄、
小島信夫や阿部昭、大岡昇平や吉行淳之介、
吉本隆明、埴谷雄高、後藤明生などなど。
これらの作家は
いわゆる「純文学作家」であり、
硬文学を書いた人とされている。
その一方で、「娯楽小説」を
書いた人の作品って
あんまり「戦後文学の遺産」
といった呼ばれ方はしませんね。
「娯楽」は「軽く」扱われてきました。
三島由紀夫や遠藤周作らは
純文学と「軽小説」を
描き分けて色んな読者を
喜ばせていましたね。
三島は個人的には
『命売ります』『夏子の冒険』
『永い春』など軽小説が好きでした。
遠藤周作も
『彼の生き方』『砂の城』など
軽小説にも名作がたくさん。
というか「純文学」という概念が
明治以来続いてきたこと自体が
実は「異常」なことだったかもしれない。
特に戦後文学といった作品群は、
歴史的に見れば、あだ花というか、
奇体、奇形な存在だったのかも。
江戸時代までは、
庶民を喜ばせる娯楽の読み物が主流。
それが明治、大正になって、
不機嫌なインテリたちが
哲学っぽい悩みをあれこれ
懊悩した作品が書かれ出したのが、
純文学の走りですね。
これが昭和(戦前)になると、
私小説とか自然主義といった
たわいない人生の一部を見せるのが
主流になる一方で、
マルクス主義文学のような
社会の改革を目指す作家も登場する。
また、そのどちらでもない
川端康成や横光利一ら
新感覚派というのがあって、
いわゆるドラマらしい物語を書いて、
異彩を放ったらしい…
まあ、バタ臭くてカッコよかったらしい。
でも、よく考えたら、これが
いわゆる普通の「読み物」ですね。
それがいち派閥に過ぎなかったことが、
そもそもおかしかった。
その後、1945年の敗戦があって
焼け跡や闇市でのどん底生活が
日本を覆うなか、
戦争を色んな年齢・状況で体験した
青年や女性がもう一度、
哲学っぽいところを出発点に、
人生を描こうとした、
人生とは一体なんだ?と。
それが戦後文学の純文学となって…。
それから、もうひとつ、
文学が輝ていていた理由があります。
1950年代、60年代、70年代は
とにかく本がよく出され、
よく読まれ、よく売れました。
だから、どんな駅にも書店が
できるようになったんですよね。
書店をやったら、元手がなくても
かなり儲かった。返本制度がそれを支えた。
そんな時代があったんですねえ。
しみじみ。
でも、1980年からは、
村上春樹や山田詠美、吉本ばななの登場で
確実に「純文学」は解体し始めます。
読み物としての楽しさ、魅力が
芸術性よりも大事だということに
なっていったんでしょうか?
平成時代にはミステリーを中心に
エンタメ文学がどんどん増えました。
もう今では、純文学と大衆小説は
どっちがどうだ?ああだ?という
議論すら無くなってきました。
と、ここまでわりと長めの射程距離で
考えていきますと、
「戦後文学」という純文学たちは
歴史的にはほんの一瞬さいた、
偶然のあだ花でしかなく、
それを特別扱いしようと
つい構えてきた私がどうかしていた?
きっと、そうなんです(笑)。
だから、歴史の流れの中で
徐々に読まれるものが減って、
絞られていくのも、また
おかしからずや。
後は、絶滅危惧種の文学オタクが
読むだけになっていく、
それもまた「歴史」の必然?
ということなんでしょう。
ああ、こう考えると、
戦後文学がどんどん
読まれなくなっている現実は
それはそれかなあ。
悲観的になる必要はないですね。
戦後文学が遠ざかるのは、
私たちの社会がそれをどこかで
望んでるのかもしれません。
でも、時代はまた回り回ってきます。
いつか、また新しい「純文学」が
予想もつかない新しい地面から、
ニョキニョキと生えてくるかも
しれませんしね。きっと(笑)。