【読書】読んだふり本、第1位は何でしょうか?
今年は、
ジョージ・オーウェルが書いた
『1984年』題名から
40周年に当たる年ですね。
オーウェルが『1984年』を
書いたのは、1949年でした。
オーウェルにとっては、
遠い未来のつもりだったでしょう。
それをすでに40年も過ぎていたなんて。
そうして、肝心の中身は、
世界に「独裁者」が幾人も
誕生し、争いを起こす現在の事態。
冷戦が崩壊した時代、
マルクス共産主義国が終焉した時代、
オーウェルの作品は、
並の反マルクス者の、並の作品と
見なされていましたが、
さらに数十年の月日を経て、
ロシアや北朝鮮や中国で、
独裁者が次々と現れて、
まるで「1984年」は
俄然、予言の書になってきました。
オーウェルの目には、
どんな未来が見えていたのだろう。
並の作家、並の作品では
ありませんでした。
さて。
オーウェルの本国イギリスでは
1984年は、『1984年』が
ずっとベストセラーだったそう。
と、同時に「読んだふり本」
として第1位でもあるらしい。
イギリス人の間でも、
「読んだふり本」というのが
あるんだあ(笑)、
と苦笑がこみ上げてくると同時に、
日本にも同じような
「読んだふり本」はきっと
あるにちがいないと思うと、
笑えなくなりました(汗)。
日本では、読んだふり本、
何でしょうね?
太宰治や三島由紀夫の本では
意外と、読んだふり本は
あまりない気がします。
『人間失格』『斜陽』
『仮面の告白』『金閣寺』などは
読んだ人はそう言うでしょうし、
読んでない人は、わざわざ、
冷や汗かきながら、
読んだふりをせず、
読んでないと告白する気がします。
西田幾多郎や三木清の哲学書も
読んだ人は読み、
読んでない人は読んでないと
白状しそうですね。
うーん、ならば、
日本で読んだふり本は何でしょうか?
夏目漱石の『吾輩は猫である』が
読んだふり本、No.1かしら?
いや、今は夏目漱石自体、
まるまる1冊も読んだことがない人が
増えていると聞きます。
ですが、そんな人には、
読んでおいて当たり前とは
もうそんな意識もないでしょうね?
あ、意外と、読んだふりしてる本
というか作家がいました。
宮沢賢治です。
みな、読んでるふりをしてる。
で、ちょっと読んでない事実は
あまり白状しないでいる。
バレたくはない気配を感じます。
でも後は、うーむ、見当たらない。
というか、今は読んでないことが
バレたら恥ずかしい本、
ということ自体、
つまり、読んでないこと自体、
恥ずかしいなんて後ろめたさは
時代のせいでしょうか、
もう無くなってきたのかしら?
私はさしずめ、
西田幾多郎『善の研究』と
柄谷行人の哲学書ですね。
まったく歯が立たない。
あと、海外作品では
読んだふりしてるの、
いっぱいありますよ(笑)。
ガルシア・マルケス全作品、
プルースト『失われた時を求めて』、
カフカ『城』、
コナン・ドイル全作品、
フォークナー全作品、
ジェームズ・ジョイス全作品、
などなど。
あ、後、日本の古典を入れたら、
すごくありますね(笑)。
まあ、この「読んだふり本」という
ネーミングは、ハヤカワ文庫の
『一九八四年』の訳者のあとがきから
拝借しました。
なかなか上手い言葉ですね。