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【文学】純文学は難解だって誰が決めたのですか?

今日は、嬉しいことがありました。
先ほど、このnoteで、
読書人・川口竜也さんが
私の10月10日の記事を
取り上げて下さったんです。
人生、生きてると、いいこと
あるんですねえ。
頑張って記事書いてきて良かった。
川口さま、ありがとうございます。

それから、先ほど、
「キングオブコント」で
苦労人コンビ・ラブレターズが
まさかの優勝しまして。
うわあ、絶対にショーレースで
優勝したりしない顔してる(汗)
ラブレターズが王者になりました。
うわあ、生きてると
やっぱりいいことあるんだあと
痛感させられました。

今日はもうさっきから
アイデアが浮かばず、
今日は記事書けんかなあ、
と思ってましたが、
やはり、川口竜也さんと
ラブレターズにパワーを貰いまして
やはり頑張って、記事を
書くことにしました(笑)。

ところで、
自分でも不思議なのですが、
40代後半頃から、
純文学ばかり読むようになりました。
結果として。

ただ、純文学を読むのを
誇りにしてる心理なんて
これっぽっちもありません。

同じ年代の本好きさんは
歳を取ると、大抵は
時代小説やミステリーに向う人が
増えてくるのですが、
なぜか自分はどんどん、
「純文学」を読みたくなるように
なってきた。
それがなぜか忸怩たる思いに
なってしまうのは、
純文学をいつまでも読んでる人って
世間知らずだったり、
常識知らずだったりする人間と
イコールだから、と私個人は
思っているからです。

だから、
ミステリーや時代小説には
面白さを感じないで、
漱石や谷崎や三島や大江や中上や
開高健や遠藤周作ばかりに
面白さを感じてしまう私は、
もしかして「不感症」なのでは
ないか?と不安ですらあります。

でも、やはり、まだまだ
内面的に片付けていないことが
たくさんあるんです。
まだあり過ぎて、
ミステリーや時代小説に
移れないんです。

とはいえ、直接、人生の問題を
解こうとするカントや
ハイデガーやマルクスやらに
本格的に向き合う勇気は
無いんですよ(汗)。
そのあたりは、
私は楽をしたいのでしょう。
(笑)。

壮大な哲学に向う勇気はないけれど
エンタメ小説を楽しむ余裕はまだ
持ち合わせていない。

そういえば、
純文学は難解だ的な先入観が
世の中には多いようですが、
本当は50歳過ぎて
純文学ばかり読んでるのは、
中身がまだまだです、と
言ってるようなもので、
自分は純文学が好きです、
なんてカッコつけているのは、
恥ずかしいことなんですよ。

純文学は難解なんかではありません。
難解な表現でしかまだ表せない
というレベルだよって
証拠にすぎない気がします。

前回、山岳小説で芥川賞に
選ばれた作家が、
受賞会見でいきなり
「純文学は難解な本もありますが」
と言っていたのには、
ちょっとガッカリしました。
書く側のアンタまでが
純文学イコール難解だ、
と言っちゃうなんて、、、。

純文学は、
人生を生きるのが苦手な
不器用な人間が
生きていくために必要な
問題集みたいなものではないか?
私はそう思っています。
人生の知恵に富み、
人生の問題集を解いた人たちには
もう必要がないんですよ、きっと。

難解とか面白いとかは
そのあとの話ではないかなあ。

まあ、今回の記事は、
これはこれで私の
大いなる偏見かもしれません。

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