「歴史好き」と「歴史嫌い」は分かり合えるのか?
私は歴史が好きな方です。
たまらなく大好き!と言う自信は
まだない、まあそれ位のレベルです。
そこそこに好きって感じですかね。
もっと心から歴史が大好きな人を
いっぱい知ってますから。
時々、誰かとの会話で、
歴史の出来事を例えにしたり、
置き換えたりする。
相手が歴史嫌いじゃないなら
まあ問題はないのですが、
歴史嫌いだったりすると、
すごく変な顔をされる。
自分たちの今の話をしてて、
突然、江戸時代の話をされたら、
歴史嫌いは、とにかく
びっくりし、拒否反応をする。
「300年もいきなり飛ぶの?」
「そんな歴史的人物とは比較しても
ナンセンスなんじゃないの?」
そんな言葉が顔に書いてある。
私は自分の力不足を悔しがる。
私がもっと歴史を心から愛し
楽しんでいたら、
相手にも楽しさが伝わったはず…。
だからといって、
歴史は歴史好きで話せばいい
ってことには、したくないんです。
本当に普遍的に楽しいのなら、
誰にだって楽しいはず、
伝わるはずだから。
ヤマザキマリが
古代ローマの事例を
楽しく話したり、
半藤一利さんが
幕末の歴史的な事例から
現代を風刺してくれたら、
きっと聞く側も
楽しく話が聴けると思うんですよね。
歴史は繰り返さないとか、
他人の過去の話にすぎないとか、
色々、歴史嫌いさんにも理屈がある。
歴史嫌いさんが
歴史に心を開くことは
なかなか難しいですね。
また、歴史好きも、
知識と蘊蓄に溺れてる人は
けっこういて、タチが悪いかも?
司馬遼太郎は、
歴史が好きになれば、
いっぺんに何万人もの友人が
できるんですよ、と書いていた。
今じゃない時代の「常識」を知るから、
今の「常識」を客観的に
見極める眼差しも出来る訳で…。
現代しか信じない興味ない、では、
視野も眼差しもあまりに
一方的になるから、
やっぱり歴史を知るといいのに…?
…と、私は思ったり話したりして、
これが「歴史好き失格」なんですね。
(笑)
役に立たせよう、
賢くなるために学ぼうなんて、
本当に心から歴史を楽しむ、
ザ歴史好きからしたら
まだまだ、初歩人間ですね。
歴史の楽しさで、歴史嫌いさんを
抵抗なく魅了できたら、
その時は、私も晴れて
歴史好きと自称して良い時ですかな。
まだまだ、私は真の歴史好きを
名乗れない「歴史好き失格」…。
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