【三島由紀夫】三島作品はスキャンダラスに計算されている
三島由紀夫は、純粋な
純文学作家ではない、、、。
という気がします。
必ず、発表したら話題になるよう
いわゆる、販売プロモーションを
しっかり諮っているからです。
だからといって、
作品の価値が下がる訳ではなく
その作家の価値が堕ちる訳でもない。
まず、三島は
マスコミや世間が
賛否両論にわかれるような題材を
選んでは作品にしてきた一面がある。
自身には同性愛の傾向がある、
と「告白」した『仮面の告白』。
三島由紀夫の名前を
日本文学の歴史に刻みつけた話題作は
しかし、ただの同性愛告白の本と
片付けられない厚みがあります。
題材にしたら
世間を騒がせること間違いない
という意味では、
戦後の社会をにぎわせた
金融事件「光クラブ事件」。
その年若き宰領を描いた
『青の時代』も、
三島由紀夫らしい作品だし、
戦後の虚無をシニカルに描いて、
単なるルポルタージュを
遥かに超えた名作。
しかし、三島由紀夫自身
もう少し、自身の中で
寢かせてから書くべきだったと
出来には満足できなかったらしい。
私の三島ベスト3には
入る快作だと思うのですが。
それから、
「プライバシー問題」で
三島が訴えられた
『宴のあと』も
話題になること間違いなしの
側面が最初からしっかり
備えられていました。
政治家の私的な記録を
作品作りに利用したという意味で。
それから、
同性愛や性的不能を扱って
話題となった『禁色』。
そうして
忘れてはならないのが
京都金閣寺が放火された事件を
正面から取り上げた『金閣寺』。
金閣寺放火事件は、
三島由紀夫が作品化した時期に
他にも水上勉も小説にしている。
三島由紀夫は
思っていた以上に、
マスコミや文壇や世間で
常に騒がせる側面を
あらかじめ作品に持たせている。
もちろん、三島に
真意を尋ねても、
「いやあ、書きたいことを
書いていたら、たまたま
そうなっただけだよ」と
イタズラな表情をして
得意げに語るに違いない(笑)。
しかし、
「書く以上は
必ず読まれなくては意味がない」
という命題に、
あまりにピュアな信条を
三島はいだいていたに違いない。
その点は、
三島がライバル心を燃やした
太宰治よりはるかに
打算的であったことは確かだ。
打算的であることは、
なんら悪ではない。
芸術にはそれが必要だし、
読まれる努力が必要なのに、
日本では、計算という名の
販売プロモーションがあまりに
おろそかにされている。
三島が心がけていたのは、
打算ではなく、
読まれるための計算!である。
そうして、
読まれる努力をおろそかにして
恥じない甘えた小説は、
発表されたそばから
忘れられていくだけだろう。
三島由紀夫を読みながら、
今日はマーケティングの講義を
受けていたようだ。