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【エンタメ】創作とは、誰かを楽しませる前提かどうか?

夏目漱石は『こころ』を
どんな意図、狙いで書いたのか?
私はエンタメとして書いたの
だろうと思うんです。
孤独と愛に関する深刻なドラマは
暗くて辛い印象ですが、
それは今のエンタメを
基準にしてしまうからで、
夏目漱石が執筆した当時は、
人の心を打つものとして
優れたエンタメとして
歓迎されたと思うんです。

今の基準や価値観は一回
わきに置く必要がありますね。

エンタメとは何か?
誰かを楽しませる力を宿した
作品を作ることでしょうか。

今、エンタメというと、
すぐに浮かぶのは、
YouTuberやラッパーかしら?

自分の気持ちや言葉を語るには、
今は文学より、 ラップやダンス、
YouTubeなどが喜ばれますね。

夏目漱石も、今生きていたら、
小説を書いていなかったかも
しれません。
落語好きな漱石なら、
YouTubeで江戸っこ弁の
楽しいトークを披露してた
かもしれません。

エンタメであるとは、
最初から 第3者を想定し、
誰かを楽しませたり、
深く心をうつよう作られるのが
ポイントでしょうか。

単なる日記でもなく、
独りごとでもなく、
誰かに読まれ、見せる前提。
それは、noteも同じですね。

『こころ』を書いた時の漱石に
引っかかるとしたら、
誰かに読まれることを想定しつつ、
自分を治癒・救済するためでも
あったこと?でしょうか。

その二つを両立させるのか?
自分を治癒させて、しかも
読者からお金をもらうのか?
ちょっと厚かましいなあ。
漱石は厳密には、読者からでなく、
彼を雇った朝日新聞社から
お給料をもらってた訳ですが、
まあ、変わりはないですね。

自己治癒、自己救済は
そもそも芸術の大切な種子で、
これなしでは創作も
深さや迫力は出ないでしょう。

何か書く、書きたくなる時は
多少は「病んでる」ことが
有利に働くのでしょうね。

もちろん、誰にも一切
見せないつもりでひたすら
自分の気持ちを書いたことが
ありますが、途中から
頭がおかしくなりました。
やはり、文章は、
人に見せてもおかしくない
つもりで書くのがいいのかな?



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