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【作家】創作は読者の指の爪先を震わせるチカラ?

本はいい。
読書はいい。

今日の夕方はカバンに、
村上春樹と
松本清張と
古井由吉、
南アの作家クッツェー、
それから、
政治哲学者ハンナアレントの
エッセイ的な文庫を
一緒に詰め込んで、
マクドナルドに来ては、
取り替えながら読んでいます。

たくさんの
偉人、先輩、同時代人、
作家、学者、
日本人、南ア人、ユダヤ人と
色んな要素の人たちの話を、
1箇所でじっと聞いていることが
できるんですよね、読書は。
まるで、街のあちこちに
哲学者が立って
説法をしてる古代ギリシア
みたいじゃないですか?

それで自分は
気に入った人の前に立ち、
話に耳を傾ければいい。

15分したら、
また隣りの説法哲学者の
ところに行けばいい。

それで、気にいらなければ、
またここに帰ってくればいい。

ただ、ずっと誰かの話を
聞く側で居続けることで
人は「自分も一度、
ああやって説法を市民に
説く側になってみたい」と
思うようになるかもしれない。

人が本を出したくなるのは
そういう心情なんでしょうか。

私は小説を書こうとは思えない。
今まで読んできた
才能たっぷりな作家と並べる位
ひいでた構想など持ってないから。

昔、一度、本屋でみた
小説家の言葉が今も忘れられない。

爪の付け根がしびれる感覚を
味わってください、と
そのサイン色紙は書いてあった。

それは、村山由佳か小池真理子が
書いた色紙だったような、、、
ちょっとうろ覚えになってるけど、
中身はずっと忘れていない。

私がまだ20代で、
つまり25年近く前で、
自己満だけの恋愛小説を書いていて。

でも、決して読者の爪先を
電気が走るような、
ピリピリさせるような作品でなかった。
肩を落として本屋を出たことを
覚えています。

私はその日から
読む専門になってしまった。

それからずっと
誰かの話を聞いている。
が、これがまた楽しい。

一生かけても、
聞きたい(読みたい)話は
まだまだいっぱいで多すぎる。

人生のくれた時間では
間に合わないかも。

今はまだ聞きたい話が
多すぎる、ありすぎる。

読書欲がありすぎて、
創作欲はそんなにない(笑)。

この読書欲と創作欲の
シーソーゲームで、
創作欲のほうが上回ったら、
何か書いてみたい
誰かに聞いて欲しいと
いつか思うんでしょうか?

その時、誰かの爪先を震えさせる
ことができるでしょうか。

そんな自信はないなあ。
なさすぎます。

でも、人生、一寸先は闇!
あした、急に何か書きたいと
思うかもしれない。

まあ、今は指の爪先を
人から震わせてもらって
幸せです。

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