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【読解力】映画から無くなったのは、タバコ、ピストル、読解力?

『ゴッド・ファーザー』
『アンタッチャブル』
『レオン』『セブン』
『エレファント・マン』
『ショーシャンクの空に』
最近、こんな古い映画を観ています。
懐かしい作品ばかり。
TSUTAYAの店内で70、80、90年代の
名作がズラリ陳列されているからです。

思えば、どの映画も
タバコがプカプカ吸われて、
ピストルも何十回も打たれます。
今はもうこうした映画作りは
出来ないでしょうね。

特に、もう今では考えられないものが
上に書いた映画にあります。
『エレファント・マン』です。

この映画は見終わった後、
監督がどんな風なメッセージを込めたか、
あるいは、どんな意図や解釈を込めたか、
観た人たちには何一つ与えられず、
突き放された感じになるんです。
全米が泣いたりもしない(笑)。
全米が感動したりもしない(笑)。

もちろん、映画をどう観るかは
観る側の人間の自由です。
好きに観ていいはずです。
でも、デビット・リンチ監督は、
そんな自由を与えてくれないのです。

心に深く長くいつまでも迫る
プレッシャーのような衝撃があります。
「私は私が観たいように映画を観るよ」
では済まされない深い業のような何かが
こもっているからです。

デビット・リンチは他にもそうした、
観賞した人を不安に追い詰めるような
怪作をたくさん撮ってきました。
『ツイン・ピークス』
『イレイザー・ヘッド』
『マルホランド・ドライブ』
『ブルー・ベルベット』など。

『エレファント・マン』は
世にも奇妙ないきさつから
象に踏みつぶされたような顔を持つ
奇形した青年の一生が描かれてます。

身体障がい者差別を無くしましょう
なんて、美しい市民モラルの次元では
作られていないからか、
デビット・リンチ監督の世界に
慣れていない人間には、
どう振る舞ったら良いのか分からず、
本当に困ってしまいます。

映画の中では、
見世物小屋で主人公を恐れ、笑い、差別する
一般人が、どうも私達の姿では?と
突きつけてくるものがあります。

安全な場所で、
他人事のように観ることが
とても難しい映画なんです。

だから、観る時は体調がよく
気持ちも安定してる時がベターですね。
観るタイミングを選ぶ映画です。
暗くメンタルが下がっている時に観ては、
最後まで観られるかどうか…。

映画の中には、
タバコやピストルも絶滅しそうだけど
『エレファント・マン』みたいな
受け取る力、読解する力を問われる
映画は確かに減ってきました。

近年は、解釈やメッセージは
どれも分かりやすい映画が増えました。
読解力が問われることはありません。

それは映画の作り手たちが
きちんと100%観る人間に伝わって欲しい
と考えているからかしら?
あるいは、観る人間の読解力を
少なく見積もってるからでしょうか?

もう少し、観る側の読解力を
信頼してくれても良いのになあ、
ね?映画作り手の皆さん!

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