【感動】恋愛、読書、映画…最高得点はアップデートしてますか?
ここ最近の自分の毎日を振り返って、
幸福感や高揚感、感動の大きさで、
若い時の体験を上回っていないで
いることに気づかされます。
今は51才だけど、
32才の時にした恋愛を上回る恋は、
それから一度も体験しなかった…。
よほど、その時の彼女との
会話や寛ぎ感が高過ぎたんでしょう。
そんな恋愛体験をしたことを
宝物と思うべきか?
その後の18年近くを、
不幸な時代だったと、かこつべきか?
同じような恋などないとしたら、
比較するのはそもそも間違いかな?
本や映画でも、ちょっと似たような
ところがあるかもしれませんね。
20才頃に読んだり観た作品は、
小説や映画の鑑賞基準になっていく。
でも、その後、新たに観たり読んだ
作品が以前より感動させてくれて、
感動がどんどんアップデートされてく
といとうのが普通というか本来。
ずっと定期的に感動が上回って
アップデートされていけば、
時代とのギャップも感じないで済む。
でも、実際はどうかというと、
20代に観たり読んだものが、
今も最高であり、基準であったりする。
少なくとも私はそう。
それで、つい、アベンジャーみたいな
最近の映画は作りものばかりで
詰まらないなあ…と嘆きがちになる。
私の場合、映画は25才で観た
『ショーシャンクの空に』が
最高点数のまま。
本は20才の頃に読んだ
夏目漱石『それから』の感動というか
衝撃が最高点数で、
それを上回った体験はないから
それからの30年は、読書体験に関して、
ずっと下回っていることになる。
…と考えるとちょっと寂しいですね。
話は変わりますが、
関西のお笑いを、ある脳科学者が
集中的に非難しているから
彼のブログやTwitterを覗いたら、
そこには、最近のお笑いへの非難より
数十年前の浅草漫才など、
古いお笑い文化がやたらと称賛され、
価値基準になっていることを知って、
ゾッとさせられました。
昔は良かった、昔のお笑いは良かった…
そんな話をしている脳科学者の
主張や非難を読んでると、
私もつい映画や小説で、
昔は良かったとなりがちなので、
その愚かさを思い知らされました。
ああはなりたくないなあ。
やはりアップデートしてくしかない。
幸せは記憶の中にしか宿らない、
ともいうけれど、
昔は良かった人間にはなりたくない。
アップデートが必要ですね。
これはある意味、命がけだなあ。
お笑いや読書や映画なんて本当は、
もっと気楽に味わうものなんですけどね。