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【自分】私とは一体何だろう?

自分とは何か?
作家では誰の例えが一番うまいか?

1980~90年代の若い人には、
「自分探し」が当たり前でした。
三田誠広の『僕って何』という
小説が芥川賞になり、
ベストセラーにもなりました。

でも、探しても探しても、
大学卒業前になっても、
大抵の人は、自分の中に
何も見つけられなかった、
そんな痛い体験をした人も、
いるのではないでしょうか。

自分とは何か?
その問いに答えはないな、
と諦めるのがいわば、
青春の終焉ともいえそうです…。

「自分探し」の後、
自分にまつわる言葉は
しばらくなかった気がしますが、
ここ5〜6年前から流行ったのが
「自己肯定感」でしょうか。

自分とは何か?というテーマは
そう簡単に消えはしないのか。
過去の作家たちは、この問いについて
どんな風に語ってきたでしょう?

宮沢賢治は自身を「電信柱」と書いた。
人間はみな一本の電信柱。
地上にみんな並んで立ち、
壮大なエネルギーをみんなで支える。
世界とは何万本もの電信柱だと。
さすが児童文学の天才は例えも
幻想的で深味もある。

坂口安吾は自分は「空っぽ」だと
書いていますが、安吾はまた
自分は偉大な落伍者だと
宣言していました。

夏目漱石は「則天去私」。
自我や自意識に悩み苦しんだ
挙げ句に夏目漱石は、
自分への執着ははなくせ、としました。

自分とは、大切な何かを語るため、
地上に遣わされた
「語り部」や「使者」にすぎない
という作家は多いですね。

でも、これは自信か無さそうで
実は、表現者として凄い自信が
ある人しか思えないですよね。

何か壁にぶつかった時は、
宮澤賢治のように電子柱だと思ったり、 
坂口安吾のように空っぽな容器を
想像してみたりします。

自分は特別な何者かではない!
という自覚を持てることが出来れば、
心が自由になれそうですね。


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