【読書】誰でも一つはアレルギーが起きる本や分野がある?
誰でも一つくらいは、
アレルギーを持っているのでは
ないでしょうか?
先日、村上春樹のエッセイ
「切腹からメルトダウンまで」を
読んでいたら、
冒頭、あるアメリカの
ミュージシャンの逸話が
紹介されていた。
入院するミュージシャンに
看護士が「何かアレルギーは
ありますか?」と尋ねた時、
ミュージシャンはこう答えた。
「カントリーとウェスタン音楽は
苦手だな」と。うまいなあ。
そんなエピソードを引用しながら、
村上春樹は、自分なら、
日本の私小説かなと言う。
なるほど、人には
何か食わず嫌いとか、
試してみて嫌いになったものが
1つ2つはあるものでしょう。
私にも、アレルギーを起こすような
苦手なものはあるだろうか?
矢沢永吉はアレルギーの一つだ。
また、矢沢ファンも苦手だ。
ぐいぐい、矢沢の良さを
押し付けてくる、
屈託のなさがもう苦手だ(笑)。
では、読書面ではどうだろう?
相手が、学者ベイトソンを
うっとり信奉でもしていたら、
多分、ちょっと苦手だ。
ベイトソンは心理学では
ダブルバインド理論を提唱した
立派なアメリカの学者だけど、
精神の発達、精神の進化を
あまりに当たり前に
信じているところに触れると、
私はアレルギーになる。
そうした、神秘主義が怖いのです。
ベイトソンは、70年代80年代の
日本でも信奉者がたくさんいました。
70年代80年代に、
日本やアメリカで流行した
神秘主義は、
ニューサイエンスとも呼ばれた。
私には、80年代に日本を包んだ
カルト宗教、新興宗教の流行と、
無関係ではない気がする。
それから、同時期に流行ったのが、
神秘的なテーマを追求した
アメリカの作家、
コリン・ウィルソンの活躍も、
ニューサイエンスと
無関係ではない気がするんです。
今じゃあ、コリン・ウィルソンなんて
誰も読んでませんけれど。
もっと言えば、
同じ時期?に、
『地球交響曲』(ガイアシンフォニー)と
いう映画を何本も創った映像作家で
龍村仁さんがいましたね。
私も当時の熱に浮かされて
観に行ったクチでした。
また、日本の実業界で
大きな力を持っていた
船井幸雄(ふないゆきお)という、
経営者、自己啓発家、実業家、
神秘主義者がいました。
まるで、一見、稲盛和夫みたいに
その時代を代表する実業家でしたが、
その言動の背景には、
神秘主義が宿っていました。
私は当時から、船井幸雄には
近づきませんでしたが、
周りにはいっぱい読んでた人も
珍しくありませんでした。
コリンウィルソンも、
龍村仁も、
ベイトソンも、
船井幸雄も、
合理的な西洋型サイエンスでは
説明できない何かについて
なんとか正解を出そうと夢中な、
ロマンチストだったんでしょう。
今おもえば、世界には、
答えが出ないことがあったって
いいじゃないですか。ね?
私はそこがどうしても
ついていけなかったし、
気味が悪かった。
コリン・ウィルソンは、
私は胡散臭い神秘主義者だと
自らそんな風に存在してたから
まだ潔かったけれど、
船井幸雄はまっとうなビジネス書で
宇宙論的な真髄からビジネスを語るから
そこが気持ち悪かった。
ベイトソンは、
この21世紀、今なお、
愛される心理学者ですが、
エコロジスト?とか、
スピリチュアルな進化を語る場合には
とたんに怪しくなる。
すると、私の固い殻は急に怖くなる。
まさに、そこ辺りが私のアレルギー。
なぜ、そもそも、精神は
変化ではなく進化していると
信じて疑わないのだろうか?
そんなベイトソンの著作が
最近、岩波文庫で4冊も訳され
発刊されました。
1970年代80年代の、
ニューサイエンスのような時代が
一周して、また今になって、
再流行するのでしょうか。
おもしろくなってきましたね(笑)。
私は、精神の進化を
うかうか信奉するような
ユーモアは持ち合わせていないので、
恐怖すら感じてしまうだけですが。
あなたにも、
アレルギーな分野や作家は
ありませんか?