【作家】文学に人生論は必要だと思いたい?
自分はつまらない男だなって
たまに思うことがあります(笑)。
私の読書傾向は
無難でコンサバで遊び心がない(笑)。
人生をよく知りたいだけだ。
人生の機微にコミットしない小説は
なんだか、無駄話を聞いてるよう。
人生にコミットしない作品は
読んでいてもビビビと来るものが無く、
物足らなく感じてしまう。
芸術至上主義や耽美主義、
脱人生論的な世界を書いた、
谷崎潤一郎や川端康成、
三島由紀夫や渋澤龍彦ら。
実際、人生に悩みがあっても
彼らは作品に人生論を持ち込まなかった。
美学、ダンディズムなのだろう。
文学は人生論や幸福論とは別物で、
文学はもっと気高いものだ、
と言いたかったのでしょう。
逆に、文学にすぐ人生論を
持ち込んだのは、
夏目漱石や小林秀雄、
太宰治や坂口安吾、大江健三郎など。
文学も人生論や幸福論に奉仕し、
人生の役に立つべきだという
考えが前提にあるようだ。
これが明治以降の文学的な
思想的な多数派、王道でした。
文学や物語が、
政治や社会のためにあると
極端に考えぬいたのが、
かつてのマルクス主義文学、
プロレタリア文学でした。
今は「政治と文学」なんて議題が
熱い話題になることもない…。
政治と文学はもう関わることも
なくなってしまった。
あ、また話が逸れました。
文学は気高く、人生の奴隷ではない、
そう谷崎潤一郎や川端康成らは
考えていたゆえ、
作品に人生論は書き込んでいないのだ。
それを気高いと感じるか?
私は粋な精神への理解力がないらしい。
人生という深い森にいて、
迷いに迷うさまが描かれる小説を
価値が高いものだと思ってしまう。
ダサいかもしれない。
真面目くさってるなあ(笑)。
たまには、
人生論や幸福論はさておいて、
惚れたはれたの恋愛小説でも読んで
人生の疲れを癒してもらいましょうか。
文学は人生より気高いか?
文学は人生の奴隷であるべきか?
永遠のテーマ、いや迷いですね?
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