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【読書会】今日は、女性のエッセイについてお話しませんか?私は向田邦子と須賀敦子のお話です。

三度めとなる読書会。今日のテーマは
女性が書いたエッセイです。

私は昔から、女性のエッセイの方が
男性のエッセイよりもいい。
そうずっと思って来ました。

①女性のエッセイは
ウンチク自慢に走らない。
②女性のエッセイは、
主観的な断言でも
皮膚感覚に裏打ちされてる。
③女性のエッセイは
視野が広い中で書かれている。
④女性のエッセイは
どこか物語の一部のよう。

「きっちり足に合った靴さえあれば、
じぶんはどこまでも歩いていけるはずだ。
そう心のどこかで思いつづけ、
完璧な靴に出会わなかった不幸を
かこちながら、私はこれまで生きて
きたような気がする。行きたいところ、
行くべきところぜんぶに自分が
行っていないのは、あるいは
行くのをあきらめたのは、すべて、
じぶんの足にぴったりな靴を
もたなかったせいなのだ、と。」

これは男性からは出てこない
言葉とアイデアだと思います。
自分の思い通りに自分の人生を
生きていると勘違いしてる男側には
この、靴のせいという比喩は
きっと出てこない。
詩のような美しさもある。

完全にぴったりな靴を探して
ちょっと合わない靴で歩き続けるのが
人生なのかもしれません。

私は最初、これは
「手袋を探す」というエッセイを
書いた向田邦子さんに
似ている人がいるんだなと思った。
向田邦子によく似た感性。

これを書いたのは、
イタリア文学研究者の
須賀敦子さんです。
タイトルは『ユルスナールの靴』。
そのプロローグの冒頭でした。
須賀さんが『ミラノ霧の風景』で
デビューした時、
「向田邦子の再来」と言われました。

須賀さんは、自分の人生を
かこち続けた点では、
向田さんとよく似ています。

また、人並み外れた意志の強さも
向田さんとよく似ている。

向田さんは1929年(昭和4年)生まれ。
須賀さんは、どうだろうと見たら
二人とも1929年生まれ!
同じ歳でした。
今、初めて知りました。
ちょっと鳥肌が立ちました。

向田さんは1978(昭和53年)
『父の詫び状』を上梓しました。
須賀さんは1991年に
『ミラノ霧の風景』を上梓しました。

回り道ばかりしてきたと
自分でよく書いていた向田さんは
49歳で最初のエッセイ集を
出しているのに、
須賀さんは更に遅く、
最初のエッセイ集は、
62歳の時に出している。

二人の人生はあまりに違うけど、
女であることで
どんなに不条理な苦労を
強いられたかは、
作品のあちこちに顔をだす。

明らかに、周囲の男たちより
優れた才能でありながら、
歯を喰いしばった体験が
どれほどあったでしょうか。

自分にぴったりの手袋を
探し続けた向田邦子。
自分にぴったりの靴を
探し続けた須賀敦子。

その後、実際、彼女たちは
ぴったりな手袋や靴を果たして
見つけられたんでしょうか。

ところで、皆さんは
どんなエッセイが好きですか?
どんなエッセイストが好きですか?
良かったら、この記事のコメント欄にて、
感想や思い出をお聞かせください。

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