世界遺産の石見銀山でパーソナルカラーを思い出す
世界的な銀の採掘地であった
「石見銀山(いわみぎんざん)」
16世紀から始まり17世紀には全盛期を迎え世界の銀産出量の3分の1を占めていたそうです。1943年に完全閉山をしましたが2007年に世界遺産認定されました。アジアで初認定された鉱山遺跡は529ヘクタール(東京ディズニーランド約11個分)という敷地面積であるため、全てを網羅するには難しく今回の訪問ではその一部を観光しました。
登録名が長いですね。
ハリポタ好きとしては、こういう字面を見ると
「ハリーポッターとアズカバンの囚人」のように「〇〇と△△」ルールが頭に浮かんでしまいます。ヒットの法則でしょうか..世界遺産に対してヒットという表現は妥当でないかもしれませんが、
銀山だから遺跡はわかる
でも、文化的景観って何?
評価された対象が漠然としているんですよね。実際は街並みも含めて「世界遺産」なんだそうです。
そして広すぎる世界遺産は4つに分かれていて(Wikipediaでは1,2を合わせて1つで纏めてありますが世界遺産センターでは以下4つで紹介してました。)
私が今回訪れたのは1. 大森地区、2. 銀山街道ならびに 4.湯泉津です。
今回の旅行で実感したのは地名の読み方にクセがある…
いわみ、ゆのつ、おおだ(石見銀山の所在地は島根県大田市)
湯泉津なんて「ゆせんつ」だと思ってましたから..
石見銀山日記はいかがでしょうか。
まずは世界遺産センターを目指して間歩(まぶ)ります
この世界遺産センターで石見銀山を巡る計画を立てます。銀山を見学する前に有料展示室の見学を勧められたので、まずそこへ。その他バスや
「ぎんざんカート」の時刻表などが置いてあります。ぎんざんカートを利用したかったのですが運行ダイヤが日によって変わるそうで諦めました。
徒歩で大森代官所跡へ向かいます。
途中、羅漢寺と五百羅漢へ立ち寄りました。文字通り500体の像(羅漢)があります。山を切り開いた石窟内に2つの部屋があり、それぞれの部屋に250体の羅漢(仏陀の弟子像)が鎮座していました。(撮影不可)
その迫力が凄い!
狭い部屋へびっしり収まった像は皆、表情が豊かなのです。
ほぼ全員笑ってる、微笑みではなく大笑いして腹捩れるってくらいの顔。
悟りを開いてこんなに笑っていられたらいいな。五百羅漢像の前には高野山真言宗の羅漢寺があります。この寺は、鉱山で亡くなった人々の霊とご先祖様の霊を供養するために建立されています。こちらはなんと!
「縁切り」と「開運」を同時にお願いができる場所でした。仏像の胎内くぐりが出来るという仕掛けつき。仏様の胎内を通ることによって生まれ変わりを疑似体験できるというもの。神々しいツアーの先には山が掘削されて5体の羅漢様がいました。胎内巡りをして生まれ変わった(かもしれない)私は恐れ多くて羅漢様の写真を撮れませんでした…きちんとお参りはしました。
羅漢様にお参りをして歩いていくと、ようやく大森代官所跡へ到着!
ここには風情のあるカフェや街並みがあり観光客が必ず立ち寄るであろう、センター・オブ・ザ銀山跡。旅行パンフレットに載っている風景が広がっています。大森代官所跡の停留所前にあるお店で電動自転車を借りました。
龍源寺間歩(りゅうげんじまぶ)へ向けて出発。所要時間は電動自転車で15分程、徒歩ならば45分くらいかかります。
久しぶりの自転車、キツかった…電動ってもっとパワーを補助してくれるのかと思ったらスタート時にグイッと前に進むだけで後は自分で漕ぐのみ!運動不足を思い知らされます。太ももがヒクついてきました。
そして、とうとうお目当ての間歩へ
「まほ」じゃないんですね..山言葉だそうです。
龍源寺間歩は、石見銀山の中で唯一通年で見学できる間歩です。一番大きい間歩である大久保間歩は公開期間外でした。(予約制)
江戸中期以後に開発された間歩で、坑道の壁面や天井にはのみ跡が残っており鉱脈を追って掘り進んでいた様子がわかりました。半身を委ねるのも苦労しそうな狭さで過酷な労働をしていた事が窺えます。金と違い、銀はそのほとんどが何らかの化合物を含み高度な精錬技術が必要であったため、採掘したのちも「使える」までにたくさんの人々の手によって貴重な銀を作り出していたようです。
(世界遺産センターの展示会情報によるもの)
銀の採取の困難さ、精錬技術の知恵と手間について学んでいる時にふと思いました。私がnoteを書くきっかけになったファッションについて…パーソナルカラーは「夏」だと診断され、その際「パーソナルが夏の人はお金がかかる、手間をかけるほど輝く、常にきちんとしていないと」とアドバイスをされました。
そして、似合うジュエリーはシルバー、プラチナ、パール
お金がかかるのかぁ…イヤだなぁなんて当時はがっかりしました。しかし、銀の採取工程を見ていたらさもありなんです。合点がいきました。
銀製品は美しいけれど磨かないとあっという間にくすみます。おそらく銀の特性とパーソナルカラーはリンクしているのでしょう。「サマーさんは気を抜くとあっという間にダサくなれるよ」とも言われ再びガッカリ。診断結果が的外れではないから身に沁みたものです。そうして、noteのペンネームもSummerにしました。
今は金の価格が高騰している一方、銀・プラチナの価格はそれほどではありません。
かつて戦国武将の毛利元就は正親町(おおざまち)天皇へ銀を献上し、16世紀に銀山は「宝の山」として争奪戦がおこりました。織田信長は鉄砲の運用と共に海外貿易への理解を持ち銀を求め始め、豊臣家は銀山を所有する毛利氏から銀を上納させます。江戸幕府では徳川家康が銀山支配だけでなく、いち早く全国の鉱山や森林資源獲得へ乗り出しました。加えて、海外ではキリスト教宣教師フランシスコ・ザビエルが「スペイン人は日本を銀の島と呼んでいます」と書簡を残していたり、ルイス・フロイスは石見銀山を「山脈と日本の銀鉱山を有する石見国」と記しています。
(世界遺産センターの展示会情報によるもの)
これほどまでに中世の日本人は銀を追い求めていた
世界は銀を強く欲していた
銀を掘り尽くして閉山してしまった
石見銀山。その跡にはかつての人々の苦労と隆盛の証が残されて、現在も自然と共存しながら生活している姿が垣間見れるのです。
街並みを散策
江戸時代へタイムスリップしたような街並み、建物の屋根は隣同士が隣接するほど密集しています。道沿いには水路が通っていて軒先にメダカがいたり、井戸があったり。鉱山周辺が生活の場として稼働していました。大森小学校は明治6年に開校、今でも木造校舎を丁寧に使い続けているそうです。
超美味しいパン屋さんに出会う
五百羅漢でお参りをして龍源寺間歩に入り、街中を散策していると空腹が我慢できなくなりました。石見銀山には和む素敵なカフェや食事処があると調べていましたが、ランチタイムに間に合わなかったり臨時休業だったり..腹ペコ状態で自転車をかっとばしていました。このベッカライ コンディトライ ヒダカに救われました。ベッカライだからドイツパン。パンに弾力があります。かといって固くない。塩プレッツェル始め、アップルタルト、栗のバゲット、レーズンパン全て美味しく頂きました!(反動で食べ過ぎ)
湯泉津(ゆのつ)でオール5の恵みの湯に入る
石見銀山を散策したあとは湯泉津温泉へ
日本温泉協会の天然温泉の審査で最高評価オール5を島根県の温泉で唯一獲得した源泉かけ流し。お湯は鉄の匂いがします。色も茶色で、地元のおばちゃまらしき人が抱えていた桶(プラスティック製)にくっきり錆びが付着していました。有難く、恵みの湯をいただき身体はポカポカに。入浴中は特に感じないのですが、湯泉津から宿泊先の出雲へ戻る途中、次第に体の芯がじんわ〜り燃えるように暖かいのです。
これが世界遺産の温泉の威力か
昔の人もこのお湯に浸かって健康を願っていたんだろうな
そんな思いを馳せて帰路についたのでした。
Junko Summer