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幸せとは主観的なもの
最近、旧い友人と話しをしていろいろと考えさせられることがありました。
友人には私と同じで成人した子どもが二人いるのですが、とにかく子どもたちのことが気になってしかたない様子。子どもたちには幸せになって欲しいといつも話しています。
親としては当然の気持ちですよね。
ただ彼女の場合、その思いが強すぎるのです。
子どもたちにはちゃんと結婚して子どもを産み育て、大きな事故などに合わず幸せに暮らして欲しいと。
子どもはこうしたら幸せになれるはずたという思い込みがものすごく、そこを外れると彼女は子どもは幸せになれないと決めつけているのです。
それは、日常のお子さんたちの生活に対してもそのものさしを使って測ってしまっています。
幸せって何でしょうか。
幸せを幸福と置き換えてみましょう。
幸福とは、心が満ち足りていること。幸せともいう。人間は古来、幸福になるための方法に深い関心を寄せてきた。 幸福についての考察や、幸福であるためにはどのような生き方をすべきであるか、その方法論を提示した文章・書物は「幸福論」と呼ばれている。幸福を倫理の最高目的と考え、行為の基準を幸福におく説を幸福主義という。
ウィキペディアより
基本的には自分の心が満ち足りていることが幸せだと私は思います。
他人と比べることはないはずです。
ある程度、多くの人が望む共通の幸福の理想像はありますが、幸せの形は人それぞれだと思います。
人それぞれ心が満たされることは違うのが当たり前。それなのに幸せになるために結婚しなければダメよ、子供を産まなければダメという親の幸せの定義を押し付けるのは現代において子どもにとってはきついでしょう。
彼女が孫に囲まれて楽しく暮らしたい…という願望を子どもに押し付けているのでしょうね。
確かに子供(孫)は可愛いでしょうね👶✨
子供(孫)がいたら目に入れても痛くない存在になるでしょう💕
でももし自分の子どもが結婚や子供(孫)を持つということを望まないとしたら??子供(孫)👶を持つことは友人の子どもさんにとっては幸せではないはずです。
幸せとは主観的なものです。
周りから見て幸せなふりをして優等生を演じるのは違うと思うし、自分が幸せだと感じる道を歩んでいくべきではないかと。
それがたとえ親の幸せの定義から外れていたとしても。
彼女は自分の幸せと子どもの幸せを一緒くたにしてしまっているんでしょうね。自分でも気づかないうちに。
私も自分の子どもは可愛いです。
しかし、子どもと私は人格が違うし、ましてや成人しています。
私自身も子どもたちの将来に対して近視眼的にならないように気をつけないといけないなとあらためて感じました。
自分のことはわからないけれど、人のことはよく見えます。
自分を振り返る機会をくれた友人に感謝です😌