クリエイティブというものに、もっとリスペクトのある社会を
あらゆる作品づくりの多くは、人間一人では実現できないことばかりで、たくさんの業界が関わってチームで動かざるをえない。チームみんなで何かを目指してモノを創り上げるということは、本来とてもかけがえのなく素晴らしいことであるはずだ。
しかし、その構造にあぐらをかいて尊厳を踏み躙る大人が利益を儲け、根本の表現者がバカを見るという事案があまりにも多い。
クリエイティブって、一体何なのだろう。
昨今話題になっている、漫画原作のドラマ化をめぐる悲しい出来事の件だけでなく、東京オリンピックのオープニング演出の問題や、コロナ禍の音楽業界の扱いの酷さといった話なども根本には同じ問題構造が流れていると思う。
"創作" "クリエイティブ" というものにリスペクトの無い大人達が、軽い気持ちで偉そうに決定権を持ってコントロールしようとしてくる社会構造。
0から1を産んだ本人を軽んじる上から目線の大人達の方針のせいで元の表現が踏み躙られ捻じ曲げられて1から100にされる。
漫画実写化の話だけでなく、音楽業界にもありふれている。
シンガーソングライターやロックバンドがメジャーデビューしてから迷走して潰されるケースも、作品を利用して利益を得たいだけのレコード会社や事務所の大人たちと、その方針に従って元のスタイルを無理矢理変えたがるプロデューサーやアレンジャーのせいであることがほとんど。
TVの音楽番組への出演や、主題歌タイアップなどによっても、アーティスト本来のスタイルや自分達のアイデンティティが蝕まれていく。
それぞれの人生から搾り出した尊い「表現」が、ビジネスの駒としてしか扱われずに机上の会議で好き勝手に弄ばれる。
あまりにもやるせない。
あまりにも屈辱的だ。
ただ、インターネットの無かった時代はそれを甘んじて受け入れて泣き寝入りするしかなかったものが、これだけの悲しい事件が明るみに出て、ようやく相対化しつつあるのではないだろうか。
クリエイターそれぞれの創作や発信が踏み躙られることなく自由に表現できる環境がもっともっと整っていってほしい。
そして、クリエイティブというものへのリスペクトの意識が、社会全体でもっともっと高まっていってほしい。
コンテンツ創作やエンターテインメントやカルチャーというものはそれぞれに尊くて、奥が深くて、素晴らしいものだ、ということがもっと多くの人に広がっていってほしい。
そんなことを考える最近だ。