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音楽の「考えるな、感じろ」な信仰って、あるよね

僕は日々、音楽についていろいろ小難しく考えたり、悩んだり、そういうことが多い。

それに対して、「つべこべ考えるな!」というような風潮が強い気がする。

雑誌やネット記事の音楽評論、専門家のSNSに対して、「難しいことはわからないけど、楽しく聴いてるんだからそれでいいじゃん」というようなコメントが溢れたり。

「『音』を『楽』しむと書いて『音楽』です」

というようなスローガンは
擦り切れるほど使われてきているし。



それに対して、僕はしばしば、

音楽について頭で考えることが、
そんなに悪いことなのか?

と思うことがある。



以前の記事にも書いたけど、僕は

「理解することよりも、まず楽しもう」

を強制させられたとき、同時に

「楽しめなかった音楽は理解されなくてもいい」

という切り捨てが発生している、と思うのだ。

マジョリティな音楽と、マイノリティな音楽。
異なる音楽ジャンルや音楽文化は
山のように存在している。

もとから多くの人が無条件に楽しめる音楽は、楽しめばそれでいいだろう。

でも、美しさがそこにあるのに、難しくて伝わりづらい音楽も、この世には数多く存在している。

ある音楽のことを「わからない」「楽しめない」人がたくさんいる、という状況が発生しているのに、ひたすら

「考えるな、感じろ」

「音を楽しめ」

というのは暴力的すぎないか?




僕は、もともと楽しむことができなかった音楽が山のように存在した。

しかし、「そのジャンル特有のルール、文化、楽しみ方」を知ることで、「わかる」音楽が増えた。そういう経験を何度もしている。



たとえば、モダン・ジャズの音源は、そのまま聴いてもやたらと長い。冒頭はカッコイイと思っても、すぐによくわからなくなって飛ばしたくなる。だから普通の人もオシャレっぽさを演出するBGMとしか捉えてないだろう。

しかし、

『各パートが順番に、テーマのコード進行を繰り返してアドリブソロが展開される。その駆け引きを楽しむ』

というような、いわばスポーツ観戦の手引きを体得することで、僕はジャズの聴き方を理解して鑑賞できるようになった。



あるいは、ミニマルテクノのようなディープなクラブミュージックにおいて、

『ただただ同じような機械音が繰り返されていて何が良いのか?』

と思っていたけど、

『リズムに乗って身体を揺らす。グルーヴを楽しむ。音の増減や微細な変化によって、テンションがコントロールされる。グルーヴが変化してから元に戻るときなどの"ご褒美"のタイミングが心地よい。』

といった、聴き方、楽しみ方を知ることで
多いに楽しめるようになった。




そもそも、僕は鍵盤に触れて育ったので絶対音感があり、『メロディやコードそのものを聴く』という聴き方をしていて、歌を聴いても歌詞が入ってくることはまず無かった。

しかし、好きになったアーティストが
『歌詞のこういう部分にこだわりました』
『こういう意図、ストーリー、思いがあって、こういう曲になりました』

と説明しているのを受けて、
それを意識することで、

『歌詞まで含めた曲の受け取り方』が
わかるようになった。



このようなことを否定して、ひたすら
『考えるな、感じろ!』というのは、

スポーツ観戦で
『ルールは全く理解しなくていい、ひたすら選手たちの熱意や思いを感じ取れ!』

と言っているのと同じではないのか???

いくらなんでも
最低限のルールは知らないと
何が起こっているのかわからないし
熱意を感じ取るにも限界がある。


クラシックでもジャズでもロックでもヒップホップでもクラブミュージックでも、ある特定のジャンルを聴かせたときに『わからない』と感じるひとは多く居る。

そこで『こうすればわかる』という手引きを知るということはとても健全なことだと思うのだけどなあ。


ここまで言っても

「音楽が『わからない』という感覚がわからない。『わかる』ことよりもまず、楽しめばいい。」

という意見が溢れる。

そういうあなたたちは、何でも楽しめる上級な音楽コアファンで良かったですね、少し黙っててもらえますか。と、つい言いたくなる。

音楽を『わかる』ことがそんなに悪いことなのか。

わからないけど何となく楽しめてるひとにとっては、僕の意見によって『楽しむ』ことを全否定されてるように感じるのかな。

そういうことではないのにな。

っていうかそもそも、
音楽の『楽』も、楽器の音という意味で
『楽しむ』っていう意味ではないし。笑

楽しめること自体は素敵なことだけどね。


そういう意味で、
関ジャムのような番組は貴重だと思う。

音楽をただ聴くだけではなく、
違った側面を紹介している。

YouTubeチャンネルやnoteだと
みのミュージックさん とかが、その役割かな。



ただ、もっと言うと、
楽しむことを強いられるのもキツいんよな。

「〇〇入門」「〇〇を好きになるポイント!」

みたいなやつって、
そのジャンルを愛していて
そのジャンルの中からの視点で
そのジャンルを好きになってもらって
そのジャンルの世界に誘い込むような

そういう紹介しか無い。

音楽って価値観だから、
すべての音楽を好きになることなんて無理。

どうしても好きになれない音楽も多々ある。

でも、だからといって、好きになれないそれらを全くシャットアウトすればいいのか?

そうではないと思う。

別に好きになることを目標にしない、
楽しむことを目標にしない、

あくまで界隈の外側の視点から、
知識を「知って」「わかる」だけの、
そういう歩み寄りも
あっていいと思うんだけどね、、、


東大発のクイズ集団、QuizKnockが人気だけど
ああいう知識の嗜み、学びや知の楽しみって
1つの形として素晴らしいやん?

「その事象」について知る、という楽しみは、
「その事象自体を楽しむ」こととは別の楽しみとしてあると思う。

あるクイズプレイヤーが知ってる知識が
すべてその人の好みだったり、その分野のファンだったりするわけがないでしょ。好みに関わらずとも、あらゆる分野のことを知っていくという楽しみをしているんでしょう。

あるいは、歴史を知るときに、わざわざ歴史オタクになって偉人を崇拝したり、大河ドラマや歴史小説を好んだりしなくても、歴史を勉強したり知っていく大切さってあるよね。

でも、音楽のことになると
「その音楽を好きになれ!」
「好きじゃないなら別に、知識もいらない」
みたいなことがおきている。

おかしくない?

だから価値観の摩擦が起きるんだと思う。


みんな違って、みんな良い。
でも、「好き」があって「嫌い」がある。
「嫌い」も尊重するには?

「知る」「わかる」が大事。

多様性を認めるというのは、ゴキブリも認めるということだ、という文を何かで見たけど、本当にそうだと思う。

受け入れられない価値観、受け入れられない音楽を、認めようと思ったら、相当な努力が居る。だから、知識の共有、伝搬って必要だと思うのです。



すべての音楽を好きになりたいとは思わない。
けど、すべての音楽を理解したいなあ。。



書きなぐっただけの駄文でした。

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