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洞窟おじさん

20250131

山を越えるときは、山のてっぺんまで登り、尾根伝いに隣の山に移ることもあれば、山あいの道沿いに歩き、別の山に入ることもあった。けわしい山でも獣道に沿って歩けば、簡単に山を越えられることが多い。景色を見たり青空に感動したりすることなんてなかったよ。何が捕まえられるのか、何が採れるのか、頭の中にあったのはひたすら食べることだけだったからな。
何か所かの山を転々としているうちに、おれは何をしてるんだろう、おれは何で生きてるんだろう、おれは生きてる価値があるんだろうか、おれは?おれは...?そんな気持ちになることが多くなってきた。
もうこんな生活がいやになり始めていた。山の中にいれば、恐ろしいやつらにびくびくしながら暮らさなければならない。かと言って、人の中にいれば、人の目が気になる。もちろん、家になんか帰りたくない。そんなおれって何なんだろう。毎日が虚しかった。
シロがいなくなってから笑うことも忘れている自分に、ある日気がついた。シ口がいないから、話しかける相手もいなければ、じゃれ合う相手もいない。
もう生きているのがいやになってた...
これ以上生きててもしょうがないなあ...
死にたい...
うん、死んじゃおう...
おれは、山の中をさまよい首を吊るための木を探した。木が見つかり、藤のつるを切る。つるを首にぐるぐると巻いた。そのままその木に登り、枝につるの端をきつく結わえる。このままぶら下がれば死ねる。楽になれる。シロのところに行ける...。
踏み台代わりに石を積み、それを飛ばした。
ク、ル、シイ...。
つるが首にギュッ食い込んでいくのがわかった。次の瞬間、ドンッ!
枝がボキッと折れて落ちた。思いっきり尻もちをついた。ゲホゲホと咳が出る。
おれはもがき、のたうちまわった。オイオイと声をあげて泣いた。死ぬことさえできない自分が情けなかった。シロにさえも見放されたような気がした。
おれはしばらくそのまま動けなかった。これからどうしようか。生きていたら、また辛いことばかりかもしれない。このまま生きていても、何もすることもなければ、いいこともないだろう。やっぱり、生きててもしょうがない。やっぱり、死のう。
今度は失敗したくない。ちゃんと死ねる場所に行こう。どこに行けば死ねるんだろう。どこだ?どこだ...?
おれは死に場所を探して、また歩き始めた。どのくらい歩いたのか、それが昼だったのか夜だったのかも覚えていない。あるとき農道が見えた。車が走っていた。
用を足したくなってドライブインのような店に入った。トイレの鏡で自分の顔を見て驚いた。真っ青だった。おまけに首にはつるの跡がくっきりと青あざになっている。誰が見ても首を吊ったとわかるほどだった。死に切れなかった自分が、心の底からみじめになった。

やっぱり、山や川の生活が長いと性的なことはだめだね。そういう気にならないんだ。でも、そんなおれが恋をした。初めて女を好きになったんだ。
去年の春のことだ。いつものように川で魚を釣っていた。そしたらベンチでおにぎりを食べてる30代後半の女性がいた。だからって、なんとも思わなかった。
女はおっかないって思い込んでたから。むしろ知らん顔をしてた。
そこにパイクに乗ったおっさんが来て、女の隣に座ってお尻をさわったらしいんだ。女はおっかなくなって、おれのところに助けを求めて逃げてきた。すると、そのおっさんが逃げようとしたから、追いかけて丸太をぶん投げて追い払ってやった。それがきっかけで、彼女はおれが釣りをしてると、毎日のように食べ物を持ってくるようになったんだ。
それまで女はおっかないと思って近づくのを避けてきたけど、その人にはおっかなさは感じなかった。いろんな話をするうちに、むしろ感じいいなあと思い始めたんだ。相手もおれに好意を持ってるのがわかった。いろいろ話をしたし、彼女の悩みを聞いた。おれは初めて恋をした。
そのころのおれは、毎日、彼女に会うのが楽しみになっていた。会いたくてたまらなかった。ひとり暮らしは寂しくてしょうがなかった。釣り仲間に誘われて自宅に遊びに行ったとき、家庭はいいなあと、その温かさに憧れを持つようになっていたんだ。
だけど、おれは字も書けなければ免許もない。相変わらずの川っぺり生活だ。
家財道具も何もない。そんなおれが所帯を持つなんて無理だ。でも、いつか家族になれるといいと思ってた。そのためにもがんばろうという気にもなっていた。
だけど、おれは警察に捕まった。彼女に迷惑をかけたくなかったから、おれはそれ以降、連絡を取らなかった。

おれは、世の中に疎いから、社会で生きるってことがどういうことなのか、何が必要で何が不要なのかの判断がまだうまくできない。物を知らないというのは悲しいことだと、最近つくづく思う。幸い、古矢さんがいろいろ教えてくれるから、驚いたりおっかながったりしながら、おれは少しずつ前に進んでいる。

銀行にも行った。古矢さんが、給料を支払うときに必要だから銀行口座を作れと言う。
「銀行って、何するところだ?」「口座って、何だ?」
いつものことだが、古矢さんはいやがらずに全部丁寧に教えてくれる。
おれと会話すると疲れるだろうな。おれが何も知らなさすぎるから、一から説明しなくちゃいけないんだもんな…。申しわけなく思う。だけど、しょうがない。それがおれなんだ。
銀行はお金を渡して預かってもらうところと聞いて、心配になった。おれのお金をなんで人に預けなくちゃならないんだ?もし返してくれなかったらどうするんだ?だけどみんな、窓口でお金を渡してる。よく心配にならないなあと思った。絶対に大丈夫だからと古矢さんが言うから銀行に口座を作ったものの、正直、まだヒヤヒヤしてるというのが本音だ。

親父とお袋から逃げようとして、いつの間にか43年間もひとりぼっちの生活を続けてきたおれだけど、いまやっとこう言えるようになった。
「家族っていいもんだ」
いまはまだ浦島太郎のような感じだけれど、古矢さんの仕事を一生懸命手伝って早く一人前になりたい。それから、早く女房が欲しい、家族が欲しい…これが、いまのおれのいちばんの希望だ。

おれは、家出をする前から、人と会って話すことが苦手だった。一匹狼で生き延びていくことだけを考えてきた。それがいまは、いろいろな人たちによって支えられて生きている。おいしい食べものがある、ふかふかのふとんも寝る家もある。いいにおいがする石鹸でいつでも風呂にも入れる。ついこないだまでの生活と比べたら、まさに天国と地獄だ。人生って不思議なもんだな。
それにしても、まさか、このおれの人生が、本になるとは思いもよらなかった。














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湯浅淳一
あなたの琴線に触れる文字を綴りたい。

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