女と男なぜわかりあえないのか
20240706
「 性の基本は女である 」
聖書には、アダムの肋骨からイヴがつくられ、エデンの園で暮らすようになったと書いてある。だが生物学的にはこれは逆で、イヴ(メス)からアダム(オス)が分岐したのだ。
生物学的にいうならば、オスとメスによる両性生殖が進化したのは、グループ間で遺伝子を効率的に交換できるからだ。それぞれの個体に遺伝的多様性がないと、寄生虫、細菌、ウイルスに感染したときに種ごと絶滅してしまう。
そのように考えれば、オスの役割は(子孫を産む)メスに遺伝的な多様性を付加することしかない。
「オスはメスにとって寄生虫とさして変わりはない」
「男と女では性愛の戦略が大きく異なる」ということだ。男は「単純」で女は「複雑」だ。
これは性愛において、男は「競争する性」、女は「選択する性」として進化してきたことから説明できる。
男は精子をつくるコストがきわめて低いので、なんの制約もなければ、出会った女と片っ端からセックスすればいい。それを阻むのが他の男の存在で、ライバルを蹴落とし、男社会の階層(ヒエラルキー)をひたすら上っていくことが唯一の戦略になる。 チンパンジーと同じく、ヒトの社会でも最高位に上り詰めた男がもっとも多くの(そして魅力的な)女の性愛を獲得できるのだ。
それに対して女は、子どもを産み育てるコストがきわめて大きいので、誰の子どもを産み、誰といっしょに育てるかを慎重に計算しなくてはならない。それと同時に、最大の脅威である「男の暴力」からいかにして身を守るかも考えなくてはならない。このようにして、生理の周期によって男の好みが変わったり、身体的に興奮しても脳は性的快感を感じないなどの複雑なシステムが進化したのだろう。
ここで問題になるのは、原理的に、「単純」なものは「複雑」なものを理解できないということだ。だからこそ、男にとって女は「永遠の謎」なのだろう。
しかし逆に、「複雑」なものなら「単純」なものを理解できるかもしれない。これが、しばしば女が男に合わせることになる理由だ。
すべての生き物が後世により多くの遺伝子を残すよう 「設計」されてきたとするならば、その目的は「生存」ではなく「生殖」だ。大過なく生涯を終えたとしても、生殖に失敗すればそこで遺伝子は途絶えてしまう。
オスがより多くの子どもをつくろうとすれば、限られた資源をメス全員に均等に分配するようなことはしないだろう。それより、妊娠可能な一部のメスに集中的に資源を投入した方がずっと有利だ。
このようにして、すべての女性を年齢にかかわらず平等に扱う「リベラル」な遺伝子は淘汰され、若い女性を極端に好む「差別的」な遺伝子だけが残った。
男女のちがいは、受胎8週目からY染色体を持つ胎児のテストステロンが急激に増加することで始まる。「男性ホルモン」として知られるこの化学物質は、コミュニケーション中枢の一部を破壊し、性および攻撃中枢の細胞を増やし、「男の子の脳」をつくる。それに対して、Y染色体を持たない胎児は胎内でテストステロンの影響を受けず、言語や情動を司る領域の細胞をじゅうぶんに発達させた「女の子の脳」を持って生まれてくる。
ヒトを含めすべての生き物は生存と生殖に最適化されている。私たちは遺伝子の複製のためのヴィークル(乗り物)にすぎない。遺伝子の複製に失敗した個体はいま存在していないからだ。
遺伝子の複製には生殖が必須だが、生存できなければ生殖にたどり着けない。その一方で、生存のためにすべてのエネルギーを使い果たしてしまえば、生殖の余力が残っていない。生存と生殖はトレードオフなのだ。
男はとてつもなく強い性欲を、女はとてつもなく強い子どもへの愛着を持つように遺伝的に「設計」することだ。このようにして私たちの祖先は、わずかな食料を確保すると性交し、子どもを産み育ててきたのだろう。
第二次世界大戦が終わると、「とてつもなくゆたかで平和な時代」が到来した。これを端的にいうと、生存への不安がなくなったということだ。
生存と生殖という2つの目的のうち「生存問題」が解決すれば、残されたのは生殖への過剰な欲望だ。数百万年かけてつくられてきたヒトの遺伝子は、わずか数十年の変化にはまったく対応できない。これが、私たちが「性愛こそすべて」の世界に生きることになった理由だ。
男女の「友情」にはひとつ条件がある。その男が、もっと魅力的な女と性愛関係にあることだ。その関係が破綻し、ほかに性愛の対象となる女性がいなければ、友情はたちまち欲望へと変わるだろう。
思春期を経た10代後半の少年は、仲間内でのきびしい 「性愛獲得競争」に乗り出す。 この競争に勝つ方法は、集団のなかでより高い地位を確保することだ。なぜなら女は、より大きな権力=資源を持つ男を生殖の相手として選択するから。
これも意識的にそうしているのではなく、女性の脳は男の地位と性的魅力が一致するように「進化」してきた。大きな資源を持つ男がアルファ雄で、女の純愛はそんな男に魅かれる心理のことをいう。
ドーパミンの効果は「快感」ではなく「快感の予感」、すなわち「なんとしてでも手に入れたい」という強烈な衝動だったのだ。
これはしばしば誤解されるが、依存症というのは、ドラッグやアルコール、ギャンブルなどの「快感」にのめり込むことではない。
なんの快感もなくても、ひとたび脳の報酬中枢が刺激されると、それを手に入れようといてもたってもいられなくなる。
これはしばしば「渇き」と表現される。 アルコール依存症の患者は、一杯のストレートウイスキーで「焼けるような渇き」がいやされ、あとはとめどなく飲みつづける。
恋愛によってドーパミンが大量に産生される状態は、6ヵ月から8ヵ月程度しかつづかない。
なぜこのようになっているかも進化論で説明できる。人類の歴史の大半で避妊法などなかったから、恋におちた男女はすぐにセックスして、1年もすれば子どもが生まれただろう。そのときになっても「狂おしい恋の嵐」 に翻弄されていたら、子育てなどできるはずはない。恋の情熱は半年程度で冷めるように「設計」されている。
進化論的には、男は「競争する性」、女は「選択する性」として「設計」された。
少年マンガでスポーツが好んで描かれるのは、「競争」が男性読者を夢中にさせるからだ。それに対して少女マンガで描かれるのは、ヒロインの「選択」だ。ロマンスとは、アルファの男にヒロインが「選ばれる」ことではない。複数の魅力的な男たちのなかから、ヒロインが主体的にアルファの男を「選ぶ」のだ。
男は女の「性的な浮気」に不寛容で、女は男の「感情的な浮気」に不寛容だ。
夫が別の女と強い感情的なつながりを持つと、「資源」がその女に奪われる恐れがある。これは自分と子どもたちにとってきわめて重大な「生存の危機」なので、それを素早く察知し、防ごうとする。このように女の嫉妬は、「夫(恋人)の資源をいかに確保するか」から理解できる。
それに対して男にとっての最大のリスクは、別の男の子どもを知らずに育てさせられる「托卵」だ。そのため、子どものできる可能性がない「感情的なつながり」には比較的寬容な一方、妻(恋人)が他の男とセックスする徴候にはきわめて敏感になる。
男が集団に最適化しているのに対し、女は一対一に最適化している。これは、母親が子どもと一対一で子育てをしたり、家族や親しい友人(女友だち)など小さくて濃密な人間関係のなかで安全を確保してきたからではないだろうか。
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