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イスラム飲酒紀行

20240826

許欺にひっかかりやすい人やギャンブルにハマる人と同じように、私の場合も、希望が現実を捻じ曲げてしまうのだ。

結論。ワインはやっぱり堂々と飲まないと美味くない。公共の場にしても、個人の居場所にしても。
このように最近では、私はイスラム圏で酒のために悪戦苦闘を繰り返している。決してタブーを破りたいわけではない。酒が飲みたいだけなのだ。そして、実際に酒はどこでも見つかった。いつも意外な形で。

私は酒飲みである。それほど量は飲まないのだが、毎日必ず飲む。「体によくないから、定期的に酒を抜いた方がいい」という忠告をあちこちで耳にするので、休肝日を設けてみたが、年に一日が限界だった。 アル中じゃないかと中傷されることもある。

やっと、我に返った。酒のことになると、本当に頭が真っ白になって、他のことがすっぽり抜け落ちるのだ。

話をしても面白い。「パキスタンはダメだ。どこも汚い」と街を歩きながら顔をしかめる。自国を批判的に見るのはインテリの証だ。

一般にパキスタンでは飲酒は禁じられているが、闇で売っているところもあるし、許可証を得れば合法的に飲めるという。
「医者の診断書があれば飲めるんだ。『この病気の治療にはアルコールが必要だ』ってね。医者に金を払ってそれを出してもらう人もいる」
日本では医者が患者に飲酒を禁じる 「ドクターストップ」がふつうだが、こちらでは医者が患者に飲酒を勧める「ドクターゴー」とでも呼ぶべきものがあるらしい。 いったいどんな病気なんだろうか。気鬱の病とかだろうか。不眠症だろうか。そしてドクターストップと反対に、患者が熱心に医者に治療的必要性を訴えるのだ。いいなあ、ドクターゴー。

心温まるいい話かどうかわからないが、なぜか私は自分より酒に固執している人の話を聞くとホッとする。

「オレの家は貧しい。テレビも車もない。でもこれを飲めば世界は美しい。おー、ビューティフル・ワールド!」とわめいた。不覚にもうるっと来てしまう。人間がなぜ酒を飲むのかという核心をついていたからだ。

今までビールだけじゃイヤだとか、ゆっくり飲みたいとか、ずいぶん我がまま放題だったが、私が本当にやりたかったのは一番普通のこと、つまり「現地の人たちとわいわいがやがや飲む」ということだったのだ。これがマレーシアらしいかどうか多少の疑問はあったものの、酒が存分に飲める今、もはやそんなことはどうでもいいのであった。

私は酒飲みである。休肝日はまだない。嬉しいことがあれば祝い酒を、イヤなことがあればヤケ酒を飲む。だが、しばしば誤解されるように、アル中では決してない。

トルコはイスラム圏ではもっとも酒に寛容な国の一つだ。建国の英雄にして「国父」であるケマル・アタテュルクが政教分離を国是とした結果だ。

イスラム圏では、たとえ飲酒を法的に禁止していない国でも、「酒は不特定多数の人々が見ている公共の場では控えるべき」という不文律が存在する。政教分離の世俗国家トルコでもこの不文律から完全に自由ではない。

ここには酒文化がちゃんとあるじゃないか。実生活に何の役にも立たないけれどそれがあれば世知辛い世の中も少しは楽しくなるという工夫が「文化」とすれば、究極的に役に立たなくてめっぽう楽しい工夫が酒文化である。 

もしかするとここの人はただ親切なだけでなく、インド以西に途方もなく広がる「わからなくても確信を持って教えてくれる親切な人々」の文化圏に属するのではあるまいか。

生まれたときから、当たり前のようにワインに囲まれ、ワインに浸って育ってきたのだろう。近代化ともビジネスとも宗教とも関係なく。

「私たちの宗教では酒を厳しく禁じている。なのに、どうして私たちは酒を造って飲んでいるのだろう?」
そうなのである。
一瞬私はイスラムの話かと思った。だがそんなはずはない。彼は仏教徒なんだから。そして、次の瞬間、思わず 「そうなんですよ!」と大声を上げてしまった。
仏教は酒を禁止している。

上座部仏教の戒律は決して厳しくない。出家したら227もの戒律があるが、一般の信徒はたった五つだけだ。「五戒」と呼び、上座部仏教だけでなく、日本も含めた大乗仏教でも基本中の基本とされている。うち、四つはこうだ。

・殺してはいけない
・盗んではいけない
・淫らなことをしてはいけない(不倫などを指す)
・嘘をついてはいけない

戒律というより「常識」に近い。
そして最後の一つがこれだ。

・酒を飲んではいけない

なんと、人間として生きるうえで最低限守らなければいけないことに「禁酒」があるのだ。酒を飲むというのは、殺人や不倫や盗みや詐欺と同レベルの「悪」なのだ。
イスラムでも酒は原則禁止だが、コーランのある箇所では「酒に酔ってお祈りをしてはいけない」と記されており、「何が何でもいかん!」というほどの迫力ではない。

私は酒飲みである。 一日の終わりには飲まずにはいられない。そこで「ない」とはわかっていてもつい酒を探してしまう。で、その結果、往々にして見つかってしまう。
「ない」はずなのに。










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湯浅淳一
あなたの琴線に触れる文字を綴りたい。

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