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ダーウイン『種の起源』

20250117

ココナッツの木の下をバナナやコーヒーの木が鬱蒼と茂り、無数の野生の花が咲いている森の中を歩き回る楽しさがわかるのは、私のように博物学に興味を持つ人間だけだろう。

ヨーロッパを出たことがない人にまったく異質な熱帯の風景について語るのは、盲目の人に色について語るようなものだと思う。

自然界が現在のようになっているのは、長い間に起きた無数の出来事の結果だよ。だから、現在の自然界の成り立ちをより深く知りたいと思えば、前の時代の出来事の影響を調べなくてはいけないんだ。

自然は、動物にしろ、植物にしろ種を問わず、ともかく際限なく数が増えるよう、たくさんの種子をまくようにできている。
しかし、生息する空間には限りがあり、生物が命を保つために利用できる食物の量にも制限がある。
もし何千年もの間、地球上の生物が制約なく繁殖をすることができたら、この世界が何百万個も必要な数にまで増えてしまうだろう。この世界には、どの場所であっても有限の資源しかない。
それが世界共通の法である。
その制約があるために、生物は際限なく増えることができない。
植物も動物も、自然の大いなる法により数を減らすことになる。人類も、たとえどれほどの知性をはたらかせたとしてもその法から逃れることはできない。

自然界はすべて、需要と供給の経済法則に従っているのかもしれない。需給の均衡が保たれれば、数は安定するということか。

資源は一ー食物も空間も水も
交尾する相手も一一有限だとすれば、個体はすべて他の個体と闘う必要がある。
資源の欠乏は、長い期間に種を変異させる大きな要因の1つになっているのではないか。

生物も、非生物の物質と同じように、長い時間を経るうちに変わっていく。
自然界の圧力と、個体間の競争があいまって生物の姿を変えていくのだ。

私は、生物の種が世代を経るうちに変異する論理に気づきはじめた。
それは自然選択という力による受動的な変異ではないかと私は考えた。
神の存在は、私の中で小さくなっていった。

少しでも優位なものが生き残るという、あらゆる生物に作用する自然の一般法則によって生た小さな差異の積み重ねの結果である。

性選択は、自然選択の一種である。
生物の個体は、繁殖の相手を獲得しなくては子孫を残せない。
そのためには相手を惹きつける魅力が必要で、同性の競争相手に勝つ必要もある。

神が造り、ここに存在しているとされてきた生き物たちは、実は自然の法則だけの力で生じたのだ、などと我が国の教養ある哲学者たちが言いはじめている。生命の最初の息吹を吹き込んだのは神だが、その後は人間も、キノコや兄弟であるサルたちと同じようにひとりでに生じたというのだ!

生物はみな植物も動物も共通の祖先から生じ、時間の経過とともに変化をしてきて今のようになったんじゃないか。
生物がみな生存のために闘っていることや、環境にうまく適応できる変化をしたものが生き残りやすい。













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湯浅淳一
あなたの琴線に触れる文字を綴りたい。

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