【本要約】父が娘に語る経済の話
2022/3/27
はじめに
経済モデルが科学的になればなるほど、目の前のリアルな経済から離れていく。
誰もが経済についてしっかりと意見を言えることこそ、いい社会の必須条件であり、民主主義の前提条件だ。
景気の波は私たちの生活を左右する。市場の力が民主主義を脅かすこともある。専門家に経済を委ねることは、自分にとって大切な判断をすべて他人に任せてしまうことに他ならない。
私たちの人生を支配している資本主義という怪物とうまく共存できなければ、意味がない。
余剰
「 どうして世の中にはこんなに格差があるの?人間ってバカなの? 」
娘から父への問い
なぜ、こんなに格差があるのか?
なぜ、アボリジニがイギリスを侵略しなかったのか?
どうしてオーストラリアを侵略したのはイギリス人だったのか?
格差は経済から生じる。
経済は市場と関連がある。
市場と経済は異なる。
市場は交換の場所だ。
82,000年前に言葉が生まれた。
12,000年前に農耕が生まれた。
農耕を発明したことで経済が生まれた。
周囲の獲物を狩り尽くして、人の数が増えてくると、食べ物が足りなくなった。
生き延びるために、土地を耕すしかなかった。土地を耕す必要のない環境では、誰も農耕なんて考えなかった。
自然の恵みが豊かなオーストラリアでは、畑を耕したりしなかった。
土地を耕さなければ生きていけない環境でだけ、農耕が発達した。
農耕による農作物の生産によって、はじめて、経済の基本要素が生まれた。余剰だ。
余った作物が余剰となり、将来の備えになった。
米や麦のような保存できる穀物でないと、余剰は生まれない。
肉や魚やバナナはすぐに腐ってしまう。
①文字
文字は余剰を記録するためのものだった。
文字を使って、農民がそれぞれ共有倉庫に預けた穀物の量を記録していた。
穀物の預かり証を記録を残すため、文字といった実用品が生まれた。
農耕が発達しなかった社会では文字は生まれなかった。その代わりに、音楽や絵画といった芸術が生まれた。
②債務、通貨、支配者
穀物をどれだけ預けたを記録するようになったのが、債務 ( 借金 ) と通貨のはじまりである。貝殻に記載された穀物の量が、労働者への支払いであり、労働者に対しての雇主の借金であった。その貝殻は、通貨としても利用できた。
取引に使うために通貨が生まれたのではない。
労働者に「 どれだけの穀物の支払いがあるか 」を記録するために、仮想の通貨の量を記載していた。実際に通貨が作られたのはもっと後である。やがて、金属の硬貨が作られても、硬貨は重過ぎて持ち歩けなかった。だから、穀物の量が記載された借用証書を代替えとした。
借用証書を使えるようにするには、信用が必要になる。クレジットの語源である。信じるという意味のラテン語のクレーデレという言葉である。
信用して価値を認めるためには、力のある誰かや何かが支払いを保証してくれることを、共通認識しなければならない。支配者という信頼できる保証が必要だった。
③官僚、警察、軍隊、国家
支配者は余剰を管理する必要がある。
余剰を管理する仕事をする官僚が必要だ。
余剰を管理する支配者への反乱を防ぐために、民を統制するための法が必要だ。
法を取り締まるための警察が必要だ。
反乱が起きたときに制圧する軍隊が必要だ。
そういった支配者を巡る人たちと、支配者が権威付けられた。
権威が民を統治して国家が生まれた。
④宗教
国家では、支配者や、その権威の周りに余剰の配分が偏っていた。その不平等を民に納得させ、民に反乱を起こさないようにしなければならない。
支配者だけが国家を統治する権利を持っていることを正当化した。
支配者の権利を正当化する思想が宗教である。
宗教によって民をコントロールした。
国家と宗教は一体となって、権力を維持し続けた。
大陸と気候
ユーラシア大陸の土地と気候が農耕と余剰を生み出し、余剰がその他の様々なものを生み出した。オーストラリアでは、余剰は生まれなかった。自然の食べ物に事欠くことはなかったからだ。農耕技術を発明しなくても生きていけたし、余剰を溜め込む必要もなく、豊かな暮らしができた。
アボリジニは、詩や音楽や神話といった素晴らしい文化を発達させた。他人を攻撃するための文化ではなかった。
気候に恵まれないイギリスでは、大量に作物の余剰を貯めないと、生きていけなかった。
所有が生み出した文化は、他者との区別であった。
一定量の作物しかない社会では、他者と奪い合うしかなかった。
イギリスがアボリジニを侵略したのは、必然だった。
アフリカは南北に長く、様々な気候の地域がある。アフリカで農耕が発達した社会があっても、その仕組みは、気候の影響で、広がっていかない。ユーラシア大陸は東西に長く、大きな気候の変化は無いため、農耕の発達は、広がっていった。
市場社会の誕生 〜 いくらで売れるか、それがすべて
■商品
商品 ( コモディティ ) は、値段を付けて売るものだ。
商品には、市場での交換価値を反映した市場価格がつく。商品 ( グッズ ) は、値段を付けて売るものではない。
他の何ものにも代えられない経験は大きな価値がある、経験価値がある。
現代の私たちの行動は、交換価値に支配される市場社会に根付いた行動である。
私たちは自分が市場に与える影響を通して、自分の価値を測ってしまう。
古代社会では、生産の三要素は商品ではなかった。
商品グッズであって、商品コモディティではなかった。
① 資本財
道具は、奴隷が作ったり、職人が作ったりしていた。
職人が作った道具と奴隷が作った食べ物を交換することもあった。
② 土地
土地は先祖代々受け継がれてきたもので「 土地を売る 」という思考はなかった。
③ 労働者
労働者 = 奴隷は必死に労働していたが「 労働力を売る 」という発想はなかった。
市場社会は、生産活動が市場を通して行われるようになったときにはじまった。そのとき、生産の三要素は、商品コモディティとなり、交換価値を持つようになった。
① 道具は、専門の職人によって作られ、販売されるようになった
② 土地は、不動産市場で売買されたり、貸し出されたりするようになった。
③ 労働者は自由の身となり、新しい労働市場で労働の対価に金銭を得た。
■イギリスの改革
農奴を締め出すことで、労働力と土地を商品にした。
仕事を奪われ住みかを失ってしまった農奴
「 何でもやるので、食べ物と寝る場所を下さい 」
これが労働市場の始まりだ。
土地も道具も持たない人間は、労働力を売って生きていくしかない。
苦役を商品にするしかない。
農奴は、自分たちが持っているたったひとつのモノ、労働力を差し出した。
土地を追われた農奴は、自分の労働力を商品として取引するしかなかった。
従来までは、封建領主の元で、農奴は土地を耕して家族を養い、領主は自分の取り分を取っていた。この生産と分配のプロセスに市場は存在しなかった。
農奴が追い出されてからは、市場に参加するしかなくなった。
農奴は、交換価値を心配するようになった。
一方で、農奴は、領主から解放され、自由を獲得した。
奴隷制度が廃止の産声を上げた。しかし、自由には足かせが付いていた。
土地を追い出された農奴は、自分で働く場所を見つけなければならなかった。
そして、そこには市場という別の形の主がいた。領主から、市場へと従属先が、変わったに過ぎなかった。
■金カネ
世界はカネで回っている。
仮に、今の世界では、カネが人生のすべてを決め、最も大切なモノになっているとしても、昔から、そうだった訳でない。
カネは、夢を叶えることを助けてくれる大切なツールかもしれない。しかし、今と違って、昔は、カネ自体が目的になってはいなかった。
今は、カネさえあれば、買えないモノはない。
交換価値が、経験価値よりも重視されるようになったことで、カネが手段から目的になった。
なぜか?
ヒトが利益を追求するようになったからだ。
ヒトは生まれつき利益を追求する存在ではないのか?
昔は、そうではなかった。
利益の追求が歴史を動かしてきた訳ではない。
利益の追求が歴史を動かすようになったのは、最近のことだ。
利益と借金のウェディングマーチ
■すべての富が借金から生まれる世界
貸し借りは昔から存在した。
困っている人を助けたら、相手は「 ありがとう、ひとつ借りができた 」と言う。契約を交わさなくても、誰かを助ければ、相手は、自分が困ったときに助けてくれる。人は借りを返す。
助け合いによる貸し借りは、借金による貸し借りと異なる。
契約と利子である。
契約とは、両者の合意を具体的な条件のある法的な義務にしたものである。具体的な条件には、交換価値があり、金銭で表現される。利子とは、借金に伴う見返りとしての金銭的利益である。
助け合いでは、いいことをしたという満足感が、経験価値になる。
借金では、貸し手の動機は、利子の受け取りであり、それは交換価値である。
土地と労働が商品になると、経済システムの転換が起きる。
土地を追われた農奴は、借金をして土地を借りなければならない。今でいう起業家である。土地を借りて、商品を生産して、商品を売って、地主に土地の賃料を払い、労働者に賃金を払う。
借金が生産プロセスに欠かせない潤滑油となった。利益を前提としなければ、借金を返せない。このとき、利益自体が目的になった。
■利子
利子を含めた借金の返済は [ 償還 = redemption ] である。
また [ redemption = 贖罪 ]という意味もある。
もともと、キリスト教は、利子を禁じていた。
利子の徴収は、罪深い行為とされていた。
恐るべき機械の呪い
産業革命の機械によって、私たちの生活は、本当に、便利になり、より良い暮らしになったのか?
起業家は、技術革新を起こし、それがスタンダードになる。その繰り返しによって、人間は大量の機械奴隷を、手に入れ、私たちの生活のあらゆる場面に機械が使われている。
機会が人間のために面倒な仕事を片付けてくれるようになると、
・人間はすべての仕事が機械化される日を夢見る。
・人間退屈な仕事のない社会で快適に暮らしたいと願う。
機械は多くの商品を生み出し、私たちの生活を変化させた。
→ 貧困や飢餓といった格差や仕事への不安は、なくなっていない。
企業は利益を追求し、イノベーションによる競争を強いられている。
人間は、テクノロジーに縛り付けられ、テクノロジーに置いて行かれないよう焦っている。
機械が人間のために奴隷のように働いていると錯覚している。
人間が機械を維持するために働いているのだ。
機械は人間の奴隷ではなく、人間が機械の奴隷になっている。
価格をコスト以下に押し下げる3つの力
・機械による自動化でコストが下がる
・企業の価格競争でコストが下がる
・機械は商品を買わないので、需要が下がる
市場社会は、技術革新を利用して人間をロボットに置き換えるだけでなく、人間がロボットよりも安ければ、人間を機械代わりにする。
この矛盾が機械との競争における人間の光明となる。機械と違って人を雇えば、人は商品を買う。
■誰にも管理されない新しいお金
非喫煙者にとって、タバコは何の経験価値もないが、タバコは大きな交換価値がある。タバコは喫煙者にとっては経験価値があり、非喫煙者にとっては交換価値があったため、全員がタバコを欲しがるようになった。タバコは、交換価値を測る単位になった、タバコは通貨となった。
【 タバコが通貨になった特徴と役割 】
・持ち運びが簡単
・簡単に小分けにできる
・コミュニティ全員に共有される
・喫煙者にとって欠かせない [ 消費され、需要がある ]
・手軽に値段の比較ができる
・取引媒体として長持ちする
・貯め込むことができる
通貨の購買力は、その生産コストとは何の関係もなく、相対的な希少性・潤沢さによって決まる。通貨があることで取引は円滑になり、より多くの商品がより早く取引されるようになる。一方、通貨は、コミュニティの全員に信頼されなければ機能しない。「 通貨の交換価値が維持される 」と信じられなければ機能しない。
経済は自然と異なり「 私たちがどう考えるか 」に影響され、形作られる。
「 終わりが来る 」と全員が知っていれば、貨幣経済は続かない。貨幣経済は、持続が信頼されることを前提としている。
■欲求の限界
それは、衝突があるからだ。
自分の望みを一度に全部は叶えてくれない世界と衝突することで人格ができる。
自分の中で葛藤を重ねることで「 あれが欲しい。でも、あれを欲しがるのは正しいことなのか?」と考える力が生まれる。
私たちは、制約を嫌うけれど、制約は自分の動機を自問させてくれる。
そして、制約によって、解放される。
満足と不満足の両方がなければ、本物の幸福を得ることはできない。
満足によって奴隷になるよりも、不満になる自由が必要なのだ。
世の中は「 不幸が充満している 」ということは、市場社会はうまく機能していない。現在の経済は、人々の欲する目標を手に入れるのに適していないどころか、そもそも手の届かない目標を設定したシステムなのだ。
■ストーリー
すべての支配者は、統治を正当化するようなイデオロギーが必要になる。
ストーリーを作って基本的な倫理観を刷り込み「 反対する人は非常識だ 」と思わせる。
宗教が支配者の力を支えた。
科学が産業革命を起こし、宗教は神への信仰に過ぎないことが明らかになった。
支配者は、新しいストーリーが必要になった。
経済学者は、科学者と同じように、理論を用いて、ストーリーを作り出した。
アダムスミスは、市場経済を、神の見えざる手といった。
市場経済というイデオロギー、新しい現代の宗教は、経済学である。
物理学は、数理モデルが正しいのかどうかを実験室で、証明できる。
経済学は、数理モデルが正しいのかどうかを証明できない。実験室のように経済状況を完全にコントロールできない。
人間を支配するには、ストーリーの中に人間を閉じ込めて、その外を見させないようにすればいい。
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