人生の整理学
20241209
ひところアメリカでは生活の安定した人たちの間で、専門家に頼んで家系図をこしらえるのがはやったことがある。日本では、そういうとき、家系ではなく、自分の歩んできたあとを記録しようとする人がふえている。そして、自分史という新しいジャンルが生まれた。
自分史を書こうと思っている人、そうまではっきりとしていなくても、なんとなく自己表現を求めている人が多くなってきたのは知的生活の向上のあらわれといってよいであろう。
ただ自分史を書く技術を伝えようとするのではなく、すこしでも多くの人に読まれるようにするにはどうすればよいかを一貫して念頭においているからにほかならない。自分史ではこの読者の視点というのがともすれば欠落するのである。
読んでたのしくないものは、書いて発表する価値がない。価値のない文章は書いてはいけないと語っても差支えないと思う。
”自分史”ということばはまだ比較的新しい。今世紀がはじまった頃には、このことばをきいたこともないという人がいたであろう。ためしに、1980年代に出た国語の辞書で、”自分史”をとりあげているものはひとつもない。「新明解国語辞典」は1992年版だが、のっていて、
自分史
・「変動する社会や時代とのかかわりの中で、その人が何を考え、どのように生きて来たかを書きつづった自叙伝(半生の記)」
”自分史”は自分のことを書いた記録であるが、日記のようなものではない。日記は人に読まれることを予想していないけれども、”自分史”は発表する、活字にする、本にすることを意図して書かれるところが異なる。
東京のある小学校が、卒業文集を作り、卒業する児童に、いま、いちばんほしいものはなにか、を書かせたところ、おどろくべき結果が出た。
39人のクラスのうち、カネがほしいと書いたのが、20人。イエがほしいと書いたのが16人。エレキギター1人、ノーベル賞1人、わからない1人というのである。
カネとイエで9割をこえる。これから中学へ行き、やがて高校、大学へも進もうというこどもたちが、そんなものしか求めないのか。夢というものはないのか。
こどもがいけないのではない。家庭がそういう考えをこどもに植えつけたのである。とくに教えることでもないし、口に出すこともないかもしれない。しかし、こどもは敏感で、親の考えていることをしっかりうけとめる。口で言われたこと、親の言うことはきかずに反発するけれども、親が本当に思っていることは、だまって、うけ入れる。親が金がほしいと思っているから、こどもも金がほしいと考えるようになる。自分の家がほしいと願っている家庭の子はいつしかマイホームをあこがれる。
自分のことになると、いっそうわからない。ひとのことならいくらでも言うことがあるのに、自分のことになると、あまり、いろいろなことがありすぎて、いっこうにまとまりがつかない。
自分史を書くに当って、まず必要となるのが、この己を知ることの難しさである。そして、つぎに、何を書くかである。逆に言うならば何を書かないでおくかである。すべてのことを書こうとすれば、書けるわけもないが、大混乱を来すにきまっている。
小学校の1、2年くらいのこともが書いた毛筆の字はたいてい勢いがあってのびのびと美しい。それが、中学生くらいになると、いじけた字になってしまう。なぜかというと、幼いときの無邪気、天真爛慢を失って、うまい字を書こうという気持が働くようになるからである。文章でも同じで、たどたどしい文字しか書けないような小学生の作文はおもしろい。ところが高校生になって書いた文章は味もそっけもなくなることが多い。やはりうまく書こうという意識が文章を弱めるのである。
日記は日々の生活の決算報告みたいなものである。それ自体は建設的な意味をもっていない。よりよく生きていくには、予定記ともいうべき計画をつくる必要がある。明日はなにをするか。それを考えるだけで、生き方が変わってくる。
アメリカのある経営コンサルタントが小企業の社長にアドバイスをした。毎日、寝る前に、翌日にすべきことを書き出し、重要度にしたがって順位をつけ、当日は、その順位の高いものから片づけていく。こういう日常行動計画をしっかり実行していけば、あなたは大会社のトップになれる、と教えた。何年かして、その通りになった。予定表をつくるのは予算案をつくるようなものである。決算よりも予算の方が人生にとって重要であるのはこのはなしでもわかる。
歴史そのものはごく古くから存在するけれども、それがそのまま歴史になるのではない。事実だけでは歴史にならない。歴史を書く人間があってはじめて歴史は生まれる。歴史家があらわれるまで、事実は、沈黙の眠りの状態にある。
歴史的事象と歴史との間には必然的に時間のずれがある。したがって、過去を完全に再現する歴史は19世紀の歴史家はそれを夢見ていたようであるけれども決して存在しない。必ず、史家の解釈を含んで歴史になるのである。
E・H・カーというイギリスの歴史家が、歴史ははじめから存在するのではなく、歴史家によって創られるものである、と述べているのも、この意味である。同じ対象を扱っても3人の歴史家なら三様の歴史をつくり上げるはずであり、歴史家の数だけの違った歴史が存在するのが当然のことになる。
歴史は純粋に過去を正確に記述するものではない。だいいちそういうことは人間には可能ではないのである。歴史家の認識をくぐった過去であるほかはないのである。さらに、全体に整合性を保たせるためには、歴史家は自分の解釈によって、対象を整理しなくてはならなくなる。
自分のことは自分がいちばんよく知っているつもりでいても、それが、もっともすぐれた自分史、自伝という歴史が書けるのではない、ということである。自分自身を歴史的対象としてながめ、そこから一人の人間像というものをまとめ上げるのは、まさに自画像の創作である。生きてきたことをありのままに描くのではない。そんなことはだれにもできるわけがないのである。もちろん事実は大切であるが、事実をならベるだけでは歴史にならない。資料である。どういう事実をとり、どういう事実は伏せるかという選択の問題もある。さらに、全体をどのような調子で包むかというスタイルの問題もおこってくる。
自分史は、事実中心の履歴書のようなものであってはいけない、という理由はないが、自他ともにおもしろいのは、自分を主人公にしたパーソナル・ヒストリー、ショート・ストーリーである。
書く側からすれば、自慢ばなしほどたのしいものはない。自分史も、どうしても、そういう部分が多くなりがちである。しかし読む側にすれば、サクセス・ストーリーはよほど劇的事件でもないかぎり退屈なものである。手短に語られるのなら我慢するが、えんえんとやられてはたまらない。話をきいているのだと耳をふさぐわけにもいかないが、文章なら、さっさと本をとじて投げ出すことができる。得意の話はなるべくへらし、短くするのが自分史の心得である。
逆に、筆者にとっての失敗、苦しみ、不幸はなるべく触れずにすませたい。それが不可能としてもなるべくなら、さらりと流したいと考える。
ここでも読者は反対の気持をもつ。そういうところがおもしろいのである。自分史というのは書き手につらいものでないと、読まれないと言ってよい。
自分史が書きものとして成功するには、つまり、読者に読まれるためには、自分のふれたくないところをあえて披露し、反対に、言いたくてむずむずするところは、これを抑えるというストイックな精神が求められる。それがいやだったら自分史などを考えないことである。
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