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愛の本質と真実の愛
20240430
実験
被験者たちは、頭を上下に、あるいは左右に動かしながら(つまり実質的に頷くか首を振るかしながら) 聴いて下さいと頼まれる。
そして「生徒に身分証明書をつねに携行させるべきか」という問題について、説得力のないメッセージか説得力のあるメッセージかのどちらかを聴かされる。
被験者はもちろん、説得力があるほうのメッセージに説得される。そして、頷きながら聴くと、首を振りながら聴く場合と比べ、より強く説得された。
説得力がないほうのメッセージを聴いた場合、頭の動きの影響は逆になった。「頷き組」は「首振り組」と比べ、むしろ説得されなかったのである。
人間は、 他人の行動からその人の気持ちを解釈するのとちょうど同じように、自分の行動から自分の気持ちを組み立てている。
私たちは、自分へ何かを問うのと同じ速さで答えを出している。そのせいで答えはすぐそこに用意されていたのだと感じてしまう。だが、実際には、自ら答えを創作しているに過ぎない、感情という創作物を。感情とは、瞬間ごとに創作されてはまた創作し直される、本質的に不安定なものである。
「マインドフルネス」という心の健康を目指すセラピーでは、「自分の思考や感情が創作ではなく、本心である」という勘違いを正すためにある。そのテクニックとして、自分と感情との間に距離を置く感覚を呼吸法などで身に付けたり、自分の生理学的状態、心拍数に細心の注意を払うといったものがある。
自分自身の感情は、その時々で解釈が変化する。
ドキドキは、怒っている人を見たり、怒っている人が近くにいたりすると、怒りの感情と解釈する。
ドキドキは、素敵な人を見たり、素敵な人が近くにいたりすると、トキメキの感情と解釈する。
ドキドキは、怒っているけど素敵な人を見ると、戸惑いとしての感情と解釈する。
ドキドキという身体の生理学的状況に感情という解釈を与えるのは、他者の振舞いに影響される。
身体が知覚した様々な状況を、これまでの体験や、今の環境から、脳が計算という解釈をして、感情を造形する。
悲しいから泣いているのではなく、泣いているから悲しいのだ。
楽しいから笑っているのではなく、笑っているから楽しいのだ。
知覚は、感情に先行する。
感情は、解釈が多様なので、勘違いしやすい創作行為である。
感情が創作ならば、愛とは幻想か。
愛は、一瞬の思考が紡ぎ出す創作に対して、その瞬間に、愛おしいという感情を抱くことだ。
一目惚れは、瞬間的な知覚の反応なので、本能から生じた愛のようである。
一方で、愛とは瞬間の営みであるが、思考は過去の記憶の蓄積からなるので、楽しい時、悲しい時、嬉しい時、辛い時をどれほど一緒に過ごしたのかにも関わる。
愛の本質とは、一瞬一瞬の愛おしいという感情が、日々、繰り返されていくことである。そして、感情はつかみどころがなく、不安定である。波のような浮き沈みがある感情の中で、愛おしいという感情を持続させるのは、困難であろう。激しい波の嵐の海も、穏やかな波の海もある。どんな海も受け止めて、その海と向かい合っていくことが、愛の本質であろう。
真実の愛とは、愛おしいという感情の繰り返しを、一生涯に渡って継続することであろうか。
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