ロスチャイルド家の代理人が書いたアメリカ内戦革命のシナリオ「統治者フィリップ・ドルー」
20241205
日本人が亡国の危機を乗り越え、日本を取り戻すためには、世界と日本の運命を握って久しいグローバリズム勢力による支配の構造と巧みな手法を知ることが必要です。
そして、ここ100年、グローバリズム勢力にとっての主戦場でありかつ牙城であったのは紛れもなくアメリカ合国でした。
「統治者フィリップ・ドルー」は、1912年11月初旬、ウッドロウ・ウィルソンが次期アメリカ合国大統領に決まった時に出版され書店に並んだ「20世紀最も影響力ある政治書」であり、近現代史上極めて大きな意義を持つ第一級史料です。
本書は、ロスチャイルド家の代理人が描いたアメリカ合衆国における内戦と国家改造の未来シナリオであり、また、国際金融資本家らがアメリカ合衆国を統治する巧みな手法(選挙の手法も含めて)をも赤裸々に描き出している、一筋縄ではいかない極めて政治的で、考えようによっては恐ろしい著作物なのです。
本書は、合国憲法の否定、大統領権限の縮小と形式化、議院内閣制の導入、裁判所による違憲判決の廃止、州権の縮小と中央集権化、中央銀行の設立、政府による企業統治と一部国有化、所得税・相続税・累進課税の導入、保護関税の廃止、スト権の否定、男女平等、国連システム等々が志向されています。
すなわちアメリカ改造です。
大統領制よりは間接的な議院内閣制の方が真の民意がダイレクトに反映されにくくて操りやすく、そのうえで州権を否定して中央集権化をはかります。そしてこの統治方式、新しい秩序に、中央銀行も、民間企業も、労働者も、市民も従属するのです。
2020年に起きたパンデミックでは各国はウィルスと戦いました。未だに多くの日本人には信じられないことでしょうが、これも仕掛けられた戦いであり「新世界秩序」への道であったと言われています。
英雄フィリップ・ドルーは、新世界秩序構築のために遣わされた「悪魔の代理人」であったのです。
多くの米国人はよりよい社会を求めて立ち上がり、ドルーに率いられ、ドルーに騙されたのです。
日本人も騙され続けています。かつて安倍首相(奇しくも先ほど暗殺されました)が掲げた「日本を取り戻す」はいつの間にか忘れ去られ、メディアは「報道しない自由」や「嘘の報道」を謳歌し、政治は騙す側に立ち、失われた20年は30年となり、何もしなければ、日本はこれから溶けてなくなるでしょう。しかしながら、そのことに気付いている日本人はごくわずかです。
米国人にも日本人にも共通して言えることは、自らの生存と幸せを守るためには、現実に展開されている表面事象の裏に存在する本質に思いをいたし、常に何かに動かされているのではないかと警戒し、地道な前進以外の誤魔化しやスローガン、ブームや熱狂そして夢物語を常に疑うことが必要であるということです。
特に日本人が「日本を取り戻す」ためには、まず、「騙され続けてきた、今も騙されている」という事実を切実に知ることです。ここからしかスタートできません。
「疑り深い人間になれ」と言っているのです。一人ひとりに確固たる視点がなければなかなか耐え得ないことです。その視点を支えるのが、真実の歴史、正しい歴史認識です。メディアや教育が伝える虚構の歴史は確固たる視点を持つことをことごとく妨害します。真実の歴史はグローバリズム勢力の仕掛けをも赤裸々にしてくれます。
日常の心掛けが大事です。日本の歴史と伝統とを中心軸に据えたうえで情報リテラシーを鍛えることです。極力原典に近い良書を読み、動画を含めたネット情報は取捨選択し、新聞も必要と思われる箇所のみを拾い読みすることとし没入しない、テレビは見ない等々。
一人ひとりが確固たる視点に基づいて自ら考え行動し意思を持つこと、その部分を決して他人や「空気」に委ねない。一人ひとりこそが主人公だという自覚と覚悟を持つ。「日本を取り戻す」のはほかの誰でもない国民一人ひとりにしかできないのです。政治はその上で初めて実体を備えます。
※※※
憲法で定められた「財産権保護」というお題目で、富が、市民のための制度を次々と破壊していくのを目の当たりにしてきた。自分が忠誠を誓った陸軍が、富の前に売春婦のようになり、富の利益のために、時には脅迫し、時には力を振るうのを目の当たりにしてきた。一部の人間だけが享受する大都市の贅沢や繁栄が、子供をも含めた民衆の搾取から成り立っているのを目の当たりにしてきた。
「僕たちは、今、新しい時代の入り口に立っています。
過去はもはや未来への道しるべにはなりません。
150年前のフランスに、何世紀ものあいだ眠っていた巨人 ( 主権者・人民 ) が現れました。巨人は大きな通ちを犯していることを知っていたものの、それを正す方法を知りませんでした。だから、巨人はやみくもに暴力をふるい、悪人を倒すつもりが無実の人も殺してしまいました。
巨人は、その時代の社会の仕組みを、全く知らなかったのです。
当時、少数の支配者たちは、巨人を無知のままにしておかなければ抑え続けることはできないと考えていました。巨人には学ぶ機会を与えられず、生まれてから死ぬまでずっと、生きながらえるためだけに、なんとか衣食を得ようとあがいていたのです。巨人の労役、いや生命そのものでさえ、支配者層の食欲や執着、気まぐれの餌食となりました。
だから、目覚めた巨人は、ただ破壊することしかできませんでした。
巨人にとって不安だったのは、支配者層の中に親身に導きの手を差し伸べてくれるようなぜ寛大で慈悲深い人が一人もいなかったことです。巨人は、弱くて利己的な男たちに煽られて、更に無謀な殺人や破壊を繰り返したのです。
しかし、その流血騒ぎの中から、人類に素らしい希望の光が生まれました。神格化されていた王の権利が永久に打ち砕かれたのです。巨人は遂に自分の強さを知ったのです。
頭をもたげ、目を輝かせ、自由・平等・友愛を主張する勇気を持ったのです。
その後、西欧諸国では、社会の各層が、次々と富を獲得する権利や政府に参加する権利を要求し、実際獲得していったのです。
あちこちで、より大胆で強引な少数派が、より大きな富と権力を手に入れていった。彼らは、当たり前の利益では満足できず、必要以上に儲けようとした。ほんの少し前までは普通の人間だったのに、今では他人の努力を妨げ、平等な権利と機会を求める大きな動きを抑え込むようになってしまったのです」
「悪いのは構造なのだ。育った環境のせいで、真実が見えなくなっているんだ。人々にとって、重要なのはドルであって人ではない。
資本が機械を買うように労働力を買うことができると教わってきたんだ。そこに、『労働者は自分たちと同じ人間だ』という考えはない。
もし、『企業にとって、労働者、国家、最後に資本の順に重要である』などと国が言えば、財産が没収されることと同じだ。
創造を行うのは労働であり、つまり『生きている人間』による労働であって資本ではないことを知らないし、おそらく一生知ることができないでしょう」
「世界の夜明けから今日まで、強者が弱者と相容れることはなかった。
原始の石器時代には、敵を倒す力が必要で、その力を持つ者が支配者となった。その後、支配者たちは知恵をつけ、数世紀にわたり多くの民衆は抑圧を受け続けた。民衆は、少数の知的な人間が神から与えられた支配の力を持っていると考えるようになった。支配者たちは、民衆を肉体ぎりぎりまで働かせ貢がせた。
社会が間違った方向で形成され始め、その結果が、今日の惨めな世の中だ。利己主義が真ん中にきて、肉体と知性が人より優れていれば、他のことは重要でなくなってしまった。
そのうち、このような考え方が、正義にもとるものであることに気づかれ始めた。
まず、肉体の強い者が弱い者を略奪し破滅に追い込むのは間違っていると言われるようになった。
そして、今、知性の時代が目の前まで来ている。知性の高い者が、知性の低い者に服従を強い、誤った文明が課してきた過酷な重荷を背負わせることが、同様に非難されるようになるのだ」
「事実を記録するために様々な手段がある今日の歴史でさえ、信用できない。ましてや、言い伝えが唯一の手段である昔の歴史は、まったく信用できない。
凡庸な人物が、『天才だ』ともてはやされる。偉大な人物が発する愛国心あふれる言葉が満される。加えて、知恵をつけた巨人の真の姿を明らかにするのは至難の技だ。巨人は、ただの人間なのに徹底的に理想化された。その結果、巨人は、本来の自身を失い、大衆が望む姿になってしまった。
デマとそれを真に受ける大衆が、人類の進歩をおおいに遅らせている」
「ダーウィン、ハクスリー、ウォレスが導いた唯物論者たちは、正しい方向に大きく進んだ。それは確かだが、生命の源流に行こうとしたとき、唯物論的な鍵では決して開けられない扉に行き当たった。
その後、反動が起こった。すぐれた科学であるほど、心や精神の論に立ち帰った。それで、真実が明らかになってきたのだ。
今人間は、終にその素晴らしい領域に入ろうとしている。それがキリストの約束だったんだ。
つまり、かつてキリストは『神と我は一つである』と言い、更に『我を見たとき、汝は神を見たことになる』と言った。
キリストは、『すべての生命はそれぞれ別個のものである』が、また、『一つの大きな生命の一部でもある』ことを伝えていた。
僕たち一人ひとりが、自分の心の力に気づき始め、そして、その力が自分を守ってくれていることにも気づき始めた。将来、幼い時から心の力で身に降りかかってくる困難を克服するよう教えられるようになったら、人類に新しい時代がやってくるだろう。
人々から、恐怖、憎しみ、貪欲、そして生命に関する物質的概念が満え去り、心に健全な思考だけが宿る日が来たら、心の病も多くの肉体の病とともに消え去る。そして、世界の救済という奇跡が広くもたらされる。
起きてもいない問題のことをくよくよ考えるのではなく、いざという時に被害を回避できるよう心と肉体を実直に鍛えておかなければならない。失敗する可能性を失敗する前から思い悩んではならない。心や精神が肉体を支配する偉大な領域では、失敗という考えが入り込むべきではない。
恐怖は、僕たちに取り憑いているどんなものよりも多くの不幸をもたらす。恐怖から決して逃れられない人も確かにいる。朝は漠然とした恐怖の感覚で目を覚まし、夜は次の日のことを考えて恐怖を感じるのだ。
もし、『どんな状況下でも最善を尽くし、結果を恐れない』と決意し、その決意を持ち続けるならば、僕たちの人生は違った意味を持つだろう。
そのために、むやみに死を恐れないように鍛錬する必要がある。この点では東洋人の方がはるかに賢い。彼らは、死をより良いものへの幸せな転生と考えることを知っている。
それが本当の意味で正しい死の哲学だ。
その境地に至らないまでも、死は単に夢のない長い眠りを意味すると考えることができるのではないだろうか。
死者の魂は自分が生まれた源に戻って全体の一部になる。あるいは、肉体はなくなるが魂が残り運命を全うする。どちらかだと思う。
もしそうなら、いわゆる死は存在しないことになる。死は、より素晴らしい日の始まりを意味する。生きている間の自分の魂を無私無欲へと導く努力が、死んでからの魂の存在をより高めてくれるのだ」
「自分の健康、名声、富、全てを自分だけで享受する。幸運でない人間はそうなるようにしてなっただけと咎める。しかし、貧しい人、弱い人、能力のない人は、好きでそうなったわけではないはずだ。どんな環境でどんな機会をもって人生を送れるかは、偶然や親から受け継いだものに困るところが大きい。
健康、能力、エネルギー、恵まれた環境と機会、どれも成功するために大切だ。どれか一つが欠けても成功が遠のく。
力のある人間が、その力を自分の利己的な欲望を叶えていくためだけに使えば、それは獣と変わらない。そのような道徳観では世界を統治できるはずがない。
人類は、最近までこうした問題意識に正面から向き合うことはなかった。
今しっかりと対峙した。人類の栄光と名誉をかけて、正しい答えが出されようとしている。
強者は弱者を助け、富者は貧者と分けあい、それを『慈善』と呼ばず、『正義』と呼ぶようになる。そして、男女問わずこの義務を果たさない人間は、自分がどう思おうと、社会的には軽蔑されるようになる。
一世代か二世代前に理不尽な富の奪い合いが始まった。金に目がくらみ、人々は戦いあがき、そして死んでいった。一体何のために?
富を手に入れた一握りの幸運な人々は、富を享受する。贅沢したり虚栄心を満足させたりする人間もいれば、もう少し頭を使って、学問や研究のための学校や科学や芸術の発展のために大金を寄付して優越感に浸る人間もいる。
でも、時折普通より優れた才能を持つ人間が現れて、本当に価値のあるものを見分ける。
むしろ富や権力を避ける。そしてやるべきことを懸命にやるんだ。
例えば、偉大な教育者となり、その清廉な生き方でアメリカの若者に模範を示した人もいた。それは、億万長者たちが教育のために寄付した大金全部を合わせたよりずっと価値があることだ。
自ら大変な事業を成功させた人もいた。国に貢献するためだけに、力の限りを尽くした。
灼熱の土地に行き、巨大な運河を掘り、二つの大きな海をつなぎ、世界の商業の流れを変えた」
「力のある者、能力のある者、精力的な者たちが発揮する効率も下げたくない。それに、努力しない者や計画性のない者にただ施すだけでいいわけがない。
今以上に富を公平に分配することなどできるのだろうか。
単なる社会主義では、皆ベストを尽くさなくなるだろう。人よりがんばって成功して見返りを得ようとする気持ちを削いでしまう。それではむしろ世の中は後退してしまうだろう」
「今、道徳な基準や考え方は世界レベルで変化しています。
私は、物質的な見返りは精神的な見返りに到底敵わないということに、人類は気づき始めていると信じています。この気づきは広がってきていますし、熟すときが来るでしょう。
そして、それが完全に結実したとき、世界はある種の利他主義を無理なく達成するのです。
どんなに抜本的な法律を作っても、そうした望ましい社会には到達できないだろうと考えます。カール・マルクスが夢見た社会主義は、国有という包括的なシステムと富の平準化だけでは実現できないのです」
「この申し出を軽々しく断ってはいけない。このような機会は人生で二度とない」
「おっしゃることはもっともだと思います。軍人としてのキャリアを捨ててしまうのは断腸の思いです。
しかし、私は今、新たな生の課題に取り組み始めています。世間が言う栄光や成功は決して手に入らないでしょうが、その課題に全身全霊で取り組むべきだと直観が訴えてくるのです。よそ見している暇はありません」
「君が選ぼうとしている道は暗く険しい。先が見えないのだ」
「おっしゃる通りです。ただ、あなたと私では成功の基準が違うのです。
私が、もしあなたが良しとする道を迷わず一途に進めるのなら、その先の栄光と名誉を手にして嬉しいだろうし、満足して死ねるでしょう。
でも、私の性分では、その道を歩み始めたとしても、機会を得られずに生き死んでいった同胞の亡霊が頭に浮かんで、自分も悩み苦しむことになるだけです。寒さや飢え、病気で苦しむ貧しい人々が、私が名声や成功を得るために彼らを見捨てたと叫んでいるように思え、平常心ではいられません」
「我々の社会は、効率を阻害しているという面で、根本から間違っている。
もし社会が正しく、組織されていれば、衣食住に不自由する者はいないはずだ。法律や流行りの習慣・倫理数育があいまって機会の不平等が生まれ、少数とその他大勢の間の格差が広がる。
結果、国民の大多数は、生産的になれない状況に追い込まれている。
富める少数と貧する大多数との割合は、国ごとに異なる。どういう数育が施されているか、法律がどの程度公平を保っているかで、変わってくるのだ。
いずれにせよ、数世紀にわたり、機会がごく一部の人間にしか与えられなかったため、ほとんど進歩がなかった。しかし、やっと最近、世界のかなりの数の人間が生産匂いいその結果も目に見えるようになってきた。
これからの先見性ある政治家たちは、これを倫理の問題ではなく、経済の問題として捉えるべきである。
すべての子供たちが身を削らなくても衣食住が満たされ、個々が最も適したことを成し遂げる機会を得れば、ただ命永らえるために闘うだけの人生から脱することができる。そうなれば、人類一丸となって自然の脅威に打ち勝つよう努力できるはずだ。そして、人類が知的にも精神的にも進化すれば、現代の我々が過去の暗黒時代の文明を評するように、今日の文明を粗野で利己的で非論理的なものだったと評する未来は、すぐそこだ」
力が最も大きいとき、力は最も不安定であ
「人々の良心は目覚めた。政府が、強欲な少数者のためではなく、広く国民のために統治するようになるまで、我々は進み続ける」
「目の前の課題に戻ると、とりあえず、許される限り慣習や風習をシンプルにすることから始めなければ。どんどんお金が必要になる原因の一つは、生活や銀薬で友人や強人よりも上を行きたいという欲求だ。皆が周りの人間より贅沢をしたいと思う。その結果、最終的にはすべての人が不幸になり災禍を被る。何と哀れな欲求だろう。そんなことで魂が削られていく。視野が狭くなっていく。
貧しい人を助けることもできない。隣人を助けることもできない。もし誰かを助けようとすれば、つまらない平等意識に反することになり、自分の属するちっぽけな社会に居場所を確保することができなくなる」
雇用主の皆さんにおかれましては、「労働に対して適切な賃金が支払われなければならない」ことをご理解いただけると思います。労働者は、もはや、需要と供給の法則によって売買されるいいなりの「商品」ではありません。
これからは、「人間と資本の間のすべての契約で、人間が主導権を握る」ようになるのです。
裕福な人にありがちな贅沢をしたことはなかった。「子供たちは普通に快適に暮らしていければいい、今まで以上の贅沢は必要ない」と思っていた。とても賢明で「カネの麻素性」がわかっていた。
「子孫を金の災禍から守ることが、金持ちにとって一番大事なことだ」
「親が財産を持ち、その財産を子に惜しみなく与えると、子は『社会の一員として立派に働くこと』や『人から尊敬されること』がほとんどなくなる。
逆に、どんな職業でも、成功するのは自力で道を切り拓いてきた人だ」
一人、比較的新しい教育機関の学識経験者がいる。将来的にはこの機関を背負って立つだろう人材だ。この男は、その教育機関をしっかりと基盤から作り上げようとしている。
彼が英知を傾け励む事業は、今後何世代にも渡る若者が恩恵を受けるはずであり、感謝されるべきことだ。
しかし、彼には放浪癖がある。
この有能な教育者の収人は、現在はささやかなものであるが、私の計らいで多額になってしまったら、その有益な仕事を続けてくれるだろうか、もしかすると、詳めてアラブでテント暮らしでもするようになるのではないか。
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