【本要約】ニュータイプの時代
2022/2/15
変化の最中
現在は、オールドタイプからニュータイプへの変容の最中である。
・オールドタイプ
従順で、論理的で、勤勉で、責任感の強い、いわゆる優秀な人材
旧態依然とした思考・行動様式
・ニュータイプ
自由で、直観的で、わがままで、好奇心の強い人材
新しい思考・行動様式
オールドタイプの思考・行動様式は、時代遅れになりつつある。それは、資本主義社会で成功する優秀な人物と考えられてきた人材の要件である。
■オールドタイプからニュータイプへのアップデートが必要な2つの理由
(1)
価値創出の源泉が「 問題を解決しモノを作り出す能力 」から「 問題を発見し意味を創出する能力 」へとシフトしている。
優秀な人材の要件は、その時代に特有の社会システムやテクノロジーの要請によって規定される。世の中の要請に対して、相対的に希少な能力や資質は優秀さとして高く評価され、過剰な資質や能力は凡庸さとして叩き売られる。
モノが過剰になる一方で、問題が希少になっている現在の社会において、求められる人材要件が、モノが希少で問題が過剰であった従来の人材要件と大きく異なるのは当然である。
問題
・市場取引によって解消が可能な顧客の不満・不便・不安といった問題
・経済システム内で解決する問題
(2)
資本主義というシステムが生み出す問題が拡大再生産されている。
問題
・ゴミ・貧困・環境といった問題
・「 市場の失敗 」「 負の外部性 」= 経済システム内で解決しない問題
モノが溢れる状態で、向上を目指すのであれば、過剰にあるモノをゴミにしていくしかない。
資本主義というシステムの大きな問題を解決するには、システムのリプレースではないことは歴史が証明している。だから、システムを改修しながら、システム利用者の思考・行動様式を切り替える必要がある。
① ビジネスは、経済システム内で解決する問題を取り扱う。
② 問題の発見と問題の解決が組み合わされることで成立する。
③ 現在は問題そのものが希少になっているので、問題の解決能力ではなく、問題の発見能力に価値が見出される。
新しい時代への転換は、オールドタイプがかつて目指していたような「 ファンファーレを伴ったシステムのリプレース 」によってなされるのではなく、誰も気付かないうちに「 人間の見方 」が変わることで起きる。
VUCAの時代
・私たちは、既に必要とされている、ありとあらゆるモノを手に入れることができる時代に生きている。
・私たちは、何かが満たされていない、人生において何か本質的に重要なモノが抜け落ちているような感覚に捕らわれている。
物質的欠乏が、解消された社会において、人はどのようにして生きる意味を、見出せばいいのか?
ニーチェは
「『 何のために?』という問いに対して答えられないこと 」
=「 意味を喪失した状態 」をニヒリズムといった。
私たちは、モノが過剰で、意味が希少な時代を、生きている。
モノの過剰さが、価値を低下させる一方で「 意味がその希少さゆえに価値を持つ 」という時代である。
VUCA
Volatile:不安定
Uncertain:不確実
Complex:複雑
Ambiguous:曖昧
■社会のVUCA化の進行による影響
(1)
経験の無価値化
「 環境が変化していく 」ということは過去に蓄積した経験が無価値になっていく
新しい環境から柔軟に学び続ける人が価値を生み出す。
(2)
予測の無価値化
不安定で不確実な時代には、中長期的な予測を元にした計画は、減損していく。
「 とりあえず試し、結果を見ながら微修正を繰り返していく 」という計画的な行き当たりばったりによって、変化する環境に柔軟に適応していく。
(3)
最適化の無価値化
環境に対して最適化することで、自分のパフォーマンスを高めようとする。VUCAな社会では、環境は連続的に変化し続けていくので、ある時点の最適化は、オーバーフィッティングとなり、別の時点では、使いものにならなくなる。
「 最適化よりも、環境に柔軟に適合する 」ということが求められる。
歴史を辿ると、日本人は「 何処か外側に自分のところより上位の文化があって、よいモノは常に外部からやってくる 」という態度である。日本には、ユダヤ教やキリスト教社会に見られるような " 一貫して存在するコンテンツ " はない。" 一貫して存在するモード " があって、それは「 外来のものを呑み込んでいく 」という文明受容の姿勢である。
問題とは、あるべき状態と現状との差分と定義できる。
問題の希少化は、あるべき姿を構想する力の衰えが招いている。ニュータイプは、あるべき姿を構想し、そのあるべき姿と現状とのギャップから問題を発見していくことで、人々が取り組むべき問題を明確にする。
「 イノベーションを起こそう 」としてイノベーションを起こしたイノベーターはいない。具体的な解決したい課題があり、課題を画期的なアプローチで解決した結果として、その取り組みがイノベーションとなった。
課題が不明確なままに、いたずらに解決策をテクノロジーで追求していっても、そこには、ビジネスは生まれない。
構想力
問題が希少化する世界一にあっては「 未来を構想する力 」が大きな価値を持つ。
問題とはあるべき姿と現状のギャップであり、あるべき姿を思い描くには、必ず未来を構想する力が必要になる。「 予想 = 未来はどうなるか?」という論点ではなく、「 構想 = 未来はどうしたいか?」という論点が重要になる。
今、私たちが暮らしている世界は、偶然の積み重ねで、できあがっているわけではない。どこかで誰かが行った意思決定の集積によって今の世界の風景は描かれている。未来の世界の景色は、今、この瞬間から、未来までの間に行われる人々の営みによって決定される。
しかし思うに、余暇が十分にある豊かな時代がくると考えたとき、恐怖心を抱かない国や人はないだろう。人はみな長年に渡って、懸命に努力するようにしつけられてきたのであり、楽しむようには育てられていない。特に才能があるわけではない平凡な人間にとって、暇な時間をどう使うのかは恐ろしい問題である。
ケインズ
人のモチベーションは、可変量関数である。やる気は意味次第で増減する。モノゴトに意味を与えられるリーダーが、他者から大きなエネルギーを引き出すことができる。
企業が事業を行なっている目的が、志望動機となる。高い給与よりも、人のためになる仕事、社会に貢献する仕事を求めている。
いつの時代でも、その時代の若者は、常にその時代に足りないものについてハングリーである。
モノが過剰に溢れる一方で、意味が枯渇している社会にあって、若者が「モノ」に対してハングリーになれないのは当たり前である。
世界中の情報を整理し、誰もがアクセスできる世界を作る
Apple
人間の知性にとっての自転車を作る
マーケティング
■ヒューマニティーのマーケティングの主従関係
「 世の中にこういうモノを打ち出したい 」という人間の想いが起点となり、その想いを実現するための道具としてマーケティングを用いるのであれば、マーケティングの知識とスキルは強力な武器となる。マーケティングは、優秀な家来である。
「 何を打ち出すか = WHAT 」は、人間が主体となって意思決定し、「 どのように打ち出すか = HOW 」についてはマーケティングを活用する。
しかし、現在の日本企業では、「 何を打ち出すか = WHAT 」をビッグデータに代表される数値が決め、「 どのように打ち出すか = HOW 」を人間が考えている。人間とマーケティングの主従の逆転が起こっている。
マルクスは、「 人間が『 よかれ 』と思って作り上げたシステムから、やがて人間性が失われ、人間がシステムの奴隷となって振り回されること 」を疎外として警告した。今、まさに、日本企業では、マーケティングというシステムによる疎外が起きている。このシステムの中で疎外され続けた人間は、やかて、主体的に想い考える力そのものを失ってしまう。
優秀な人材を集め、モチベーションを引き出すためには
・WHAT = 何をするために存在するのか = 目的
・WHY = なぜ重要なのか = 意義・理由
・HOW = どのようにして実現するのか
を明確化して、共感できるストーリーとして伝えることが必要となる。
直感と論理
現在の世界では「 役に立つ 」よりも「 意味がある 」ことの方に高い経済的価値がある。
・「 役に立つ 」ということは「 明確化された問題に対して解決策を提供する 」ということで、論理的手法に価値がある。
・「 意味がある 」ということは「 ゼロからイチを生み出す意味の創造する 」というこで、論理の問題ではなく、直感が必要となる。
人間の脳は、2種類の意思決定のシステムが、同時に、異なるスピードで起きる。
システム1 = 直感は、
自動的に高速で働き、自分がコントロールしている感覚はない。
システム2 = 論理は、
複雑な計算など、頭を使わなければできない困難な知的活動にフォーカスする。
選択・集中といった主観的経験に関連付けられる。
直感は、意思決定のスピードを速めるだけでなく、状況によって、論理的思考よりも正確な将来予測を可能にする。
分析だけならば、情報を多く集めて時間をかけて論理的に行った方がいい。
意思決定に必要な将来の予測では、大量に情報を精査し過ぎると、予測モデルが、分散に左右される傾向がある。
多少バイアスがあっても、特定の少ない情報にだけ頼る方が、各情報の分散に左右されないので、将来予測・意思決定ができる。
過剰・希少
正解・問題
モノ・意味
データ・ストーリー
利便性・ロマン
説得・共感
競争・共創
過剰なモノは、論理と理性によって生み出され、希少なモノは直感と感性によって生み出される
内包的エラー
生物の遺伝をはじめとして、自然界には様々なエラーがシステムに内包されている。短期的には、効率性を悪化させるエラーがなぜシステムに内包されているかというと、エラーによる思いがけない変化が、中長期的に見れば、飛躍的な進化の契機になるからだ。
美徳
ひとつの美徳がある、私が非常に愛している唯一の美徳である。その名を「 わがまま 」という。美徳の中で「 わがまま 」ほど私が高く評価できるモノは他にない。
美徳のすべてをひとつの名前で総括すると、服従である。
誰に服従するかにある。
「 わがまま 」も服従である。
「 わがまま 」以外の美徳は、人間の生み出した法律への服従である。
「 わがまま 」だけが、人間が作った法律を適用しない。
「 わがまま 」な者は、自分自身の中にある法律に、我の心のままに従う。
ヘルマン・ヘッセ
ソクラテス、キリストは、最高の美徳の体現者であった。当時の社会ルール・規範に対抗して、自分の内面的な道徳・価値観に従ったわがまま者であった。
私たち日本人は
①「 決められたルールに従うということを無条件に良いことだ 」と考える。
② 何かを判断しなければならない時、まず、ルールを確認し、ルールに則って判断する。
この問題点2つ
(1)
規範そのものに倫理的な問題がある場合、規範に従うことが倫理を踏み外すことになる。社会的に設定されている規範に従うだけで、規範の内在性について無自覚である。
あるとき、革命が起こり、規範が変化する。
革命後の社会から見ると、革命前の社会は、無知で理解不能な世界に見える。ここに落とし穴がある。私たちが現在、無自覚で無批判に従っている規範の多くもまた、後世の社会でから見れば、無知で理解不能な世界に見えるだろう。
(2)
決められたルールに従い「 ルールを確認してから判断する 」という思考様式は「 ルールが存在しなければ何をやってもいい 」という逆説的な思考を生む。
様々なテクノロジーやビジネスモデルの変化に対して、ルール制定が追いついていない状況が発生している。
この場合は、外在的な規則ではなく、内在的な価値観に従う必要がある。
GDPの終焉
量的な経済指標のみで、社会のあるべき状況が規定できる時代は終焉している。今の時代に問われているのは「 経済に代わる新しい質的な指標は何か? 」という問題である。
GDPに代表される経済指標は、豊かさを示す指標としては無意味であり、現在の日本では、モノから意味へと価値の源泉がシフトしている。豊かさはモノの量ではない。
私たちの言語は、漢字・ひらがな・カタカナ・アルファベットという、4種類の文字を日常生活の中で器用に使っている。私たちのシステムは、ひとつの大きなシステムの中に、複数の出自のモノが一体となって溶け込んでいる。そして、日本人は、そのことを自覚していない。
・役に立つ市場では量的指標が機能した。
・意味がある市場では顧客価値が数値化されない。
ヴィトンを愛用している人と、プラダを愛用している人の価値観は、数値化できない。
企業
■自由な労働市場よりも官僚的な企業が有利な点
① 検索費用
市場で適切な価格水準を探り、取引相手を探す費用と時間
② 交渉費用
取引相手と交渉し、合意に至るまでの費用と時間
③ 契約費用
取引相手との合意内容を確認し、有効な契約にするための費用と時間
④ 監視費用
取引相手が契約を履行するかどうか、監視するための費用と時間
これらは、情報に関わる問題であり、デジタル技術と極めて相性がいい。
人材
企業が保有する経営資源の中で「 可変性が最も高い」のが人という資源である。同じ能力を持つ2人がいて、内発的動機で駆動されるニュータイプと、上司からの命令に従っているオールドタイプを比較すれば、ニュータイプが高いパフォーマンスを発揮する。
モチベーションが最大の競争要因だとすれば、個人にせよ組織にせよ、パフォーマンスを高めるためにはモチベーションのマネジメントが必要になる。どのような仕事やタスクで内発的動機が湧くのかを把握し、そのような場に自分をポジショニングし続けることが重要になる。
VUCA化する世界において、過去に蓄積した経験や知識の陳腐化が進めば、専門家の持っている価値も減損する。
止める
この世の中に存在しているあらゆるものは「 それ自体として良いとか悪いとかいうこと 」はなく、その人の価値観で決まる。
私たちが人生を楽しむためには、様々なモノを試し「 どのような事物が、自分の価値観にマッチするか 」を経験的に知っていくことが必要となる。
成功者の80%は、偶然によって、ビジネスのキャリアを築いた。キャリアが偶然に生成される以上、ゴールを設定して努力するよりも、セレンビリティーを引き寄せるための計画と習慣に向けて努力する。
・好奇心
自分も専門分野だけでなく、いろいろな分野に視野を広げ、関心を持つことでキャリアの機会が増える
・粘り強さ
最初はうまくいかなくても粘り強く続けることで、偶然の出来事・出会いが起こり、新たな展開の可能性が増える。
・柔軟性
状況は常に変化する。一度決めたことでも状況に応じて柔軟に対応することでチャンスを掴むことができる。
・楽観性
意に沿わない異動や逆境も「 自分が成長する機会になるかもしれない 」とポジティブに捉えることでキャリアを広げられる。
・リスクテイク
未知なことへのチャレンジには、失敗やうまくいかないことが起きるのは当たり前、積極的にリスクを取ることでチャンスを得られる。
・たくさん試すことで勝てる場所を見つける。
・大量のモノを試して、うまくいったモノを残す。
生命が進化する自然淘汰のメカニズムと同様の戦略である。
自然淘汰は偶発的に発生する突然変異を起点とする。遺伝子のコピーに何らかのエラーが発生し、新しい形質が生まれたとき、その形質が、たまたま環境と適合していれば、新しい形質を持った個体が子孫を残す確率が高まる。
計画を細部に至るまで綿密に作り上げる前に、即興的にプロジェクトを始めるチームほど、大きな成果を生み出した。即興型のチームは、計画の策定と実行が、一体となっており、実行をしながら、その都度、現れてくる問題や見えてきた市場の好機に適応するようにして、計画を修正していた。「 プロジェクトの進行過程自体が、計画立案のプロセスになっていた 」ということだ。だからこそ、即興チームの方が市場での成功確率が高かった。
試すためには、止めることもまた必要である。
何かを試すためには、何かをやめなくてはならない。
人であれ、企業組織であれ、何かをするための時間・資源には限りがある。
「 試すことができない 」のは「 リスクを取れない」からである。
「 リスクを取れない 」のは「 止めるのが下手 」である。
①「一度はじめた以上、中々、止められない 」ということであれば、当然ながら、はじまりに大きなリスクが伴う。
② 試行のコストを押し上げる心理的な要因は「 やめられない 」というバイアスによって形成されている。
③ 「 始められない 」のではなく「 止められない 」というのがシンプルな結論である。
痛覚
①「 痛み 」はネガティブな感覚であるが、生物が進化の過程で、ネガティブな感覚を獲得した。
② それを形質としてずっと遺伝してきたのは「 痛みを感じる 」ということが、生存にとって極めて重要である。
③ 逆に「 痛みの感覚に鈍くなる 」ということは「 その生物の生存・繁殖にリスクをもたらす 」ということになる。
痛覚の神経を持たない人は短命である。
私たちは「 何が危ないのか 」ということを知識で得ようとしているが、そんな知識を習得するより、判断が求められるその瞬間、つまり「 今、ここ 」において、自分の体がどのように反応しているかを敏感に感じとる力の方が、重要である。
痛みを避けていたのでは「 痛みを検知する 」という危険を察知する能力が低下する。痛みを伴うことで知識を得るのだ。痛みがあるからこそ、体験としての知識が身につく。痛みは知識を身に付けるための源泉だ。痛みの数だけ、傷の数だけ、人は成長していくのだ。
リスクのないリターンはない。
人は頭をひしゃげて生まれてくる。泣きながら、痛みを抱えて生まれてくる。痛みが先だ。痛みを覚悟するだけだ。自分の人生においての最大の痛みを思い出す。その痛みよりも大きな痛みなんて、滅多にない。
by 湯浅
危機に直面した生物は「 戦うか逃げるか 」のどちらかの選択を瞬時に行う。人間は「 じっと耐える、なんとか頑張る 」という選択をする。この選択をする動物は、存在しない。なぜなら「 その選択をした生物は絶滅してしまった 」からだ。「 じっと耐える 」というのは、個体の生存という観点から、悪手である。
「 逃げる 」ということがネガティブに捉えられているのは、社会の論理である。組織の人々が、次々に逃げ出していては、社会が回らない。だから「 逃げずに我慢することがいいことだ 」と叩き込まれる。
「 逃げる 」という動物的合理性の本能を無視して「 我慢する 」という社会的合理性を文化として刷り込まれた。
by 湯浅
頼りになるのは、事態の変化を捉えるセンス、偶然に対する勘である。
浅田彰
自分の直感を信じる。
・危ないと感じるアンテナの感度
・逃げる決断をするための勇気
共有
独占を目指さず、積極的に他者と実りを共有することで、全体としての富を大きくしていくことを目指す。
今日の共有エコノミーの勃興は、私たちが、資本主義世界において、絶対善として崇めてきた独占や所有といった概念に揺さぶりをかけている。
共有を目指すためには、まず、自分の持っているモノを差し出すこと、「 ギブ&テイク 」のギブが必要になる。「 ギブする人 = ギバー 」と「 テイクする人 = テイカー 」では、中長期的に大きな成功を収めている人は、ギバーが多い。100メートルならテイカーが有利だけど、マラソンならギバーが有利である。「 人から奪い独占しよう 」とするテイカーより、「 人に与え共有しよう 」とするギバーの方が、有利になる社会がやってくる。
多くの人が組織の境界を越境して働くようになり、個人に対する評価や信用などの社会資本がブロックチェーンなどの技術によって、公共空間に蓄積することになれば、ある個人の評判は、すぐにネットワークを通じて他者と共有されることになる。
リベラルアーツ
構造力を高めるためには、リベラルアーツが必要である。サイエンスは与えられた問題を解く際に極めて切れ味の鋭い道具となるが、そもそも、問いを設定することは、不得手である。
役に立つのはサイエンスの仕事であり、意味があるのはリベラルアーツの仕事である。
リベラルアーツとは、自由になるための技術である。
「 真理はあなたを自由にする 」が自由の語源である。
・真理とは、時間を経ても場所が変わっても変わらない、普遍的で永続的な理 ( ことわり ) である。
・真理を知ることで、その時、その場所で支配的な物事を見る枠組みから自由になれる。
目の前の世界において常識として通用して誰もが疑問を感じることなく信じ切っている前提や枠組みを、一度引いた立場で相対化してみる、つまり、問う・疑うための技術がリベラルアーツである。リベラルアーツによって未来を構想することができる。教養によって、目の前の世界を比較相対化することで、浮かび上がる普遍性のなさに疑うべき常識がある。
私たちは無意識レベルにおいて、心の中でメンタルモデルを形成する。メンタルモデルとは、私たち一人一人が、心の中に持っている「 世界を見る枠組み 」のことだ。現実の外的世界から五感を通じて得た情報は、そのメンタルモデルで理解できる形にフィルタリング・歪曲された上で知覚される。
■コミュニケーションによる聞き方の深さ
(1)
自分の枠内の視点で考える
新しい情報を過去の思い込みの中に流し込む。
未来が過去の延長上にある場合は有効だが、そうでない場合は状況は悪化する。
(2)
視点が自分と周辺の境界にある
事実を客観的に認識できる。
未来が過去の延長上にある場合は有効だが、そうでない場合は本質的な問題にいつまでも辿り着けない。
(3)
自分の外に視点がある
顧客の感情を、顧客が日常使っている言葉で表現できるほど一体化する。相手とビジネス以上の関係を築ける。
(4)
自由な視点
何か大きなモノとつながった感覚を得る。理念の積み上げではなく、今まで生きてきた体験、知識が全部つながるような知覚をする。
①容易に「 わかる 」ことは、過去の知覚の枠組みを累積的に補強するだけの効果しかない。
②本当に自分が変わり、成長するためには、安易に「 わかった 」と思わないことだ。
③相手の言っていることを傾聴し、共感することが必要になる。
自分を変えるキッカケになるのは「 わからない 」という状況である。
他者 ( 理解できない人 ) とは「 気付き 」の契機である。
自分の視点から世界を理解しても、それは、他者による世界の理解とは異なっている。このとき、自分と世界の見方を異にする「 他者 」を、学びや気付きの契機にすることで、私たちは今までの自分とは異なる世界の見方を獲得できる可能性がある。
インターネットによって世界が小さくなったのではない、わかり合える人たちだけの世界に閉じ、その外側にいるわかり合えない人たちを断絶したことで、孤立化を助長した。
民主主義は「 自分とは違う立場の人がいる 」「 自分とは違う政治的態度の人がいる 」ということを認識し、受け入れることで初めて成立する。
VUCAの時代2
これまで「 経験量の多寡 」は、その人物の優秀さを定義する重要な尺度として用いられてきた。しかし「 社会のVUCA化 」が進行することに伴って「 経験の不良資産化 」が進むことで経験への評価も大きく変わる。
「 経験に頼らず、新しい状況から学習する 」ことが優秀さの尺度となる。
新しい学習のためには、何かを忘れる必要がある。
新しい学習と経験知が引き起こす矛盾が起こったときに、経験知を捨てなければならない。
学習のプロセスは、具体的経験から始まる。失敗にせよ成功にせよ、なんらかの具体的エピソードがあって初めて学習のプロセスが起動する。学習の多くは、失敗体験に基づいている。失敗 = ストレスという代償を支払った末に、経験を得ている。
経験によって個人のパフォーマンスが高まるのは、経験によって本人のパターン認識能力が高まるからだ。
未経験の事態に対処する場合には、ゼロベースで情報を集め、論理的に組み合わせるか、自分の直感に基づいて試行錯誤しながら対処する。
VUCA化する社会が進み、経験の無価値化が起きれば、この経験豊富な年長者による意思決定という慣例は、悪手になる。
権威ではなく、問題意識で行動する。
日本の企業組織は、官僚型組織である。官僚型組織とは、作業のルールと意思決定権が規定され、ルールの範囲内であれば、自分で判断して作業を実施し、ルールで判断できない例外的な事象については、上役に相談して判断を仰ぐというシステムで運営される組織を指す。
機長が操縦しているときの方が、副操縦士が操縦している時よりも「 事故が起きやすい 」という統計の結果は、どんなに判断力に優れたリーダーであっても、例え、力量が劣ったとしても、仲間と議論をしながら行う意思決定の方が、単独で行う意思決定よりも優れたものになることを示唆している。
日本人は権威信仰が強いが、権威は常に正しい判断をして状況を救ってくれるわけではない。権威に従属することなく、自らの問題意識に突き動かされて、行動する人たち、キリスト・キング牧師・ガンジーは、偉大なリーダーとなり、リーダーシップを発揮した。
現代における水戸黄門は存在しない。
※日本人は天皇信仰のDNAを受け継いでいるので、権威信仰を本能として持ち、ピラミッド型の社会に従属する性質がある。
by 湯浅
資本主義システム
今、この瞬間の社会のありようを前提にして、その中で「 いかに功利的に動けばゲームに勝てるか 」という問題意識に囚われ過ぎている。社会や組織のありように対して、その是非を問うことなく「 世の中とはそういうモノだ 」と割り切った上で、システムを改変することなく「 自分自身をシステムに最適化してゲームに勝つ 」ということに熱中している。
貧富の格差が社会問題となっている。
①「 生み出された富が極端に偏在している 」というのは、システムの機能不全によって発生している。
②この状況に対して「 残酷な社会で、自分は拡大する貧富の格差のうち富の側に入れるように頑張ろう 」と行動する。
③そもそも「 なぜ、私たちの社会は残酷なのか?」という問いが必要である。
システムに最適化させていくと、システムの改変によって、過度の最適化は、いずれ必ず適合不全を起こす。
資本主義というシステムが、意味の枯渇やモノの飽和に大きく関わっている。
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