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偉大なる失敗

20250108

私の目的は単純だった。科学的な大発見は成功話に充ち満ちているという誤解を解くことだ。いやむしろ、これ以上に真実からかけ離れた考えはない。大成功への道は過ちで踏み固められているだけでなく、目標が大きければ大きいほど、起こりうる過ちも大きくなるのだ。

本書は、生命や宇宙の謎を解明しようとする注目すべき研究活動の一部を取り上げたものだが、どちらかといえば目的地というよりも旅の過程にスポットライトを当てている。偉人たちの功績そのものではなく、むしろ発見に至るまでの思考プロセスや障害に着目するよう試みた。

心から警告しておきます。成物の理由や説明を見つけ出そうとするのはおやめなさい。万物の理由を見つけ出そうとするのはとても危険ですし、失望と不満以外、何も生みません。心に不安が生まれ、最後には惨めになるだけです。
ーヴィクトリア女王

どんな科学理論にも、絶対的で永久不滅な価値などない。実験や観測の手法や道具が向上するにつれ、理論は解体されることもあれば、従来の考えの一部を包念するような新しい形へと変身することもある。アインシュタイン自身、物理理論のこの進化する性質を強調している。「物理理論のもっとも美しい最期とは、それを包含するような理論の確立に向けた道筋を示し、その理論の中のひとつの特殊な例として生きることだ」。ダーウィンの自然選択による生物の進化理論は、近代遺伝学の適用によってひとえに強化された。ニュートンの重力理論は、一般相対性理論という枠組みの中の特殊な例として、今もなお息づいている。

時に、人間は、自分の間違いをなかなか認めたがらないものだが、それと同じように、新しいアイデアに頑なに反対することもある。量子力学の創始者のひとりであるマックス・プランクはかつて、こんな皮肉な指摘をした。「科学の新しい真実は、反対派を説き伏せ、理解させることによって勝利するのではなく、反対派がいずれ死に絶え、新しい真実に慣れ親しんだ新しい世代が成長することによって勝利するのだ」

近代神経科学によれば、眼窩前頭皮質(脳の前頭
葉にある領域)は理性的思考の流れの中に感情を組み込むことがはっきりと証明されている。つまり人間は、感情を完全にオフにできる純粋に理性的な生き物ではないのだ。

私たちはみな日常生活で数々の間違いを犯している。どの場合も、間違いだったことに気づくのは間違いを犯したあとだ。

経験とは、誰もが自分の間違いに付ける名前である
ーオスカー・ワイルド

さらに、私たちは自分自身よりも他者を分析するほうがずっと得意だ。ノーベル経済学賞を受賞した心理学者のダニエル・カーネマンはこう述べている。「私は自分の考え方を変える人間の能力については、あまり自を持っていないが、他者の間違いを見つける人間の能力については、かなり自信を持っている」

進化(evolution):生物にたとえることのできる任意のものが、その内在的な性質にしたがって発生または成長すること。また、任意のものが、具体的な使為によって生成されるのとは異なり、自然な発達によって進歩または発生すること

第28代アメリカ大統領のウッドロウ・ウィルソンはかつて、進化を通じてアメリカ合国憲法を理解するのが正しい道だと説いた。
「政府は機械ではなく生き物である。...(中略)….ニュートンではなくダーウィンの原理にしたがって理解されるべきなのだ」

■ダーウィン

ダーウィンは、『種の起源』で、デザイン説を葬り去り、種が永久不変であるという考えを一蹴し、適応と多様性を実現するメカニズムを提唱したのだ。
単純にいえば、ダーウィンの理論は、ひとつの驚異的なメカニズムによって支えられる四本の主な柱で成り立っている。その四本の柱とは、
「進化」
「漸進説」
「共通祖先」
「種分化」
だ。
そのすべての原動力であり、それぞれの要素を結びつけて連携させている重要なメカニズムというのが、「自然淘汰( 自然選択 ) 」である。

・進化
種は不変のものではなく、同じ属とされる種はほかの種、それもたいていは絶滅している種の直系の子孫なのだ

・漸進
地質的な作用がゆっくりとはいえ着実に地球を形作るのと同じで、進化上の変化は数十万世代におよぶ転換の結果として起こる。したがって、数万年にも満たない時間で、劇的な変化が見られると期待してはいけない。

・共通祖先
ダーウィンは当初、
「任意の分類学的分類に属するすべての生物(たとえばすべての脊椎動物など)は、間違いなく共通祖先を持つ」
と訴えた。しかし、ダーウィンは共通祖先の概念に関して、さらに想像を押し進めた。
「類推を働かせれば、もう一歩深くまで踏み込める。つまり、すべての動物と植物は、あるひとつの原型に由来していると信じられるのだ」
さらに、
「類推は誤りへといざなうこともある」
と用心深く前置きしつつも、
「地球上にこれまで生息したすべての生物はおそらく、最初に生命が吹き込まれたあるひとつの原始的な生物の子孫であろう」
と結論づけている。

・種分化
木に一本の幹があるのと同じように、生命もひとつの共通祖先から始まる、とダーウィンは推論した。幹が枝を伸ばし、枝が小枝へと枝分かれしていくように、“生命の木”も枝分かれや分岐といった出来事を数多く繰り返し、枝分かれのたびに別の種を生み出しながら、進化していく。こうして生まれた種は、木の枝が死んで折れるのと同じように、多くが絶滅してしまう。しかし、枝分かれのたびに、同じ祖先を持つ子孫の種の数は倍になるので、種の数は劇的に増加しうるのだ。では、種分化はいったいいつ起こるのか?
現代の考えによれば、主に特定の種に属する個体の集団が、地理的に隔離されたときである。たとえば、ある集団は山脈内の雨の多い側へと移動し、残りの種は乾燥した丘陵地帯に残るかもしれない。すると、時間がたつにつれ、この大きな環境の違いによって異なる進化の道筋が生まれる。最終的に、ふたつの個体群は互いに交配できなくなる。つまり、別の種になるわけだ。

ダーウィンの進化の図式では、現存するすべての生物は、人間も含めて、これと似たような進化の道筋をたどった結果なのだ。この図式の中では、人間は決して例外的な地位や特別な地位を占めているわけではない。人間は万物の霊長などではなく、先祖たちが地球で適応や発展を遂げてきた結果にすぎないのだ。これは「絶対的な人間中心主義」の終焉を意味していた。地球上の生物はどれもひとつの巨大な家族の一員なのである。

★自然淘汰

ダーウィンは、多くの種がとうてい生存しきれないほどの数の子孫を生む、という点に着目する。次に、特定の種に属する個体であっても、みなまったく同一だというわけではない点に注目する。一部の個体が、苛酷な環境への対応能力という点で何らかの優位性を持っているとし、しかもその優位性が遺伝可能であり、子孫に受け継がれるものだと仮定すれば、次第にその個体群は少しずつ適応を増していくだろう。

ダーウィン自身は「種の起源」の第3章で、記している。

そのような生存闘争により、いかにわずかな変異であろうとも、いかなる原因で生じた変異であろうとも、その種の個体にとっていくらかでも利益になるものなら、他の生物や自然環境との微妙な綾の中でその個体の生存を助け、子孫に受け継がれることになる。その変異を受け継いだ子孫も、そのことで生存の機会を高めることだろう。なぜなら、どの種でも定期的に多数の個体が誕生するものの、生き残れる個体は少数だからである。この原理、すなわちわずかな変異でもそれが有用なものならば保存されるという原理を、私は.....(中略).....自然淘汰の原理と呼んでいる。

(生存や繁殖の面で)より”よい”遺伝子を持つ個体のほうが、より多くの子孫を残せる。そして、それらの子孫のほうが(相対的に見て)よりよい遺伝子を持つ。
別の言い方をすれば、多くの世代を経るにしたがって、有利な突然変異体は生き残り、不利な突然変異体は消滅する。こうして、適応度が増すような方向へ進化が起こるわけだ。

自然淘汰は実際にはふたつの順を追ったステップからなるという点だ。ひとつめは主にランダム性や偶然からなるステップであり、ふたつめはまったくランダム性のないステップである。
ひとつめのステップでは、遺伝可能な「変異」が生じる。ランダムな突然変異、遺伝的組み換え、そして有性生殖や受精卵の形成に関連するあらゆる過程によって引き起こされる遺伝的変異である。
次に、ふたつめのステップの「淘汰」では、同じ種の個体同士の競争、別の種の個体との競争、そして環境への対応能力という点で、個体群の中でもっとも競争能力の高い個体が、より高い確率で生き延び、生殖を行なう。

自然淘汰と「デザイン説 ( 生物の精巧性は、自然・偶然ではなく、デザインされたとの ) 」の考え方を分ける特徴は主にふたつある。ひとつめに、自然淘汰には長期的な“戦略計画”のようなものや最終目標はない(つまり目的論的ではないということ)。完璧というある種の理想状態に向かって突き進むものではなく、世代を重ねるごとに適応度の低い個体が消滅していく試行錯誤のプロセスなのである。その過程で、方向を変えることもしょっちゅうだし、時にはひとつの系統がまるまる絶滅することもある。これは偉大なるデザイナーの仕業とは考えにくい。
ふたつめに、自然淘汰はすでに存在するものにしか作用しないので、実現できる結果には限りがある。自然淘汰は、種を一から設計し直すのではなく、一定の状態まですでに進化した種を修正することによって始まる。

ある特徴が適応上有利だったとしても、その結果を実現するような遺伝的変異がないかぎり、自然淘汰ではそのような特性を生み出すすべがないのだ。要するに、完璧でないことこそ、自然淘汰の決定的な特徴なのである。

自然淘汰は、適者生存とも言い換えられる。では、「適者」はどう定義するのか?もっとも生存能力の優れている個体である。同じ種のほかの個体と比べて、環境に対する適応度が高いために、生存する可能性が高いと考えられる個体を指している。ここで重要なのは、ある生物の変化しうる特徴と、その生物の置かれた環境とのあいだの相互作用である。生物は限られた資源をめぐって競争するため、生存する個体とそうでない個体が生じる。さらに、自然選択が作用するためには、適応的な特徴が遺伝可能でなければならない。つまり、遺伝的に子孫に伝えられなければならないということだ。

自然淘汰は進化の主な要因ではあるが、ほかにも進化上の変化をもたらしうるプロセスはある。そのひとつの例が、現代の進化生物学者たちのいう「遺伝的浮動」だ。遺伝的浮動とは、偶然やサンプリング誤差によって、集団内の遺伝子の変異体(「対立遺伝子」)の相対頻度が変化することを指す。この効果は、小さな集団内では大きくなる可能性がある。

★ダーウィンの失敗

単一の変異(偶然によって起こるまれな出来事。現代の言葉でいえば突然変異〔mutation〕のこと)を“選択”するのに自然選択はまったく役立たないと主張した。
というのも、そのような変異が起きたとしても、集団の中のすべての通常の種に数で圧倒され、薄まってしまうため、数世代後には完全に消滅してしまうからである。
ダーウィンは当時の科学界で受け入れられていた遺伝理論以上のことを知らなかったわけだが、そのことで彼を責めることはできない。したがって、私は融合遺伝の考え方を採用したことがダーウィンの過ちだとは考えていない。ダーウィンの過ちとは、融合遺伝の仮定のもとでは、彼の自然選択のメカニズムは期待どおりに作用しえないという点を(少なくとも当初は)完全に見落としてしまったことにあるのだ。

『種の起源』の議論の多くは定量的ではなく定性的である。

ダーウィンは、変異の引き金になるのは発達におけるストレスのみと仮定していた。

世界が6日間で創造されたとか、そもそも時間の流れの中で創造されたと考えるのは、非常に浅はかであるという証だろう。なぜなら、時間は昼と夜の連続でしかなく、昼と夜は必然的に、地球の外側にある太陽の運動と結びついているからである。しかし、太陽は天の一部であるゆえ、時間は世界よりもあとにできたと考えてしかるべきだ。したがって、世界が時間の流れの中で創造されたという言い方は正しくなく、むしろ世界があるからこそ時間が存在すると言うのが正しいのだ。

フィロン

■アインシュタイン

アインシュタインは、質量とエネルギーの分布によって時空の構造が決まると主張した。質量やエネルギーが存在しなければ、時空を正確に定義できない。

一般相対性理論に先立って発表された特殊相対性理論で、アインシュタインはニュートンの絶対的・普遍的な時間、つまりどの時計でも計測できるとされる時間の概念を捨てた。
ニュートンの目標は、絶対時間と絶対空間を体系的に示すことだった。彼はその考え方に従い、「絶対的で実在する数学的な時間は、その性質から、外部のものとは無関係に、まったく同じように自然と流れる」と述べている。
一方、アインシュタインは、観測者の進んでいる速度や方向にかかわらず、どの観測者から測定しても光の速度は一定であるという仮定を特殊相対性理論の中心テーマにすることで、空間と時間を時空というひとつの実体へと永久に結びつけるという代償を払わざるをえなかった。それ以来、数々の実験で、互いに相対的に運動しているふたりの観測者のあいだで、測定される時間間隔に食い違いがあるという事実が確かめられた。

特殊相対性理論において光(もっと一般的にいえば電磁波)が中心的な役割を果たすことを踏まえて、特殊相対性理論は電気と磁気について記述する法則と一致するように作られた。ところが、アインシュタインは特殊相対性理論がニュートンの重力と相容れないという事実に気づいた。
ニュートンの重力は空間じゅうに瞬時に作用すると考えられていたのだ。ということは、たとえば、われわれの銀河系とアンドロメダ銀河が今から数十億年後に衝突したら、質量の再分配による重力場の変化が、宇宙全体で同時に感じられることになる。この状況は明らかに特殊相対性理論と対立する。なぜなら、情報が光より速く伝わるからだ。これは特殊相対性理論では許されない。さらに、宇宙全体の同時性を考えるだけでも、特殊相対性理論が入念に否定してきた普遍的な時間の存在が必要になる。

一般相対性理論は、主に次のふたつの深い洞察に基づいていた。
(1)重力と加速度運動の等価性。
(2)宇宙の力学というドラマにおいて、時空の役割を受け身の観客から主役へと変えたこと。

ひとつめに、アインシュタインは地球の重力場の中で自由落下している人間の体験について考えるうち、実質的に加速度運動と重力の区別を付けられないことに気づいた。
地球上の閉じたエレベーターの中で暮らす人は、エレベーターが常に上向きに加速していれば、地球よりも重力の強い場所で暮らしていると思うかもしれない。体重計に乗っかれば、確かにその人の通常の体重よりも高い体重を示すだろう。

ふたつめは、ニュートンの重力観をくつがえした。重力は空間全体にわたって作用する謎めいた力などではない、とアインシュタインは主張した。むしろ、トランポリンの上に立っている人がトランポリンをたわませるのと同じように、質量とエネルギーが時空を歪めるのだ。アインシュタインは重力を時空の曲と定義した。つまり、ゴルフボールがグリーンの起伏に沿って転がったり、ジープがサハラ砂漠の砂丘をうまく越えながら進んだりするのと同じように、惑星は太陽が湾曲させた時空の最短経路に沿って進むわけだ。光さえも直線的には進まず、大きな質量の近傍の湾曲した空間の中では、曲がって進む。

一般相対性理論では、時間も“湾曲”する。重い物体の近くにある時計は、遠くにある時計よりもゆっくりと時を進む。この効果は実験によって確かめられており、GPS衛星では日常的に加味されている。
アインシュタインの一般相対性理論の軸となる前提は、きわめて革命的だった。われわれが重力と認識しているものは、質量とエネルギーが時空を歪めるという事実の単なる表われにすぎない。

時空はガチガチに固定された背景ではなく、物質やエネルギーの存在に応じて、曲がったり、湾曲したり、伸びたりしうる。そして、その湾曲が、今度は物質にしかるべき運動をさせるわけだ。

一般相対性理論を提唱することで、アインシュタインは重力が超光速で伝播するという問題、つまりニュートンの理論が陥っていた危機的状況を鮮やかに解決した。一般相対性理論では、伝播の速度とは、つまるところ時空の構造の中で、波紋がある点から別の点までどれだけ速く伝わるかということだ。アインシュタインは、このようなたわみや膨らみ(重力を幾何学的に表現したもの)はちょうど光速で伝わることを示した。言い換えれば、重力場の変化は瞬時には伝わらないのだ。

アインシュタインは、知力だけを用いて宇宙の仕組みを解き明かした男だ。彼は科学者として、純粋数学を使って数学が生み出すものを発見できること、そして数学が発見するものを生み出せることを証明したのである。

















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湯浅淳一
あなたの琴線に触れる文字を綴りたい。

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