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文化人類学の思考法

20240629

文化人類学を学ぶと、もうそれ以前の自分には戻れなくなる。自分が変わり、世界がまるで違って見えるようになる。
文化人類学の思考法のエッセンスのひとつの鍵は、「近さ」と「遠さ」にある。
調査対象との「近さ」と比較対象の「遠さ」。この「距離」が、文化人類学的想像力に奥行きと豊かさをもたらす。私たちの固定観念を壊し、狭く凝り固まった視野を大きく広げてくれる。それが世界の別の理解に到達するための可能性の源泉でもある。この「距離」は、必ずしも地理的・空間的なものだけではない。時間の隔たりも重要になる。

文化人類学は、あたかも異なる文化がそこに存在するかのように学問的に人間を研究しながら、じつは自文化と異文化を同時に発見/発明している。
この差異をとおした他者理解と自己理解の経験は、文化人類学者のフィールドワークに限られたことではない。私たちも日常のなかで、いろんな人との違いを見いだし、同時に自分自身を発見している。
その差異は、はじめからそこに「ある」ものではなく、自分たちとそうでない者たちの区別をつくりだす相互作用のなかで「つくられる」。

過去の理論や概念を勉強してあてはめるだけではなく、道具として用いて他の事例と比較するなかで、あらたなことばを獲得していくのだ。

文化的な多様性は、つねに人びとが旅して持ち帰った多様な要素の混ざりあいをとおしてつくられてきた。グローバリゼーションはかつてからあったそのようなプロセスをより強くするものと見ることができる。人やメディア、技術、資本やイデオロギーといった要素は、バラバラにさまざまな方向に移動して、世界のあちこちで独特の結びつきをもたらす。新しい違いは、そうやって日々生みだされている。

私たちは、自然と文化は別個のもので、科学と迷信は正反対のもので、技術と人間の身体は別物だと考えている。私たちが世界を認識するときにあたりまえのように使っているそれらの境目がとても曖昧だ。私たちは、いろんなものを区切り、名づけ、その枠のなかで生活を営んでいる。でもじつは、それぞれの枠を区切る境界はそれほど強固なものではなく、いつのまにか変更されていたり、消滅していたりする。現実と現実ではないものとの区別さえ、じつは不確かなものでしかない。

人とモノがともに織りなす行為がある価値を生みだし、それを原動力として、ある現実がつくりだされ、共有されていく。その前提となっているのは、市場と国民国家の存在だ。

私たちは身近な人びととのかかわりをとおしてことばやふるまいを学び、他者との関係性のなかで、たとえば子どもになったり、学生になったり、社会人になったりする。私たちの生はいつも根底から、人びとの関係にもとづく共同性によって規定されているようにみえる。
人間が他者との関係性をとおして「人になる」プロセスとその多様性を注視してきた。
人びとの関係性が社会的な「人」をつくりだす。だからこそ、人と人が相互にかかわりあう行為をとおして、社会の共同性そのものを変化させることができる。

私たちは「自然」と言うとき、「手つかずの自然」「自然の脅威」などと表現する。ここにはたしかに、人間の文化の影響を受けていない自然環境、ありのままの動物や植物、山や川などの姿がイメージされているようだ。しかし、日本語の「自然」ということばは、明治以降に英語の nature の翻訳語として使われるようになって初めてこのような意味を獲得した。明治以前には、自然という語は「おのずからそうなっているさま、天然のままで人為の加わらぬさま」という意味で用いられていた。この古典的な自然の意味は、「人為」と対置されているという意味で nature と共通している。この共通点ゆえにこの語が翻訳語として選ばれた。しかし、日本語の「自然」はもともと副詞や形容詞として使われ、人為の加わらない「状態」を示していた。つまり、名詞として自然環境そのものを表すようなことばではなかった。今でも私たちが使う「自然」ということばには、古い意味と新しい意味が混ざりあっている。

西欧では自然がまずあり、そこから文化へ移行する(動物が人間へと進化する)と考えるのに対し、先住民の神話世界はその逆である(人間的な状態がまずあり、そこから動物が差異化される)。だからこそそこでは、あらゆる動物は人間同様の魂をもつと考えられている。そして動物たちはみずからを人間だと考え、人間としての生活を営む。そしてみずからの生息地を村、巣窟を家、飲み物をビールとみなす。ただし、それぞれ身体が異なるため、何を村、家、食べもの、ビールとみなすのかはそれぞれ異なっている。たとえば、ジャガーは人間の血をビールと見る、ハゲタカはウジ虫を焼き魚と見る、バクは泥だまりを儀礼の場と見る。南米の先住民の世界は、こうした単一の精神(魂)のもと、異なる身体をもつ複数の存在によって成り立っている。すなわちこの世界は、生物学的な身体をすべての種に共通のものとする一方で、精神的な世界、つまり文化に多様性を認める西洋世界とは対照的である。

人は道具を作る動物である。

人の知性とは、道具を作るための道具を製作し、そしてその行為を無際限に変化させる能力のことである。この定義で強調されているのは、道具の製作や使用そのものというよりは、それらを作り出す際限のない能力である。

身体の外側に独立した機能として作り出されたモノを「道具」、その複雑な構成を「技術」と呼ぶことができる。

ある動作や技法の延長線上に技術を作るだけでなく、作り出された技術によってみずからが影響を被るという、反対方向の関係性に同時にまきこまれている。
たとえば、先の尖った石器(尖頭器)は、大型の動物を仕留めるために用いられた旧石器時代の代表的な道具であるが、同時にそれは、狩猟という社会的行為を可能にし、狩猟社会が成立するための物理的な条件ともなった。石器やそれを用いた狩りの技術がなければ、人は大型動物を仕留めることができなかっただけでなく、一定規模の社会を営むこともできなかっただろう。

色眼鏡でものをみていることに気がつかないくらいに世界が自然に感じられてしまうとき、技術と自然はもはや区別することができなくなる。 目覚まし時計の音で目を覚まし、電車に乗って通学し、パソコンを開いて課題のレポートを書くといった、そうした日常にも高度な技術は潜んでいるのだが、この明らかに人工的な生活環境を、私たちは日常的に不自然なものと感じてはいない。大雪で電車が止まってしまうようなときに初めてその便利さに気づくというくらいに、技術は日常の一部となっている。このとき私たちは、技術的な世界でこそ本来の生活をまっとうしているのだと考え、このあたりまえの世界を成り立たせている条件について考えようとしていない。
技術によって人の生活が成り立っており、同時に、人の生活のなかからその必要に応じて技術が作り出されている。

誰も「自然そのもの」や「世界そのもの」を知覚してなどいない。人にとっての世界とは、人が知覚することができ、また人に作用することができる世界のことである。私たちは、みずからの身体と技術をとおしてなんらかの関係性をつくりだせる世界を生きることしかできない。

人は、技術を用いて環境に対峙してきただけでなく、環境そのものを技術によってつくりだしてきた生きものである。技術を身体の外側に作り出すことで人が新しい環境に適応できるようになり、そこからさらにあらたな技術、そして身体や社会までもが進化していった。

スマホを手放すことで不安を感じるのだとしたら、それは、スマホが自分の日常を構成する環世界の一部となり、自分自身の生を規定しはじめているということだ。つまり、自分の身体は、スマホをつうじて変容しはじめていることになる。スマホが、身体どころか社会を、さらには人と世界のかかわりそのものを変容させる確かな契機となっている。

現代社会において「科学的」であることは、知識や技術が信頼に足るものであることのもっとも重要な条件とされている。このため、「○○は非科学的だ」ということばは、その知識や技術の妥当性を否定するものとして用いられる。これに対して、人類学ではむしろ「なぜ人びとは非科学的とされる営みをなしているのか?」が問われてきた。とりわけ多くの人類学者が注目してきたのが「呪術」と呼ばれる営みである。

呪術は、科学が解明するような客観的な事実ではなく、人びとが好き勝手に「信じている」世界のあり方を示している。ただし、さまざまな現象に原因と結果の連なりを見つけだそうとするという点では、間違ってはいるが科学的な思考の萌芽のように見える。呪術は、対象間の偶然の結びつきを心的な観念の連合にもとづいて因果関係と取り違える営為である。呪術は、たんに誤った科学であるだけではない。人類進化の歴史において近代科学の前段階を占める原始的な科学技術とされた。

トロブリアンド諸島に暮らす人びとは、カヌーの制作や耕作においては経験にもとづいた合理的な知識と技法を用いるが、それらの実践にはしばしば呪術がともなう。危険の少ない珊瑚礁で行われる漁には呪術が用いられないのに対して危険で不確実な外海での漁では呪術的儀礼が発達している。技術によって自然を支配できなくなる時点で心理的な安心や希望を得るために呪術が用いられる。呪術は、心理的な機能をもつことによって実用的な実践と共存している。

近代科学の根幹には、人びとが経験的に感覚する匂いや味といった対象の特徴 (二次性質)ではなく、形態や運動や個数といった数学的にとらえられる対象の特徴(一次性質)を重視し、前者ではなく後者によって現実の世界のあり方が適切にとらえられるという発想がある。これに対して、レヴィ=ストロースの『野生の思考』は、人びとの感覚的な経験から世界に一定の秩序を付与することを重視する。数学的構造から科学的発見や技術開発という出来事を生みだす科学的思考に対して、野生の思考は、感覚的経験をともなう出来事から世界を認識する構造を生みだす。

科学は、因果の解明をつうじて世界に秩序を与えている。だが、科学がいくつかの水準を区別したうえでそのうちの若干に限って因果性を認めるのに対して、呪術は、因果を包括的にとらえ、それを「演技する」ことによって現実のなかに人間性を入り込ませる。人間(主体)と自然(客体)を明確に区別するのではなく、両者のふるまいを連続的に結びつけるのだ。
たとえば雨乞いの儀礼を自然を操作する行為としてとらえれば「発育不全の技術」のように見えてくる。だが、雨乞い儀礼の主眼は、儀礼に参加する人びとの集合的な営為と降雨という自然現象を連続的に結びつけ、季節の移り変わりとともに耕作し収穫していくといった周期的な秩序をうちたてることにあり、そのために「雨乞い⇒降雨」という因果関係が演じられるのだ、と考えることもできる。

西洋思想史における「呪術」概念の起源を、 ユダヤ/キリスト教の源となった古代イスラエルの宗教に見出している。
神は世界を創造した至高の存在であり、 聖なる偶像を崇拝して恩恵を得ようとすることは、異教的な 「呪術」 として非難された。聖なる力の実効性は否定されず、 その力を恣意的に利用することが偽りの信仰として非難された。 呪術と科学が対置されるにせよ、神の実在はすべての前提となっていた。
神が設計した世界のあり方は自然の法則というかたちで人間が調べうるものとなり、科学によって自然を解明する試みにおいて実在する神は次第に不要となっていく。世界を適切に認識できることの最終的な根拠は、実在する神から人間の理性へと移動する。神は個人の内面的な信念の対象へと格下げされ、内面的な信念を誤って現実に適用する営為として呪術がとらえなおされていく。

妖術や精霊を、人びとの世界観や認識のあり方「彼らはこの世界を、精霊がいるものとして認識している」という観点から説明しようとするのではなくて、人びとの生きている世界と、そこにおける妖術や精霊の存在そのもの「彼らはまさに、精霊がいる世界に生きている」を中心に据えて考えようとする。こうした議論は、人類学における認識論から存在論への転換を主張するものだ。
この議論のユニークな点は、妖術や精霊を「そんなものはじっさいに存在するわけがない(たとえ社会的な有用性はもっているにせよ)」と決めつける近代合理主義的な人類学者の態度を批判する一方で、そうしたものが「私たち近代人にとってもリアルに存在しうる」という見方からも距離をおく点だ。妖術や精霊は、フィールドの人びとである「彼ら」にとっては実在するものだ。それは認めなくてはならない。でも、だからこそ、私たちはそれを、私たちの理性的なことばで説明したり、あるいは自分にとっても現実的なものでありうると思いこんだりしてはならない。それは、「彼ら」にとっての現実である妖術や精霊を、何か別のもの、「私たち」にとっての現実に変換してしまうことを意味するのだから。

こうした存在論的な主張の前提とされ、その議論によって強化されているのは、「彼ら」と「私たち」との超えようのない差異だ。また、「彼ら」にとって術や精霊は存在するのだと言ってしまうとき、「彼ら」にとっての世界なるものが何かしらあることが想定されている。それは私たちによって想定された、私たちには共有することのできない、精霊や妖術込みの「彼らの現実世界」なのだ。

精霊や妖術、 呪術といったものは、私たちにとってよくわからないものであるのと同様に、それが「存在する」とされる社会の人びとにとってもよくわからないものなんだ。それは実在するのか?実在するとして、どのようなものなのか?確固たるリアリティとしては、当の社会の人びともとらえることができない。だからときに、疑いを抱く。疑いながら、それでもその「何か」の力に翻弄されたり、それを用いようとしたりする。人びとにとって、妖術や精霊や呪術は所与の存在や信じるべき対象であるというよりも、人びとの行為や関係性のなかで実践的に働き、使われ、忘れさられ、また生みだされるものなのだ。

近代合理性の外側にあるかにみえる事柄について、「それはほんとうは存在しない」と断じるのではなく、「彼らはそうした世界に生きている」と想定するのでもなく、私たちにとっても別な世界との関係性がふとしたきっかけで立ち現れてくる可能性を示唆している。

文化人類学では、贈与交換と商品交換とを次のように区別してきた。贈与交換は人と人とをつなげ、商品交換は関係を切り離す。「贈り物」は贈り主のことを想起させる(=人格化)。一方、「商品」は作り手や売り手を無関係なものとして切り離す(=非人格化匿名化)。あるいは、社会秩序の再生産をめざす長期的な交換サイクルにかかわるか、利潤を追求する個人の短期的交換サイクルにかかわるかの違い。

家族は長期的に維持されると考えられているので、親が料理のたびに子どもにお金を払わせたりしない。親は子の世話をし、いずれは子が親孝行するといったように、関係の持続が期待されている。その子が結婚して親になると、また自分の子どもに...と続く。人格化された社会の長期的秩序の再生産とは、そういうことだ。そこでは贈与の関係がふさわしい。一方、商品ならば、できるだけ安く買いたいし、できるだけ高く売りたい。それがどんな相手かは関係ない。有利な取引ができなければ、次も同じ人と売買するとは限らない。それが人間関係とは切り離された非人格的な短期的取引の意味だ。
ただし売買であっても、お得意様がいたり、行きつけの店ができたりすることもある。同じ商品でも、値段ではなく、お気に入りの店や知人だからという理由で買う人もいる。商売のうえでも、リピーターやファンを増やすといった長期的な関係が大切なのは明らかだ。商品交換が短期的で非人格的な取引だけに終始するわけではない。
商品交換と贈与交換は分離された営みではなく、連続線上にある。そのやりとりの連鎖のなかで、モノは意味や価値を変化させる。どこでも売られている商品でも、親族の遺品だと、故人を偲ばせる大切な形見になる。有名人の持ち物は、ありふれたモノであっても高額オークションの対象となる。モノは、いろんな履歴をたどる。モノが「交換不可能なかけがえのないもの」と「いつでも交換できる商品」という二つの極のあいだを動く。つまり、贈り物と商品との境界は固定していない。
贈り物と商品が切り離されていないからこそ、私たちはいろんなモノのやりとりをとおして、その意味や相手との関係を変化させることができる。商店でも、特別におまけをつけたり、サービスで割引したりする。商品交換の場でも、贈り物を渡すかのようなふるまいをすることで、親密で長期的な関係づくりがめざされるのだ。

返礼を求められないはずの気前のよい「一般化された互酬性」に社会的な階層化、つまり権力関係をもたらす萌芽がある。
近しい人でも、一方的な贈与が継続すると、経済的な不均衡が生じる。潜在的に負い目が蓄積することで、与え手が社会的な地位を高める。メラネシアのビッグ・マンやアメリカ先住民のチーフも、つねに共同体の成員に与えつづけることを期待され、その期待に応える限りで尊敬され、その地位を約束された。ただし、人類学者が研究してきた狩猟採集社会などでは、頻繁な食物などの分配がなされているにもかかわらず、社会的地位の格差が少なく、その関係は対等なまま保たれている。それはいったいなぜなのか。
狩猟採集民の分配でも、負い目が生じないわけではなく、それが一方的にならないよう慎重に配慮されている。アフリカ中央部のムブティの網猟では、獲物がかかった網の持ち手がその肉を優先的に受けとることができる。ただし、網の位置を交代することで特定の者だけが肉を独占しないよう工夫している。カラハリ砂漠のブッシュマンも、弓矢猟ではハンターの技術の差が歴然としているが、狩猟具を他人に貸与し、あえて他人の道具を使うことで、獲物を仕留めた者だけでなく、道具の作製者にも肉が行き渡るよう配慮している。狩猟に熱心なハンターはマイナスの評価を受け、妬みや恨みの対象となる。ハンターたちは狩猟に出る頻度を調整し、大きな獲物を仕留めたあとは猟を休んで分配を受ける側に回る。大型獣を倒しても、控えめにふるまう。傲慢な者や得意になる者は徹底して拒否される。人にモノを与えることがいかに威信や格差と結びつきやすいかをわかったうえで、権威の発生を慎重に防ごうとしている。
贈与のもたらす負い目を利用して政治的な権力を生みだす社会と、その立場の不均衡をコントロールして平等な社会を維持しようとする社会がある。

かつて未開社会は生活に必要な分だけを生産し、消費してきた。
しかし、あるとき支配層への貢納や税のために余分に生産しなければならなくなった。この余剰生産は、モノを共同体の外へと動かす経済を活発化させた。この余剰生産を強制する力こそが政治権力にほかならない。

人間はその歴史のほとんどにおいて、他人からモノをもらい、他人にモノを与えて生きてきた。人間には「物々交換し、取引する性向」が備わっている。

米は必ずしも各人の一番欲しいモノではないが、他人もきっと受けとるという期待から、交換を断られない商品、すなわち交換媒介=貨幣として機能するようになる。

現在、私たちが使っている貨幣はこの「交換媒介」機能を中心として、価値を将来にもち越す「価値保存」、あらゆるモノの価値をあらわす 「価値基準」という三つの機能を果たすものとされる。

人間を交換する生きものととらえるならば、貨幣は人間の交換生活と歩調をあわせて進化してきたといえるかもしれない。

私たちが交換において信用しているのは、人ではなく貨幣である。私があなたにモノを与えるのも、あなたが私にモノをくれるのも貨幣を支払うからだ。貨幣が人と人、モノとモノのあいだに入り、その貨幣を全員が信用し断らないことで、誰とでもなんでも交換できるしくみが成り立っている。
一方、ヤップの人びとは貨幣の支払いなしにモノを与え、受けとる。人びとが信用するのは相互扶助の義務がある交換相手であり、またその関係を知っている周辺の人びと、いわば共同体である。儀礼での石貨のやりとりが関係を生成し、その関係が石貨を介して公的に記憶されることで、人びとは安心して相手に与えることができる。

貨幣を発行する国家が信用を失い、こうした維持作業が放棄されれば、貨幣はたちまち信用を失い単なる紙切れになる。

私たちは、みんなを取り締まる交通指導員のような人がいなければ、社会の秩序は保たれないと思いがちだ。それぞれがそれぞれのやりたいようにやっていては、大混乱になってしまう。それを防ぐためには、みんなが従うべき規則をつくって、誰かが規則を強制しなくてはならない。
私たちは、安全に生きられるのはそのような「国家」に守られているおかげだと、あたりまえのように考えている。ふだんは意識もしないけれど、国がつくった法律があって、違反を警察が取り締まり、裁判所が裁いてくれるから、私たちは安心して道を歩くことができる。
しかし、どうしても国家は必要なのだろうか?政治を幅広く葛藤や対立の調整にかかわる活動ととらえるならば、必ずしも国家がなくてもやっていけるかもしれない。

かつて民衆は、先に挙げたような「国民」としての感情を抱くことがなかったという。国は支配者たちのものであるとみなされていて、民衆は「私たちの国」だという当事者意識をもっていなかった。だから、大規模な戦争のために民衆を動員する必要が出てきたときも、他人ごとに思える戦争に駆り出される微兵に多くの人が反発していた。そのような状態からはじまって、参政権の付与や学校教育をとおして、だんだんと国家と自分を同一視して「私たちの国」と感じる感情が生まれてきた。またその過程には、国民が共有するとされる「私たちの」言語・歴史・文化が、ずっと存在してきた伝統として「発明される」プロセスが大きな役割を果たしている。

「本当の私は何をしたいのだろう?」。 大学入試や就職活動に直面してこんな問いに悩まされている人、かつて悩まされた人は少なくないだろう。こうした悩みをもつことは、青年の特権である。そもそも生まれたときには、そんな問いを発する「私」が存在しているかどうかさえあやしい。それがいつしかはっきりとしたかたちをとりはじめ、ついにはこんな悩みにとらわれるようになるのだ。このように、社会のなかでさまざまなことを考えたり感じたりする主体を「自己」と呼ぶ。自己は、みずからの行為を選ぶ主体である(=主体性を発揮する)とともに、社会・文化的に育まれる(=社会化される)。

私たちがある行為の意味を理解できるのは、その行為が相手に引き起こすのと同反応をみずからにも引き起こすからである。たとえば私たちは、侮蔑的な発言によってみずからが傷つくことをつうじて、そうした発言が誰かを傷つけることを理解できる。このような主体が他者をとおして自分を認識するという間主観的な関係を「承認」という。
承認の形式はそれを求める欲求と対応しながら段階的に変化していく。すなわち、私たちは社会化していくなかで、もっとも身近な他者(たとえば母親)からその周囲の人びと、最終的にはその社会全体へと相互行為のパートナーの範囲を広げながら、その規範的な態度をだんだんと内面化していく。これにより、パートナーを承認するとともに自分がそのパートナーから承認されていることに気づく、つまり相互承認を達成する。
いっぽう、そうしたパートナーから適切な承認が得られないと、社会生活の再生産が妨げられて「承認をめぐる闘争」がもたらされる。この議論では、相互承認を達成することは、私たちが働くことをつうじて充実した社会生活を送るために不可欠だと考えられている。この考え方に沿えば、「本当の私」が見つからないという悩みの源は、その段階に応じた相互行為のパートナー(たとえば、就職することを望んでいる会社や社会全体)から思うように認められないことにあるといえそうだ。

もっとも、話はこれで終わらなかった。こうした議論はその後、充実した社会生活とは何かをめぐってさらなる論争を巻き起こしたのである。どんなに人や社会から認められても物質的資源がともなわなければ充実した社会生活はもたらされないということだ。

教育や職業選択をめぐる問いやそれにともなう悩みは、私たちの社会のあり方によって仕組まれたもので、時代や場所が異なればそもそも存在しなかったかもしれない。子どもがいつ、どのようにして働くようになるのかは、その社会のあり方と不可分に結びついている。そして、私たちが社会に対する貢献と主体性を実現する、つまり相互承認を達成するための道筋は、社会・文化的に多様なようだ。

私たちは就職などをつうじて働くことだけでなく、次代を担う子どもを育むこと(つまり養育者の側に立つこと)によっても社会に貢献し、社会からの承認を達成することができる。

「近代化」という概念そのものが社会科学において使われるようになったのは意外に遅く、二〇世紀後半以降のことである。その背景に資本主義と社会主義をめぐるイデオロギー対立があったとはいえ、基本的には封建的なものの崩壊と資本主義的なものの成立を指していると考えてよいだろう。こうしたとらえ方によると、封建的なもの、すなわち共同体的なつながりが薄れ、個人化がすすんだとされてきた。だがこれを単に、共同体のしがらみから個人が解放されたと言うことはできない。「個人」は最初から存在したわけではなく、人が「個人」として立ち現れるためには、「個人」として行動することができる社会的基盤が必要だからである。この基盤を与えたのが国民国家だった。共同体的な横のつながりを断ち切るだけで人は「個人」になったのではなく、国家に垂直に統合されることによって「個人」が現れたわけである。

「近代化」は、それがどの範囲の人びとを包摂するかによって異なる様相を示す。「第一の近代」と呼ばれるフェーズでは、市民権をもつのは一定以上の財産をもつ人にかぎられている。それは、個人の基盤が私的所有におかれており、財の所有者であってはじめて自己自身を所有するという意味での自由を有し、ゆえに市民権を行使することができるとみなされたからである。この制限は徐々に取り払われ、成人男子全員や女性に市民権が拡張されていく。市民権の拡張とともに今度は、社会的所有という考えにもとづき財を再配分する社会保障制度によって、「第一の近代」から排除されていた人びとが包摂され、市民としての権利を享受できるようになる。













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