【本要約】大東亜論
2022/2/4
頭山満という人物
昭和天皇の教育係である杉浦重剛が、陛下の皇太子時代に無私の精神の手本として示した人物こそ、頭山であった。
頭山には私心がない。「 無私である 」ということは、衆目の一致するところだった。
頭山は、生涯無位無官を通し、地位も名誉も財産もない。
頭山は、自らは文章も書かず、演説もしない。
50年以上「 天下の頭山 」として声望を集め続け、その晩年には、半ば神格化された伝説の人物となっていた。
頭山は、人望があり、ありとあらゆるところから正確な特殊情報が寄せられていた。頭山の言葉は簡潔であり、抽象的にも聞こえるが「 あらゆる事情を知り尽くした者の最後の声 」であり「 相手の問題の急所要点を鋭く突く力 」があった。
右翼・左翼
右翼とは何か、左翼とは何か?
「 その時点での 」という前提がある、右も左も相対的なモノでしかない。昨日まで一番左だった者でも、もっと過激で急進的な革命を主張する者が登場すれば、右になってしまうということだ。
フランス革命が「 自由・平等・同胞愛 」をスローガンとして、これを抑圧する国王や国家権力の旧体制を打倒しようとしたから
・右は、国王 ( 天皇 ) や国家を重じる体制を保守する。
・左は、個人の自由や平等を重んじる社会への確信を目指す。
個人と国家は必ずしも対立概念ではない。
ときに国家が個人の自由を制限し抑圧することはあっても、だからといって、国家がなくなれば個人の自由が保障されるなんてことはない。むしろ、無秩序の中で、自由どころか、生存までも脅かされてしまう。
民主主義
民主主義の根底には「 自由と平等という価値がある 」とも言われるが、自由と平等は、近代西洋の価値観である。
・自由を追求すれば格差が開いて平等が失われる。
・平等を追求すれば自由が失われる。
明治政府が日本の近代化を目指したときに、日本本来の公平という価値観は失われ、西洋の近代合理主義へと傾倒していった。
日本における自由民権運動は、武器を刀から言論に替えただけで、政権に不満のある武士たちの反乱だったことには変わりがない。
近代主義に抵抗した西郷隆盛たち武士の魂を継ぐ者が、頭山満である。
頭山満は、西郷隆盛に心酔し、その精神の継承者たらんとしていた。
憲法とは、国家権力への国民からの命令書であり、権力を縛るモノである。
民権はおもんぜられねばならないが、国権はさらに尊重ぜられねばならない。国権は民権より上である。
教育
人は平等と云うが、実際は違う。現実には、賢愚・貧富・貴賤の雲泥の差がある。その差を縮めたければ学問をせよ。難しい仕事をする、医者・学者・政府の役人・大商人・大百姓は身分が重くて貴いが、それは学問の力があるからだ。無学な者は貧民となり、下人になるしかない。
武士
「 自分の生命に執着しない」という、決死の覚悟をしたことから育まれた。
「 どう生きるかと同じくらい、どう死ぬか?」が武士の信念だった。
カッコよく生きる = カッコよく死ぬ
頭山満の思想
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