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母という呪縛 娘という牢獄
20250211
殺人事件の容疑者は元来粗暴と思っている人が多いかもしれないが、司法記者として私が見聞した限り、穏やかで繊細な印象の人もいる。
子どもの教育に過剰なほどの情熱を傾け、多額の投資をする動機は、将来、経済的に恵まれた、より良い社会生活を送ってほしいという親心に他ならない。
子どものほうも、衣食住に悩まされることなく、勉学に集中することができる環境にいること自体、幸せだと受け取るべきなのかもしれない。教育に多額の投資をすることができる理想的な家族と見えるかもしれない。しかし、それゆえ自分の気持ちを押さえつけたまま息苦しさを口に出すことができず、「親の期待に応えよう」と苦しんできた人が大勢いるのだ。
なぜあのような悲劇が起きなければならなかったのか。
私自身にとってもそれは決して他人事とは思えなかった。多くの家族が、「良かれ」と思いあまって互いに束縛し、苦しめあっている。それが殺人事件にまで発展するのは極端な例だが、そこに至る芽は、多くの家庭に内包されている。
「浪人生活を送っていたころの私は20代。心に回復力、柔軟性、図太さ、諦観が備わっていた。一晩寝れば大抵は忘れ、柳に風でいられた。夢も希望もなく、自分の人生なんてどうでも良かった」
母は私を心底憎んでいた。私も母をずっと憎んでいた。「お前みたいな奴、死ねば良いのに」と罵倒されては、「私はお前が死んだ後の人生を生きる」と心の中で明いていた。ところが、母を寝かしつけて一息ついた静かな夜、虚しくなる。哀しくなる。終わらせたくなる。母が死んで、「もう、憎むことも憎まれることもなくなった」とホッとし、身体の力が抜けた。
何より、誰も狂った母をどうもできなかった。いずれ、私か母のどちらかが死ななければ終わらなかったと現在でも確信している。
犯行への迷いはなかった。あえて言えば、後悔もなかった。私か、母のどちらかが死ぬ。それ以外に選択肢はなかったのだ。
母の存在は、娘を強く呪縛していた。
生きることは結果だけじゃない。
母にとっては助産師になるという約束を果たさない私は、家族ではなかった。しかし、父にとっては殺人犯であっても私は、家族なのだ。家族だから、支える。
父は愛情深くて気配りも細やかで誠実で人望もあり、心から信頼し尊敬すべき人間で、私なんかにはもったいない素晴らしい父親だ。
「死にたくて飛び降りようと橋から身を乗り出したけど、怖くてできなかった。そのときは、死にたいのに死ねない自分が嫌で仕方なかったけど、人間って生き物だから本能的に死ねないようになっていて…『死にたい』っていう気持ちが生存本能を上回ったら、そのときに死ねるんじゃないかな、って考えるようになったかな」
「あなたは常に二択なんですね」と言われるほどものごとにはっきり白黒を付けないと気が済まない性格だが、ときにはグレーなことをグレーのままで受け入れなければならない場合もある。白黒はっきり付かないこともある。
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