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嘘付きじゃない ≠ 正直者


2022/6/2

正直者は、嘘付きじゃない。
だげど、嘘付きじゃない人は、正直者という訳じゃない。

否定は、肯定を示さない。

対義語は硬貨の裏表だ。だけど、表じゃないからって、裏だとは限らない。裏じゃないからって表じゃない。横もある。硬貨には厚さがあるのだ。

私たちの世界は、対称だと信じているものが、非対称であったりする。

商品を売っている営業マンがいる。営業マンは、商品の長所も短所も知り尽くしている。客に商品を売るときに、全部を正直に話すだろうか?長所だけでなく短所も話すだろうか?それで商品は売れるだろうか?

きっと、長所を話すだろう、営業マンの目的は、商品を売ることなのだ。客に商品がいいと思ってもらって買わせなければならない。長所ばかりじゃ怪しいから、ときに少し短所も話すだろう。でも、決して、長所と短所を同等に話すことはないだろう。商品を使っていて、客が気付かないかもしれない、短所を言って、お互いに何の得があろうか?

でも、もし、客に質問されたら、それは、短所も正直に答える。質問の答えを誤魔化したら、嘘付きになる。つまり、聞かれない限りは短所は、言う必要はないのだ。

長所も短所もすべて話す営業マンは正直者であり、嘘付きでもない。

長所の中に少しだけ短所を加える営業マンは、嘘付きじゃないけど、正直者とも言い切れない。

営業マンはズルいのか?

営業マンは「 商品を売る 」という目的のために、言葉を取捨選択しただけだ。

「 商品がいいものだ 」ということを前提として、客も商品を買うと生活が便利になるなら、買った方がいい。そのときに、営業マンが、商品の短所ばかりを言っていたら、客の買う気も失せるだろう。だから、営業マンは、商品によって「 客の生活がどんなに便利になるか 」という、長所を話すのだ。ときに、短所を織り交ぜながら。営業マンは、嘘付きじゃないけど、長所と短所の量を調節しているだけだ。

私たちは、自分の都合に合わせて、言葉を使う。無意識に、言葉を取捨選択している。

私たちは、自己保存に従って、無意識に生きている。私たちは、利己的な存在だ。

何でもかんでも、正直である必要はない。世の中には、知らない方がいいこともある。事実だけで、社会が成り立っている訳じゃない。

様々な人の利得によって、市場システムが動いているように、資本主義社会は、人々の私利私欲で動いている。その社会に、育まれた私たちが、聖人君子のような、正直者であるはずがない。経済的利得を求めて、行動するのだ。

そこに、嘘を付かないという道徳があるのだ。だから、正直者でなくてもいいけど、嘘は付かない方がいいくらいが、この社会じゃ生きやすい。ただそれだけだ。


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